発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

あの人が帰ってきた! そう、神隠しにあっていた新之助さんが。それも、蔦重にもうけ話を持って。そういえば、妻の名はうつせみ改め、おふく。蔦重にとっても福の神の到来となったようです。
大河ドラマを遊び尽くし、歴史が生んだドラマからさらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子が、めぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第17回「乱れ咲き往来の桜」
この4月、米Googleに対する独占禁止法違反の排除命令を出したことで公正取引委員会の動きに注目が集まりました。AI時代を迎え、組織の人員も増強して公正な競争環境の整備に臨む公取委が、今回の江戸の地本問屋の動きをみたら、さて、どうしたことでしょう。
鄙に道あり
青本10冊を一挙に刊行し、町娘たちからの嬌声も浴びるようになった蔦重ですが、相変わらず市中では本を売ることができない。それどころか、彫師の四五六から、地本問屋の圧力で今後、蔦重の仕事を請け負うことができない、と言われてしまいます。彫師がいなければ、本はできない。地本問屋に頭を下げるしかないのか。
そこに登場した新之助が、新たな道を指し示してくれました。江戸を出た後、村で百姓仕事のかたわら、子どもたちに学問を教えている新之助が必要としていたのが、往来物と呼ばれる手習い本です。
ドラマの中では「往来物とは子どもが読み書きを覚えるための本です。…商売や農業といった仕事の知識も学べるものでした」と紹介されていました。なんと! 大人が遊ぶ場所、悪場所とも言われる吉原の本屋が、子ども向けの教科書を出すとは。洒落がきいているともいえそう。
しかし、流行に左右されず手堅い、村で売るなら地本問屋の力の及ぶ外、と考えるとマーケティングの教科書で事例になりそうな市場開拓と言えましょう。
また実際に商売をよく知る信濃の豪商、農業をよく知る越後の庄屋といった人たちに、丁寧にヒアリングを重ねることで実環境に即した往来物を作る。このあたりの手間を惜しまぬ努力は蔦重ならでは、です。
こうして彫師の四五六さんに今後、毎年、確実に注文を出すことを約し、市中の地本問屋との縁をきっぱり切らせます。単に金にものを言わせただけではないのが蔦重のよいところ。四五六さんが、自分の彫った版木を娘のように思うのであれば、ヒアリングに応えた地方の大物たちが本の親、自分たちの意見が反映された本なら買わないわけはない。販路としても確実です。
蔦重の出す往来物で学んだ子どもたちが全国に広がるのなら、源内先生が言っていた「書を持ってこの日の本をもっと豊かにする」ことがもっと早く実現するかもしれません。
「耕書堂」の「耕す」が見事に活きた回となりました。
手紙が教科書!?
往来物というのは元は手紙、書簡文例集のようなものです。これが教科書というのがなんとも不思議で、手にとってみたのが八鍬友広著『読み書きの日本史』(岩波新書)です。
文字のもたらす機能は多岐にわたり、もちろん文化や学問の世界とも接続するが、文字使用の初期段階や、あるいは日常的な用途としては、記録や通信が基本的であっただろう。したがって、手紙が文字習得の教材として使用されていくこと自体は、自然なことかもしれない。
とありました。なるほど。コミュニケーションの基本として、お互いにやりとりをするための手紙は、実用的な学びの方法だったのでしょう。英文法を参考書で学ぶのではなく、英会話教室で学ぶようなものかもしれないですね。
しかし面白いのは、やがて教科書的なものをすべて往来物として呼ぶようになったことです。
この本の中で「近世往来物史上においても最大のヒット作であった」と紹介される『商売往来』は、商売で取り扱う道具や貨幣の種類、商人としての心得などを集めたもので、もはや手紙の形式さえとっていないのだとか。
どれほどのヒットだったかは、この川柳で知ることができます。
名がしらと江戸方角と村の名と商売往来これでたく山
苗字を集めたもの、江戸の地名、近隣の村の名前、そして『商売往来』。これだけ学べばそれで十分。
これでたくさん、といえども、近隣の村の名前はバリエーションがそれぞれでしょうから、往来物が7,000種出回ったというのも、またむべなるかな、です。
さて今回の冒頭、蔦重に「いい加減戻ってきてくんねえかなぁって思ってんですけど」と言わしめた唐丸、いよいよ彼も帰ってくるのでしょうか。
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一
大河ばっか組!
多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。
名を与えられぬ語りがある。誰にも届かぬまま、制度の縁に追いやられた声。だが、制度の中心とは、本当に名を持つ者たちの居場所なのだろうか。むしろその核にあるのは、語り得ぬ者を排除することで辛うじて成立する〈空虚な中心〉では […]
二代目大文字屋市兵衛さんは、父親とは違い、ソフトな人かと思いきや、豹変すると父親が乗り移ったかのようでした(演じ分けている伊藤淳史に拍手)。 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出 […]
語れない時代に、屁で叫べ。通じない言葉はもういらない。意味から逸脱し、制度を揺さぶる「屁」という最後のメディアが、笑いと痛みのあいだから語りをぶちあげる。春町、沈黙の果てに爆音を放つ。 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史 […]
今回、摺師として登場した方は、御年88歳の現役摺師、松崎啓三郎さんだそうです。西村屋との実力の差をまざまざと見せつけられた歌麿と蔦重。絵の具や紙、摺師の腕でもなく大事なのは「指図」。「絵師と本屋が摺師にきちんと指図を出 […]
名のもとに整えられた語りは、やがて硬直し、沈黙に近づいていく。けれど、ときに逸れ、揺らぎ、そして“狂い”を孕んだひそやかな笑いが、秩序の綻びにそっと触れたとき、語りはふたたび脈を打ちはじめる。その脈動に導かれ、かき消さ […]
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。