<多読ジム>Season10・春の三冊筋のテーマは「男と女の三冊」。今季のCASTは中原洋子、小路千広、松井路代、若林信克、増岡麻子、細田陽子の面々だ。男と女といえば、やはり物語。ギリシア神話、シェイクスピア、メリメ、ドストエフスキー、ポール・ボウルズ、アレクシエーヴィチ、『とりかへばや物語』に漱石に有島に春樹に村田沙耶香までが語られる。さらに話は、戦争や民俗学や生物学やフェミニズムやブルシット・ジョブにも展開していく。
就職した頃、お茶汲みと灰皿の片付けは職場の女子の仕事だった。灰皿が追放され、各自で飲み物を用意するようになるまで、それから20年以上かかった。
今ではマイボトルが当たり前。職場の電子機器普及と地球環境配慮の大義名分も、性別で仕事を役割分担する悪しき習慣の絶滅に貢献してくれたと思う。
変えられるのだ、男女の役割だって。
既に、平安期末期の日本で、その違和感を練り上げた物語が誕生していたのだから。
入れ替わる女、こじらせる男
『とりかへばや物語』は、性的役割を逆転して育てられた男女のきょうだいを描く物語である。男装の麗人・中納言は、宰相中将に女性とばれて愛されるが、生まれた子と彼の元を去り、女装を解いた弟と役割共々入れ替わって地位も幸せも獲得する。一方、宰相中将は中納言を喪失した思いを生涯こじらせる。中納言に愛と女の役割を押しつけた報いとみることができるだろう。
心理学者の河合隼雄は、この「入れ替わる」物語で、心と身体の関係や男女の境界線に潜む人間の無意識の深層心理を、ユングのアニマ・アニムスと結びつけながら考察した。物語には、男らしさと女らしさという二分法的思考法ではとらえきれない「たましいの元型」がある。そこへ京都・宇治・吉野という三層のトポスが、意識・個人的無意識・普遍的無意識と呼応し、登場人物の役割交換と絡みあうメタ心理の全体構造を炙り出していく。
さらに、男女の変換を主題とする東西の文学との共通点を追うなかで、バルザックの描く両性具有の天使『セラフィタ』から『とりかへばや』の姉弟に人類の神話的祖先である一対の双生児をイメージする。共に男女両方の愛と知恵を得て社会的にも成功した象徴的存在だ。
さて、大正期の国文学者の「大家」藤岡作太郎がこの物語を「醜穢読むに堪えざるところ少からず」と断言した影響で、同学会では「淫猥な本」と評されている。
うーむ、自分の意に染まぬ内容に難癖をつけて貶めるこの構造は、ものすごく既視感がある。
抗う女、押しつける男
ミソジニーとは、男の女性蔑視であり、女の自己嫌悪である。性的主体(貫く者)として世に君臨する男たちは、その存在意義を脅かす、男になりそこねた男(同性愛者)と女を排除し、差別することで、男同士の絆を保とうとする。彼らは、女を性的客体(貫かれる者)なるモノと決めつけ蔑んで身も心も服従と支配を強いるのだ。
『女ぎらい』の著者上野千鶴子は、このいかにも胸くその悪い男たちのことを観察し、歯に絹を着せずバッサリと論破して打ち崩していく。
女たちは、男たちが仕掛けてくる支配や抑圧に抗い続けてきた。「聖女」と「娼婦」という性の二重基準で分断支配され、性的弱者と貶められて活動の場を制約され、自責感と自己嫌悪の鎖に苛めながらも。宰相中将の圧に屈せず、自分自身の「たましいの元型」を見いだして、我が道を選んだ中納言のように。
男は男たちの集団に同一化することをつうじて「男になる」。そこに、中納言のような身体的に身は「女」で、その心意気は集団を動かす器量に秀でた存在があることを示唆した物語が今に伝わっていることに注目したい。
実は、男自身も「男であること」は、砂上の楼閣だと無意識の領域では気がついているのだけれど、現実社会の「男」意識をおそれ、沈黙してきたのではないか。
<私>を多様に 女も男も
河合隼雄が「たましいの元型」から両性具有の神話的祖先へ連想が広がったように、生物学者の本川達雄は、生物多様性から「次世代や環境という時間的空間的なまわりをも取り込んだ<私>観」を展開していく。
私たちは、地球上の生態系システムから多くの恩恵を受けて誕生し、ご当地の環境に応じ生き続けてきた多種多様な生物の一つにすぎない。何より、元は原初の生物から延々とつながる存在が<私>だという自覚が必要だ。
だからこそ「人類が他の生物と共に地球を分かちあっていることを認め、それらの生物が人類に対する利益とは関係無しに存在していることを受入れ」る生物多様性条約の精神は、自分自身を生かすことに直結する。
地球上には、わかっているだけで約190万種の生物がいるが、人類の活動の影響で毎年全種数の0.01~0.1 %の絶滅が推測されているという。私たち人類には、これ以上戦争や差別で地球を穢す時間なぞ残っていないのだ。
「<私>のサイズを変えればよい」と本川は言い切る。即ち、物理的概念で切り刻まれデジタル思考に囚われて精神のみを主体とする閉じた自我から、一回限りのこの個体も、個体を超え過去や未来と遺伝子でつながる「生命それ自身」もみな<私>だと悟る開かれた自己へ、と。
平安の男女は、逢瀬の喜怒哀楽を和歌に託して明日を夢見た。歌う生物学者本川は、生きものいっぱいな地球に愛を込めた自作の歌を披露して永遠の<私>を願う。
Info
『とりかへばや、男と女』河合隼雄/新潮文庫
『女ぎらい』上野千鶴子/朝日文庫
『生物多様性』本川達雄/中公新書
∈選本テーマ:男と女の三冊
∈スタジオ彡ふらここ(福澤美穂子冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三位一体
∈河合隼雄
1928年兵庫県篠山市生まれ。臨床心理学者。京都大学名誉教授。京都大学教育学博士。2002年2月から2007年1月まで文化庁長官を務めた。1952年京都大学理学部卒業後、アメリカ留学を経て、スイスユング研究所で日本人として初めて、ユング派分析家の資格を取得。その後、国際箱庭学会や日本臨床心理士会の設立等、国内外におけるユング分析心理学の理解と実践に貢献。1982年『昔話と日本人の心』で大佛次郎賞、1988年『明恵 夢を生きる』で新潮学芸賞受賞。その他『中空構造日本の深層』、『とりかへばや 男と女』、『ナバホへの旅 たましいの風景』、『神話と日本人の心』、『ケルト巡り』、『大人の友情』、遺作『泣き虫ハァちゃん』など著作や論文は多数ある。故小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会座長、教育改革国民会議委員、文部科学省顧問をつとめるなど、日本の政治、教育に幅広く貢献している。1995年紫綬褒章受章、1996年日本放送協会放送文化賞、1998年朝日賞を受賞。2000年文化功労者顕彰。2006年8月に脳梗塞で倒れ、2007年7月19日逝去。
∈上野千鶴子
1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了、平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、国際日本文化研究センター客員助教授、ボン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。1993年東京大学文学部助教授(社会学)、1995年東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は女性学、ジェンダー研究。この分野のパイオニアであり、指導的な理論家のひとり。近年は高齢者の介護問題に関わっている。1994年『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)でサントリー学芸賞を受賞。『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社)、『差異の政治学』『当事者主権』(中西正司と共著)(岩波書店)、『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』(平凡社)、『老いる準備』(学陽書房)など著書多数。『岩波シリーズ ケア その思想と実践』全6巻(岩波書店)『増補新版 日本のフェミニズム』全12巻(岩波書店)の共編者、近著に中西正司と共編の『ニーズ中心の福祉社会へ:当事者主権の次世代福祉戦略』(医学書院)、辻元清美との共著『世代間連帯』(岩波新書)。『おひとりさまの老後』『男おひとりさま道』(法研)はベストセラーに。新刊にエッセイ集『ひとりの午後に』(NHK出版)。
∈本川達雄
1948年仙台生まれ。1971年東京大学理学部生物学科(動物学)卒、1975年東京大学助手、1978年琉球大学講師、1991年琉球大学助教授、1986年Duke大学visiting associate professor、1991年東京工業大学理学部教授、2014年東京工業大学生命理工学部教授、2014年4月以降は執筆と非常勤講師。小学校5年の国語の教科書(光村出版)に「生き物は円柱形」掲載以来小学校でのボランティア出前授業に励み、出向いた学校は100校を超える。専門は生物学で、棘皮(きょくひ)動物(ナマコ、ウニ、ヒトデ、ウミユリ)の硬さの変わる結合組織の研究や、サイズの生物学を研究。科学とは自然の見方、つまり世界観を与えるものだという考えのもとに、生物学的世界観を分かりやすく説く著書を執筆している。たとえば、『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)、『生物学的文明論』(新潮新書)、『生きものとは何か』(ちくまプリマー新書)、『ナマコガイドブック 』(阪急コミュニケーションズ)など。高校の生物の教科書を執筆し、理科教育も分かりやすく親しみやすいものにしようという考えから、高校で習う生物学の内容を全70曲の歌にしたCD付き参考書も出している(歌う生物学必修編 阪急コミュニケションズ)。歌う生物学者としても知られ、CD「ゾウの時間ネズミの時間~歌う生物学 日本コロンビア」もある。
細田陽子
編集的先達:上橋菜穂子。綿密なプランニングで[守]師範代として学衆を全員卒門に導いた元地方公務員。[離]学衆、[破]師範代、多読ジム読衆と歩み続け、今は念願の物語講座と絵本の自主製作に遊ぶ。ならぬ鐘のその先へ編集道の旅はまだまだ続く。
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