<多読ジム>Season10・春の三冊筋のテーマは「男と女の三冊」。今季のCASTは中原洋子、小路千広、松井路代、若林信克、増岡麻子、細田陽子の面々だ。男と女といえば、やはり物語。ギリシア神話、シェイクスピア、メリメ、ドストエフスキー、ポール・ボウルズ、アレクシエーヴィチ、『とりかへばや物語』に漱石に有島に春樹に村田沙耶香までが語られる。さらに話は、戦争や民俗学や生物学やフェミニズムやブルシット・ジョブにも展開していく。
月が第7宮にあり、木星と土星が並び立つとき
人々は愛に満ち、地球は平和へと向かう。
アクエリアスの時代の幕開けだ。
調和と理解と共感と信頼が満ち溢れる
(~Age of Aquarius: Musical”Hair”より)
1967年、ベトナム戦争真っただ中、ニューヨークでロック・ミュージカル「ヘアー」が幕を開けた。来るべき21世紀はアクエリアス(みずがめ座)の時代である、俳優たちは声高らかに歌っていた。黒人暴動が激化し、カシアス・クレイが徴兵を拒否し、日本では羽田闘争が繰り広げられ、赤塚不二夫の『天才バカボン』の連載が始まった年である。
◇うお座の時代
西洋占星術では紀元元年~2000年までを「うお座の時代」と呼ぶ。紐で繋がった2匹の魚をシンボルマークとするうお座は、二元性の世界を表している。善と悪、神と人間、支配するものとされるものなど、全てが二極に分かれた社会構造であり、二項対立の時代だったということか。男尊女卑という風潮も、まさにうお座の時代だからこその現象かもしれない。
◇女が男になるとき
洋の東西を問わず、男は戦いに行き女は銃後を守るものという観念がある。産む性である女性を守るためなのかもしれない。しかし、ソ連では第二次大戦中100万人を超える女性が従軍した。他国のように看護婦や軍医というだけでなく、実際に人を殺す兵員でもあった。髪を刈り、男物の下着と軍服を身につけた女たちは、月に一度足下に赤い血を滴らせながら銃を撃ち、自らの血と敵の血で大地を赤く染めた。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』は女性の側から見た戦争の真実を明らかにした作品だ。取材は1978年から開始され、500人以上の従軍女性から聞き取りを行ったが、完成後2年間は出版を許されず、ペレストロイカ後1985年にようやく日の目を見た。
「村に戻ったとき、栄光勲章二つと褒美のメダルをいくつももらっていました。三日間家にいて、四日目の朝、母が起こすんです『あんたのために荷物を用意してやったよ。出ていっておくれ。まだ妹が二人いるんだ。あんたの妹じゃ、誰もお嫁にもらってくれないよ。あんたが四年間というもの戦争に行っていた。男たちの中にいたってみんな知っているんだよ』って」。
従軍手帳を隠し、支援を受けるに必要な戦傷の記録を捨ててまで戦争経験をひた隠しにしなければならなかった女たち。ひとりひとりの証言の向こうに、男性支配の社会があり、国がある。ソ連という「オトコ」の国は、プロパガンダで愛国心を煽り、「オンナ」を戦争に行かせたが、生きて戻ってきた「オンナ」たちを守ろうとしなかった。
◇「ヒメ」の力
『ヒメの民俗学』で宮田登は、柳田国男が雨ごいと女相撲の関連について早くから指摘していたことを語る。
女の裸体に効果があったのか、女相撲の力業に意義があったのかはわからない。しかし、その基礎には、女の霊力が秘められていることは十分に推察できる。
大力とはひとつの隠れた信仰であり、代々家筋として伝わり、とりわけ女性によって潜在的に伝承されていくものなのだ。その力はスピリチュアルなものに加えて、そこにフィジカルなものもあったことを示しているとも思える。
「オンナのちからもちの見世物」/『黄表紙』山東京伝
生死の淵や神との交信、性愛の場において濃密で重要な役割を果たした女性たち。男性の力とは対称的なこの不思議な威力を駆使する女性を、人々は尊敬と畏怖をもって「ヒメ」と呼んだ。オンナの中に潜む「ヒメ」の力、それは決して表立つことはなく、平時は封印されているが、有事にこそ力を発揮するのである。
◇男が女になるとき
明治天皇は幼少のみぎり、女性として育てられていたという。女性の服を身につけ、習いごとも歌詠みなど、女性の嗜む類のものであった。明治維新が起こると、今度は明治政府の権威となり、みんなの脅威にならなければならなかった。つまり明治天皇とは、男性から女性に、そして再び男性へと、性の転換を繰り返した人なのである。
それは、日本が受け身的で弱弱しい「オンナ」の国から、強く能動的な「オトコ」の国へと転換する、日本自体の性転換であったともいえるのではないか。
明治天皇が女性として育てられたのは、幕府に対する謀反の意志のないことをアピールするためだったといわれている。しかし、そこに天皇に「ヒメ」の力を期待する周囲の無意識的な意図を感じるのは私だけだろうか。太古から天皇は国の守り神であり、巫女として予言をし、国を救ってきた。男として生まれながら「ヒメ」でもあらねばならなかったのではないか。だからこそ象徴となり、現人神とも呼ばれたのではないか。
豊作を祈り、治水を行い、戦さでは勝利を司る天皇は必要な時に「オトコ」にも「オンナ」にもなれる存在。それが、本来の日本の天皇であり、日本という国ではなかったか。「オトコ」と「オンナ」の両方の顔をもっている必要があった天皇は、明治以降、昭和まで「オンナ」の顔をしていない。
◇死から生への転換
セルフポートレイト作家の森村泰昌もまた、オトコにもオンナにもなる。1994年4月27日、東大駒場の900番講堂に森村は、マリリン・モンローとして降臨した。森村は、その日のことを自伝『芸術家Мのできるまで』の中でこう語っている。
900番講堂は、1969年三島由紀夫と左翼系学生運動家の大討論会が繰り広げられた場所である。三島もまた女性の習い事の中に育った子どもであったという。そんな三島は、長ずるにつれボクシングや武術を学び、ボディービルをやり、自衛隊に体験入学までした。三島は「オンナ」から「オトコ」へと精神的に性を転換していったのではあるまいか。三島は日本を愛し、そして愛する日本に殺された「オトコ」だったのではないか。
マリリン・モンローはアメリカン・ドリームから生まれ、アメリカン・ドリームによってズタズタに殺された「オンナ」であった。社会のあらゆる規範と戦ったマリリンは「オンナ」であってはならなかったのに「オンナ」だったのでアメリカという「オトコ」の国に殺されたのではあるまいか。 マリリンと三島は反対向きにだが、しっかりと繋がった似たもの同士ではないだろうか。
マリリン・モンローとして「オンナ」と「アメリカ」を身につけ、森村は900番講堂に向かった。三島(=オトコ)に、マリリン(=オンナ)の化粧をさせ、マリリンに三島を入魂する。そして駒場のマリリンとして降臨し、日本でもアメリカでも、また他のどこの国でもないところに自分ともども両者を連れ去った。森村は両性具有の「ヒメ」となり、依代となって二人の「オトコ」と「オンナ」を救ったのである。新しい時代の扉の鍵が廻った。
900番講堂に現れた白いマリリン。
『芸術家Mのできるまで』森村泰昌/筑摩書房より
21世紀になり、20年以上が過ぎ、うお座からみずがめ座へと時代は移った。新しい時代は、まだ始まったばかりであり、二項対立はなかなか終わりそうにない。変化が訪れるのは100年後か、200年後か…。
みずがめ座の支配星は自由と革新の星「天王星」、キーワードは「多様性」「和合」「変化」だ。そして、女性性が前に出てくる時代であるともいわれている。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
『戦争は女の顔をしていない』
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/岩波現代文庫
『ヒメの民俗学』宮田登/ちくま学芸文庫
『芸術家Mのできるまで』森村泰昌/筑摩書房
⊕多読ジム Season10・春⊕
∈選本テーマ:男と女の三冊
∈スタジオふきよせ(松尾亘冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):二点分岐
┌『戦争は女の顔をしていない』
『ヒメの民俗学』┤
└『芸術家Mのできるまで』
⊕著者プロフィール⊕
∈スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
1948年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に生まれる。ベラルーシ人の父とウクライナ人の母をもつ。ベラルーシ大学でジャーナリズムを専攻し、卒業後はジャーナリストとして活動。聞き書きを通して大事件や社会問題を描く。
第1作『戦争は女の顔をしていない』では、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材し、第2作『ボタン穴から見た戦争』では、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々の体験談を集めた。1988年にはソヴィエト連邦の介入下にあるアフガニスタンを取材し、『アフガン帰還兵の証言』でアフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めたが、一般のソヴィエト国民に隠されていた事実が次々と明らかにされ、軍や共産党の新聞に一斉に攻撃される。一部の帰還兵やその母親から、戦争に従軍した兵士の英雄的名誉を毀損したとして政治裁判に訴えられたが、海外の著名知識人の弁護により一時中断となった。
1996年スウェーデンPENクラブよりクルト・トゥホルスキー賞受賞。2005年、第30回全米批評家協会賞ノンフィクション部門受賞。2013年ドイツ書籍協会平和賞受賞。2003年に来日し、チェルノブイリを主題に講演を行なった。
プーチンやルカシェンコには批判的で特にベラルーシではその著書は独裁政権誕生以後、出版されず圧力や言論統制を避けるため、2000年にベラルーシを脱出し、西ヨーロッパを転々としたが、2011年には帰国した。日本では福島第一原子力発電所事故発生後に起こった脱原発の流れの中、『チェルノブイリの祈り』が岩波現代文庫として再刊されたことをきっかけに名が知られるようになった。2015年、ノンフィクション作家として初めてノーベル文学賞を受賞。
∈宮田登
日本の民俗学者。1936年、神奈川県横浜市に生まれる。1960年、東京教育大学文学部卒。「ミロク信仰」・「生き神信仰」や天皇制に関する研究などを行った。また、「都市民俗学」の提唱者の一人でもあった。網野善彦や佐々木宏幹との親交が深く、共著も多い。多くの啓蒙書も記した。
∈森村泰昌
大阪市天王寺区細工谷町生まれ。父は緑茶商。大阪市立桃陽小学校から大阪市立夕陽丘中学校を経て大阪府立高津高等学校を卒業。1年間の浪人生活を経て、1971年、京都市立芸術大学美術学部工芸科デザインコースに入学。1983年(昭和58年)、京都市のギャラリー・マロニエにて初個展を開催。当初は、静謐で幻想的なオブジェや、身体の手足などのモノクロ写真を撮影し関西周辺で発表していた。1985年(昭和60年)、自らが扮装してフィンセント・ファン・ゴッホの自画像になる写真作品を発表。以後、自らがセットや衣装に入って西洋の名画を再現する写真で評価を受けた。
1988年(昭和63年)にヴェネツィア・ビエンナーレの若手グループ展「アペルト」部門、1989年には全米を巡回した日本美術展「アゲインスト・ネーチャー-80年代の日本美術」展に参加し、鮮烈な国際デビューを飾った。当初はシミュレーショニズムやアプロプリエーション(盗用芸術)などとの関連、美術史と人種・ジェンダーとの関連、シンディ・シャーマンなど他のセルフポートレートを手法とする作家との比較で語られた。以後、日本各地や海外での個展やグループ展に多数参加している。2003年(平成15年)に織部賞を受賞。
中原洋子
編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。
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