多読ジム出版社コラボ企画第三弾は春秋社! お題本の山本ひろ子『摩多羅神』、マーク・エヴァン・ボンズ『ベートーヴェン症候群』、恩田侑布子『渾沌の恋人(ラマン)』だ。惜しくも『渾沌の恋人』に挑戦した読衆はエントリーに至らなかったが、多読モンスターの畑本ヒロノブ、コラボ常連の大沼友紀、佐藤裕子が『摩多羅神』に、工作舎賞受賞者の佐藤健太郎、そして多読SP村田沙耶香篇でも大奮闘した山口イズミが『ベートーヴェン症候群』が三冊筋を書ききった。春秋社賞に輝くのは誰か。優秀賞の賞品『金と香辛料』(春秋社)は誰が手にするのか…。
SUMMARY
美しい妻のたどたどしいピアノと若い男のヴァイオリンが奏でるソナタ。その調べにうなされるように夫は不貞を疑い、妻に手をかける。ベートヴェンの音楽に触発されたトルストイが描いた『クロイツェル・ソナタ』には音楽が人を衝き動かす様が垣間見える。
『ベートーヴェン症候群』でボンズは批評家の言葉を拾い集め、「聴き方の歴史」を活写した。作曲家が難聴に苦しむ姿を曲から読み取ることは実は普遍的ではない。それは、ベートーヴェンの作曲法のみならず、市民社会の深化に伴う鑑賞スタイルの変容も反映している。
鑑賞者それぞれの多色な価値観や経験から生まれる解釈を束ねる。それこそがアートの面白さだと、盲目の鑑賞者である白鳥さんと一緒に絵を観ることは教えてくれる。感情を揺り動かす技芸と魂の奥深くから届く叫びだけではないのかもしれない。「分からない」も含めてじっくり味わい尽くせるはずだ。芸術は懐が深い。
◆光と熱に照らされて
「音楽というのは恐るべきものですよ」、悔恨を噛みしめ、ポズヌィシェフは絞り出すように叫ぶ。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」、妻と若きヴァイオリニストが奏でた冒頭のプレストは嫉妬に狂う彼を突き動かし、妻殺しに追いやった。ベートーヴェンの音楽に触発されたトルストイによる『クロイツェル・ソナタ』が描き出すのは禁欲主義だけではない感情を増幅する音楽の力をも浮き彫りにする。
「クロイツェル」を作曲した1803年の前年、ベートーヴェンは日ごとに悪化する難聴への絶望を弟たちに綴ったこの「ハイリゲンシュタットの遺書」に刻まれた苦悩を彼の音楽に読み取る向きは多い。しかし、そのような「聴き方」は彼の生前には決して一般的ではない。器楽に作曲者の内面を見出すようになったのは1830年以降のことだ。それ以前の音楽は修辞的技芸であり、「聴き手の心を動かす媒体」だと捉えられていた。そう、ポズヌィシェフがいみじくも語っていたように。
◆動くことへの戸惑い
『ベートーヴェン症候群』でマーク・エヴァン・ボンズは丹念に批評家たちの言葉を拾い集め、音楽の聴き方の歴史を紡ぎだした。ベートーヴェンの音楽が19世紀前半に起きた聴き方のパラダイムシフトに一役を買ったことは間違いない。彼の音楽は彗星に喩えられた。これまでの作曲家と一線を画す作風が無軌道に映ったのだ。批評家たちは客観的構築物として捉えきれない彼の音楽を読み取るべく作者の意図を手がかりとしはじめる。作り手が技巧を凝らし、聴き手に光を届けるのではなく、聴き手が音楽を理解するように求められるようになったとも言える。もちろん、聴衆が大衆化したことも忘れてはならない。コンサートホールに集まる公衆にとって自伝は作曲家に接近する絶好の指針となった。
第一次世界大戦後、表現の客観性が改めて主張され始める。この背景には、ワーグナーを始めとする19世紀後半の音楽家たちの試みへのアンチテーゼも込められているのかもしれない。作品に芸術家の内的自己を結びつける批評は影を潜め、音楽理論の深化はベートーヴェンの聴き方も変えていく。とはいえ、「器楽が人間の内奥から生じるという信念」は息絶えない。聴き手は芸術の創造プロセスに主観的要素を見出してしまう。ボンズが考古学者のように集めた「聴き方の歴史」を前に聴き手である我々はどう音楽を聴けばいいのか、立ち竦むかもしれない。曲が難解になっただけではない。作曲家の情報に音楽の理論や歴史、知るべきことが多すぎる。
◆超多点観測の可能性
『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』では「知りすぎた」ことの弊害が描かれる。盲目の美術鑑賞者である白鳥さんが求めているのは知識が教えてくれる「正解」ではない。絵を前にして繰り広げられる同行者たちの対話だ。彼らの「わからない」を楽しんでいるとも言える。多かれ少なかれ知識を得た私たちにとって、実は、あるがままに芸術を味わうことこそ難しい。白鳥さんと絵を観ることは「対話」を通し、知識ではなく「見えるもの」と「見えないもの」を共有することだ。時には知識が邪魔をして見えないものが、白鳥さんとの対話を媒介にすることで像を結ぶ。
ボンズが解き明かしたように1830年以降、聴き手は音楽を「解釈」するようになった。しかし、そのための手摺りは自伝だけではなく、もっと多様であっていい。私たちは心の中に蓄積した思い出や経験をもとに芸術を鑑賞し、そのプロセスで個々の価値観が色濃く浮き彫りになる。目の見えない白鳥さんと一緒に鑑賞することがアートの面白さにつながるのもそのためだ。
◆結び目がひらく宇宙
私たちはもっと自由に芸術を解釈していい。「相競って演奏される」ソナタから描かれた物語に触発され、ヤナーチェクは弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」を作曲した。当時、年下の人妻に魅了され、その愛を晩年の旺盛な創作活動の糧としたヤナーチェクの名曲は主人公が妻の不貞を疑う場面から始まる。この第一楽章の愛の主題は、実は妻の殺害に至る最終楽章でも繰り返される。この曲想に文豪に対峙する作曲家の思いを読み取ることもできよう。
惑星のように予想可能な軌道を辿ることなく、変化に富む新たな軌道を生み出したベートーヴェン。彼の死後、音楽の理論が発達してもその神秘は解明されてない。ひょっとしたらそれが作品の創造に入り込んだ主観的要素なのかもしれない。汲み尽くせない可能性を秘めた芸術に接近するのに必要なのは知識や理論だけではない。1つのソナタから連なるように新に芸術が生まれ、白鳥さんを介した対話が絵画の秘密に迫ることを可能にしたように、聴き手がそれぞれ抱く解釈という結び目を多層に束ねていくことこそ、芸術に近づく術なのではないか。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈『ベートーヴェン症候群』マーク・エヴァン・ボンズ/春秋社
∈『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』川内有緒/集英社インターナショナル
∈『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ/光文社古典新訳文庫
⊕多読ジムSeason12・冬⊕
∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ
∈スタジオ♀ポート(増岡麻子冊師)
佐藤健太郎
編集的先達:エリック・ホッファー。キャリアコンサルタントかつ観光系専門学校の講師。文系だがザンビアで理科を教えた経歴の持ち主で、毎日カレーを食べたいという偏食家。堀田幸義師範とは名コンビと言われ、趣味のマラソンをテーマに編集ワークを開催した。通称は「サトケン」。
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