イシス人インタビュー☆イシスのイシツ【孕む吉居奈々】File No.12

2022/09/30(金)09:00
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※イシスのイシツな人材を《イシツ人》と定義し、エディット紹介する不定期連載。

第12回となる今回は、母なる受容力が魅力のあの師範。

 

「史上初」という言葉の奥には、いつもそれを生みだす人がいる。

 

[破]で行われる2度のアリストテレス大賞を、同教室から初めてダブル受賞させた功労者。

私生活では文字通りの母親であり、1月に次女を生んだばかり。かつてイシツ人自身が入門した[守]では、「私はとにもかくにも母親である」と、《たくさんのわたし》の稽古でまっさきに書いた。

 

伝説の教室も編集も子も、孕んで生み出すエディトリアル・マンマなのである。

 

快挙を成し遂げたエディターシップを、同心円型階層でタマネギ・インタビューする。

 

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【イシツ人File No.12】吉居奈々

43[守]、44[破]師範代を経て34[花伝所]錬成師範、47[守]師範。44[破]ではアリストテレス大賞を同教室からコンビ受賞させ、〝伝説の教室の師範代〟という属性がプロフィールに加わった。プライベートでは書籍ダイジェストサービスをビジネスパーソン向けに提供する「情報工場」の編集者兼ライター。自らを土壇場に強い「卒意」の人と評し、林頭・吉村堅樹に「これからが期待される10人の一人」と言われながらも、自らの「用意」の無さをつねに後ろめたく思っている。

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■イシツ人吉居奈々の「同心円タマネギ階層型」

エディトリアル・マンマ度:拡張の白亜紀 

 

――少し前の話ですが、AT賞のコンビ受賞はすごかったですね。

 

いやあ、あれは本当に卒意だけだったというか。ひとえに学衆さんたちの頑張りの賜物です。

もし私の貢献がどこかにあったとすれば、指南がめちゃくちゃ早かったことくらいでしょうか。締切ギリギリに出て来た回答も多かったので、夫には仕事を休んでもらい、朝から晩まで席を立つことなく指南を返しました。《知文術》ではエントリー当日、100通近いやりとりがありました。

 

見ていたのは「超細部」です。ここが変われば全体が動くという、その重要な結節点を探して。《物語編集術》は細部だけではどうにもならないので、主人公の負や欠点が魅力になっているかどうかを見ていました。

 

早いペースのラリーは高速編集につながっていきますよね。返信は早くて30分、遅くても2時間以内に。出せば指南が返ると分かると、学衆さんもパソコンの前で待っていてくれるんです。机から立たせないぞ、そんな気持で必死でした。

 

――母なる愛情ですね。以前から包容力と受容力が際立っていた印象です。

 

イシスって不思議なところで、ふつうに暮らしていたら出てこないような弱さや創が、稽古の中で自然と出てくるんです。しかも全然知らない師範代を相手に。その創はもう絶対に無下にしてはならないし、負や不足こそが編集の契機だと私自身も身に沁みています。

 

例えば[破]で自分史を書く稽古がありますね。回答として挙がってくる事象の裏には、消した事象もあるはず。その中に本当は出てきたがっている事象があるなら、それをこそ見たい、知りたい、そこを何とかあぶり出したいと思ってしまうんです。

 

母体質…、ですかね? 確かに19歳のときバイト先で「お子さん何歳?」とは聞かれましたけど(笑)。

昔から小さい生き物に愛情を注ぎがちで、ハムスターを代々10年以上飼っていました。もちろん学衆さんはハムスターではありませんが、懸命に稽古してくれている姿に、つい肩入れしてしまうんです。

                      

    ┌──────────┐

    │    ABC   │

    │┌────────┐│

    ││   AB   ││

    ││┌──────┐││

 周縁から→→  中心へ A  ││

    ││└──────┘││

    │└────────┘│

    └──────────┘

《同心円タマネギ型)》の例。[守]で学ぶ情報レイヤーのひとつで、

外側の層を含みながら内側の核心へと向かう。半分に割ったタマネギのようだ。

 

 

――一方で、小さき生き物をシニカルに表現する見立てもお得意ですね。

 

ああ(笑)。確かに長女が生まれたときは「尻子玉」、3歳のころは「チャッキー」と見立てていましたね。だって存在が怖かったんです。起きて欲しくないときに起きてくるから心が「きゅっ」となって(笑)。

次女は低体重児で生まれてすごく細かったので「枯れ枝」と言っていました。いまはお陰様でぶじに成長しています。

 

見立てを褒められるのは、何を褒められるより嬉しいですね。花伝所でメタファーが良いねと言われたことがあり、それ以来、意識的にアナロジーを探しているところがあります。師範代になると作ってもらえるイシスの名刺は、裏面に好きな編集の型を載せるのですが、私は「見立て」を選んだんですよ。

 

 

■イシツ人吉居奈々の「同心円タマネギ型」

エディトリアル・マンマ度/発展のジュラ紀

 

――そもそもイシスに入門したのは、職場の上司の紹介だとか?

 

そうなんです、現在の職場にはIT業界で〝神〟と呼ばれる浅羽登志也さんも関わっていらして、そこからイシスの情報が入ってきました。私の上長がまず入門し、編集部員は皆受けたほうが良いという話になり、私のような下々も受けさせてもらえることに。

 

そうそう、私の「後ろめたさ」ってここから来ているんですよ。入門からずっと会社の研修費で受講していたんですから。本物じゃないのに良いのかしら…、という思いが常にどこかにありますね。

 

――昔から編集やライターを目指していたのですか。

 

就職活動時から、書いたものが世に出ることを目指して仕事を探していました。でも卒意の人間なので準備不足でどこも受からず、ようやく小さな広告代理店にコピーライター採用されました。

ところが社長とうまくいかず2年で退社。「文章も性格も自己中心的」とまで言われました。

 

その後、翻訳会社、出版業界紙と転職を重ねましたが、活字に関わりたいという思いは一貫していましたね。業界紙では記者志望でしたが広告営業のポストしか空いておらず、記事を書かせてもらえない代わりに一番後ろの情報コーナーを担当させてもらいました。

 

そのコーナーの一環として取材したのが現在の職場。で、私が書いた紹介記事を社長が気に入ってくれたのが「情報工場」とのご縁だったんです。

 

 

■イシツ人吉居奈々の「同心円タマネギ型」

エディトリアル・マンマ度:混迷の三畳紀

 

――活字に関わりたいという強い思いが引き寄せたセレンディピティですね。書くことへの渇望はどこで生まれたのでしょう?

 

自分の書いた文章が喜ばれた嬉しさ、くすぐったさが忘れられなくて。初めてそう感じたのは塾の宣伝文を書いたときです。良くあるじゃないですか、「受講生の声」みたいな。塾の要望にフィットしていたようで、その後何年も私の書いた文章がPRに使われたんです。

 

高校の時に授業で書いたエッセイが、学内の人気投票で一位になったことも嬉しかったですね。

 

とはいえ所詮、素人文章ですからね。いまの職場ではまったく通用せず、原稿を書いても書いても編集長に叩き直され、9割以上書き直すことも珍しくありませんでした。どうして良いか分からず、思い詰めて具合が悪くなったことも…。

 

ところがイシスに入ってからは水を得た魚ならぬ、飢えていた魚。特に[破]では《5W1H》や《いじりみよ》など実践的な文章術を学ぶので「あなたの文章はやわらかくていいね」なんて言われるようになり、もう隔世の感です。

 

 

 

 

■イシツ人吉居奈々の「同心円タマネギ型」

エディトリアル・マンマ度:安定のデボン紀

 

――母体質といえば、お母さんの影響も大きそうですね。

 

影響を受けたのは母と祖母ですね。

おばあちゃんは、満州から命からがら引き揚げて来た人で、すごく気が強いんです。7人姉弟の真ん中でしたが、途中、このまま生きて帰るのは難しいから兄弟のうち誰かが荷物を捨てて一番下の妹をおぶろう、という話になり、祖母は「荷物のほうが大事だから私は嫌だ、そんな子捨ててけ」と言ったらしいんです。

しかもそんな思い出話を、法事の席なんかで皆ゲラゲラ笑いながら話すんですよ。

 

すごいなあ、繊細さとか情緒とか、そういうものすら贅沢という世界を生き抜いてきた人だと、尊敬もするし、辿り着けない人だと思ってます。

結局一番上のお姉さんが荷物を捨てて妹をおぶり、家族全員無事で帰って来たんですけどね。

 

一方で、娘である母はそういう祖母が嫌だったみたいで、何かと衝突していますね。母は何と言うか、とても可愛くて、コマネズミみたいに良く動く努力の人。母なりの世界で苦しんでいたことも多く、その苦しんでいる姿を私にちゃんと見せてくれた人です。

あの頃葛藤していた母がいまの私より年下になってきて、切ないというか、ますます母に肩入れしてしまいます。

 

父の話があまり出てこない?って、そうですね(笑)。20代前半に大好きだった恋人にこっぴどく振られるという大失恋を経験し、ますます女性に肩入れするようになったかもしれません。母には「あの失恋以来、何ごとも良くも悪くもがんばらなくなった」なんて言われましたけど。

 

祖母や母の来し方を私が良く知らないように、私の来し方を娘に伝えていきたいというのは、色々な意味で私のフィルターになっています。

 

 

■イシツ人吉居奈々の「同心円タマネギ型」

エディトリアル・マンマ度:萌芽のカンブリア紀

 

――やはり根底にあるのは、困っている人を掬い取りたい、弱さを晒してくれていることに報いたい、という思いなんですね。

 

私自身が臆病で怖がりだからですかね。

先ほどハムスターの話をしましたが、小学校でもハムスターを飼っていて、その子が脱走してトイレの中で死んだという事件がありました。それまで皆、争うように撫でていたのに、死体になったら誰も触ろうとしなかった。私一人で埋葬しましたが、こういったことがどこか原体験になっていると思います。

 

「地べたっこさま」という絵本をご存知ですか? さねとうあきらの創作絵本で、その中の一篇「かっぱのめだま」にも影響を受けました。淵に住む河童が、河童の甲羅を手に入れたい商人に騙され、岩の上で日干しになってしまう話です。日に当たれば甲羅が取れて人間になれるという商人の話を信じ、やがて溶けて目玉だけになっても友達になってくれる人間を待っている――。

 

 

 

この話を読んで涙が止まらなくなりました。10歳くらいで読む本の影響はものすごいらしく、「世界って、こういう感じかあ」という思いは大きかったですね。哀しくて怖いんだけど、河童が恨み節を言うでもなく、どこか滑稽で面白い。

 

じつは師範代を初めて経験した[守]の終了直後、稽留流産で人生で初めて入院をしました。登板中は妊娠に気づいておらず、心身ともにだいぶ負荷をかけたと思います。

すごく薄っぺらい言葉ですが、小さい命を守ってやれなかった経験は、その後の自分をちょっと変えました。もちろん師範代をやったせいだなんて思っていませんし、その後もロールを続けたのは、やっぱり編集が好きだから。学衆さんも家族も自分も、守り抜くためにと思っているんですよね。

 

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タマネギの皮を剥いて剥いて、あらわれたのはイシツ人の創。

 

ヒリッと沁みるんだけど、ちゃあんと創を癒し、薬箱を探せばいつでもそこに居る。肖って見立ててみれば、イシツ人は創から細胞を生みだす土台を創る、マキロンみたいな女だった。

 

 

※過去の連載シリーズはこちら。

 

  • 羽根田月香

    編集的先達:水村美苗。花伝所を放伝後、師範代ではなくエディストライターを目指し、企画を持ちこんだ生粋のプロライター。野宿と麻雀を愛する無頼派でもある一方、人への好奇心が止まらない根掘りストでもある。愛称は「お月さん」。