イシスの学びは渦をおこし浪のうねりとなって人を変える、仕事を変える、日常を変える――。
乗峯奈菜絵さんは、辞典編纂室で働いている。辞典は「言葉の海を渡る舟」だ(三浦しをん『舟を編む』)。ではどうやって?
イシス受講生がその先の編集的日常を語るエッセイシリーズ。第11回は、「乗峯奈菜絵さんの辞典編纂室の日々」をお届けします。
■■誰かの手摺りとなるように
辞典編纂室に勤めて2年が経つ。主な仕事は原稿整理。用字用語の訂正や記述内容の事実確認をして文章を整えていく。
読む人によって解釈がいろいろにならないように、言葉を限定的に用いながら言葉や概念を「定義」していくのが「コンパイル」だと[守]で教わった。そう、常にコンパイル、それが辞典の仕事だ。項目ごとに限られた字数の中で、事実を誤りなく載せることが求められるため、そこに物語や感想などを加える「エディット」の要素はない。連想や文体遊びを好む自分にとり、彩りのない硬質な文章を読むことは大変であったが、今では半分ほど慣れてきた。慣れないもう半分は、本辞典の特異性による。それは、主な対象読者を天台宗僧侶および仏教修学者・研究者とする『天台学大辞典』だからだ。
天台宗の教理・教学に直接関連する項目を中心とした辞典のため、歴史的な内容であれば何とか読めても、顕教や密教、円戒などの分野の原稿は、専門知識のない自分には極めて難解である。そこはプロの校閲者に委ね、こちらは事実確認に精を出す。
例えば天台座主(ざす)。人名項目に必要な要素は、①生没年の西暦 ②定義的説明 ③字・号・別称 ④生誕年月日・場所・父母 ⑤履歴・活動内容・特長、僧侶の場合は出家の年次、師僧名、主な弟子名 ⑥死没年月日・場所・年齢・墓所、が大まかなものである。この型に則っているか、説明に誤りや過不足はないか。『校訂増補 天台座主記』『日本仏教史辞典』や大日本史料データベースなど、様々なツールを駆使して文献に当たり、記述に問題があれば編纂室メモとして記し、校閲に回す。この過程で難しいのが不足の指摘である。
例えばある書状。『続群書類聚』に所収の原文をはじめ、『群書解題』やほかの参考文献などに目を通すうち、ある天台座主の補任阻止に関わる書状らしいと分かる。執筆の段階で外された内容かもしれないが、こうした「触れなくてもよい?」という情報を挙げておくことも、仕事の一つだ。書かれた情報は容易に検討し削除できるが、その逆は難しいから。指定字数内に必要な情報をどれだけ入れられるか、本辞典が誰かの研究の手摺りとなれるよう、もがきつつ楽しんでいる。
専門家が書いた原稿に自分が何をどう手を付けられるのかと、2年前は大いに戸惑った。それは今でもあまり変わらないが、執筆要項や原稿整理の型と、調べる手立てがあれば、地道に粘ることはできる。明確な文章であれと、心がける日々だ。
▲コンパイルの海を渡るためには、信頼できるコンパイル群が必要だ。写真は乗峯さんが仕事で使う相棒の数々。
文・写真提供/乗峯奈菜絵(43[守]当方見聞録教室、43[破]転界ホログラム教室)
編集/角山祥道、羽根田月香
エディストチーム渦edist-uzu
編集的先達:紀貫之。2023年初頭に立ち上がった少数精鋭のエディティングチーム。記事をとっかかりに渦中に身を投じ、イシスと社会とを繋げてウズウズにする。[チーム渦]の作業室の壁には「渦潮の底より光生れ来る」と掲げている。
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