ワインに味噌やチョコレート。発酵の世界は古今東西、歴史も広く深い。
フランス語のエトランゼとは異邦人のこと。空を飛び国境を越えてウチとソトを見渡し、生活様式や食の末端にきっかけや片鱗を発見する。
旅人のように移動を繰り返す私の生業は不動産に特化する金融業だ。住宅やオフィス、ショッピングセンターにリゾートホテルの開発までさまざまなアセットタイプを扱う。土地と建物の価値を向上させることがビジネスのコアになる。場所の特性や人の暮らしに根ざす文化や機能の情報は価値そのもので、敏感にならざるを得ない。
今から12年前、米国のサブプライムローンに発端したリーマンショックはニューヨークからロンドン、香港~東京と金融大都市圏を次々に呑み込んだ。しかし都心の住宅賃料はあまり下がらなかった。なぜなら、職住接近を前提とした高度経済成長モデルがまだ優勢で、ワークプレイス中心の都市構造が崩れなかったからだろう。
衣食住。言い古されたかのような【三位一体】で、食と住は殊更に切実だ。
食いしん坊が高じて、パン屋と街の文化度が相関するという【仮説】が浮かんだ。
住まいの選択に新たな軸をかさねることでエリア特性が顕在化するのではないか。
パンがトリガーとなって賃貸マンションの稼働を支えるのではないか。
そんな【アブダクション】(仮説形成)で、新たな結節点を発見し、需要をつかめるはずだ。世帯年収や家族構成といった【属性】だけでなく、情報の点と点をむすび【機能】を可視化するため、気になるパン屋を住宅地図にプロットしはじめた。街の個性と住まう価値、その関係性に着目し、ビジネスの手がかりを探していた。
日々に立ち返って、住まいと暮らしを彩る【要素】を思い浮かべる。挽きたての焙煎珈琲、酵母パン、花に緑の植栽…そこに気の利いた本屋があったら最高だ。街の小路に小さなギルドが積み重なって、戦後のアーケードも商店街も18世紀パリのパッサージュを模していることに思考が及ぶ。都市計画の考察はベンヤミンにあたることにして、自らの記憶を辿ること数十年余。パン屋になりたかった幼心、小学生のわたしも持ちだした。パンを自分で焼くことができれば、究極のリスクフリーを手に入れられると考えた。
パン屋の所在に束縛される不自由を編集的アプローチを試みて逆転し、不足を内に取り込んだ。あれから10年。気づけばパン焼きは生活の一部になり、引っ越しも住処の選択からも解放されてそんな思考さえもすっかり過去のものとなった。パンづくりにストレスを持ち込むことも、犠牲を払うこともない。
「われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる」と古代ギリシャの哲人エピクロスは説いた。【原型】を【メタファー】にして【連想】は旧くにおよぶ。ポリス(都市)にオイコス(家庭)、ハンナ・アレントを手すりにして現代の家政をーVita Activaーに置きなおしてみるのもよさそうだ。時間と空間をつなぎ、発酵するのはモノだけではない。述語的に解釈を広げてみることで思惟も方法も、世界が広がる。もちろんパンに限ったことではない。
『人間の条件』ハンナ・アレント(ちくま学芸文庫)
**ビジネスの実践に持ち込む、ヒラノの編集用語解説
【三位一体】…キリスト教の”父なる神・御子・聖霊”。3つのペルソナ(本質)で一つの神である、という存在様式。編集工学では三位一体は強固な関係性を作り出している、としている。古典はバイブル、思想の裏には普遍的な能動の仕掛けがある。
【アブダクション】…チャールズ・サンダース・パースが宣説した仮設形成の展開方法。いったん仮想した概念をまた戻りつつ、拡張的に推論の内実を仕上げていくやり方。想像力によって飛躍をドライブさせる方法といえる。
【原型】…アーキタイプのこと。「そもそも」のかたち。ステレオタイプ(典型)・プロトタイプ(類型)に加えて3つめの視点。更に拡張して概念を掘り下げることができる。これからのビジネス再構築はいったんここまで辿るべきだ。
パンとわたし。隷属ではない関係(前篇)〜発酵エトランゼVol.1
平野しのぶ
編集的先達:スーザン・ソンタグ
今日は石垣、明日はタイ、昨日は香港、お次はシンガポール。日夜、世界の空を飛び回る感ビジネスレディ。いかなるロールに挑んでも、どっしり肝が座っている。断捨離を料理シーンに活かすべくフードロスの転換ビジネスを考案中。
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