【三冊筋プレス】ウルトラマリンの勉強(金宗代)

2022/05/27(金)10:00
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<多読ジム>Season09・冬の三冊筋のテーマは「青の三冊」。今季のCASTは小倉加奈子、中原洋子、佐藤裕子、高宮光江、大沼友紀、小路千広、猪貝克浩、若林信克、米川青馬、山口イズミ、松井路代、金宗代。冊匠・大音美弥子の原稿が間に合えば、過去最高の13本のエッセイが連載される。ウクライナ、青鞜、村上春樹、ブレイディみかこ、ミッドナイト・ブルー、電波天文学、宮沢賢治、ヨットロック、ロラン・バルト、青水沫(あおみなわ)。青は物質と光の秘密、地球の運命、そして人間の心の奥底にまで沁みわたり、広がっていく。


 


毒死列島 身悶えしつつ
野辺の花
ーーー石牟礼道子

 田中優子さんとの対話の中で石牟礼道子さんがぽつりと詠んだ俳句である(『毒死列島 身悶えしつつ 追悼 石牟礼道子』金曜日)。「毒死列島」の一種合成と「野辺の花」との対比がとっても道子さんらしい。

 

写真は田中優子・石牟礼道子『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』(集英社新書)より。田中優子さんは現在、Hyper-Editing Platform[AIDA]ボードメンバー兼”庵主”。ISIS FESTA SP「『情歴21』を読む 田中優子篇」(2022年4月10日)にも出演した。


 日本の毒死列島化は今に始まったことではない。道子さんはフクシマの背景にミナマタを見た。そしてミナマタの闇の奥と底にゆらゆら沈殿する「もう一つのこの世」をじいっと見つめていた。

 それは、日本最初の公害事件として知られている足尾銅山鉱毒事件によって廃村に追い込まれた、渡良瀬(わたらせ)の水底に沈む谷中村である。谷中村滅亡の事の次第は荒畑寒村『谷中村滅亡史』(岩波文庫)に詳しい。

 道子さんは、金子光晴の弟で詩人・大鹿卓の『新版 谷中村事件ーある野人の記録・田中正造伝』(新泉社)に「こころ燐にそまる日に」という解題を寄せて次のように記している。


わたくしは、おのれの水俣病事件から発して足尾鉱毒事件史の迷路、あるいは冥土のなかへたどりついた。これは逆世へむけての転生の予感である。もはや喪われた豊饒な世界がここにある。人も自然も渡良瀬川の魚たちも足尾の山沢の鹿たちや猿たちも。そのようなものたちを心の底に恋い暮らすよりほかに、いまの日本のごときに生きていられようか。

 

 不知火(しらぬい)の苦海に浄土を発見したように、水底の谷中村に「冥土」を見いだした。「逆世へむけての転生」とは、未来を眼差しながら意識を逆巻いて過去に生まれ変わること。いわば石牟礼道子流のメタヴァースである。

 道子さんは「せつに、田中正造じいさまに逢いたい、彼の魂に逢いたい」(『流浪の民』)と願った。編集的先達の田中正造の魂とともに、谷中村の「もだえ神」になることを決心したのだった。

 

左:荒畑寒村『谷中村滅亡史』(岩波文庫)

右:大鹿卓の『新版 谷中村事件ーある野人の記録・田中正造伝』(新泉社)

 

 千夜千冊0310夜 青地晨『反骨の系譜』(社会思想社)の中で、田中正造は西郷隆盛内村鑑三大杉栄、河上肇、北一輝、石原莞爾、松本治一郎、正木ひろしとともに近代日本の反骨者の9人のひとりとして取り上げられている。このうち、田中正造は内村鑑三とはキリスト教を結節点にして親交を深めた。鉱毒事件では、その内村の感化を受けて、さらに志賀直哉が立ち上がった。
 しかし、このときの直哉の心境は複雑である。尊敬する祖父の直道が足尾銅山の共同経営に参画していたと知っていたからだ。そこへ父の直温(なおはる)が直哉の事件への関与を猛烈に反対した。このことが『和解』『暗夜行路』などの主題である「父との不和」を決定的にしたとも言われている。

 

かつての谷中村の所在地には現在、渡良瀬遊水地が広がっている。谷中村は渡良瀬川、巴波川(うずまがわ)、思川(おもいがわ)に囲まれ、洪水が頻発したため、足尾鉱毒問題をきっかけに遊水地化(実質は鉱毒沈殿池をつくるため)の計画がもちあがり、1906年に強制廃村とされた。その後も田中正造と村民たちは激しく抵抗したが、正造の死後、渡良瀬川を遊水地に流入させる工事が始まり、1922年に工事は完了した。図は『新版 谷中村事件』見返しより。

 

 祖父と父がそれぞれ谷中村の初代村長、二代目村長を務めた詩人がいる。「ウルトラマリン」の逸見猶吉だ。逸見はその出自に葛藤を抱え、あえて「谷中村生まれ」を豪語した。厖大な苦悩の癒しを求めて少年期に志賀直哉を耽読したという。
 「逸見猶吉」というペンネームには、鉱毒事件で闘争する田中正造をたえず支援し続けた実業家「逸見斧吉」へのリスペクトが込められている。これは父親たちに対する反駁である。

 父が村長のとき、鉱毒事件の対応に苦慮し、一家もろとも逃げるようにして離村したのだが、このことが逸見猶吉のうしろめたさと疑心暗鬼をいっそう加速させた。まさに啄木の「石をもて追はるるごとく」、だ。そして、谷中村が近代化の「悲しき玩具」のような、アンデルセンの「鉛の兵隊」のような、そんなヒドいあつかいを受けたことに逸見は激怒している。

 

日暮里の「逸見斧吉」宅で撮影された晩年の田中正造の写真。

『詩人 逸見猶吉』尾崎寿一郎/コールサック社より。


 どうしてあなたたちは正造じいさんや村民たちの味方について闘わなかったのか。権力に媚びへつらってむしろ廃村に加担したのではないのか。逸見猶吉は谷中村廃村まるごとをまるで原罪のようにして引き受けようとした。「ウルトラマリン」にはその苦々しさが鋭く吐露されている。詩語が吃音少年のようにもがいている。
 あるいは逸見猶吉も「もだえ神」になろうとしたわけだから、やはり「迷路、あるいは冥土」という道子さんのライミングがそのまま当てはまるようにも思える。谷中村への鎮魂歌のようにも思える。
 いや、こんな当てずっぽうな感想、どれだけ並べ立ててみたところでまったくもって核心に迫ることはできない。逸見猶吉はこの暗号のような詩にいったい何を託そうとしたのだろうか。何を差し置いても、まず読むべきは詩聖・吉田一穂の絶賛だろう。


その最も新しい尖鋭的表現、強靭な意志の新しい戦慄美、彼は青天に歯を剥く雪原の狼であり、石と鉄の機構に擲弾して嘲う肉体であり、ウルトラマリンの虚無の眼と否定の舌、氷の歯をもったテロリストである。
ーーー吉田一穂(「詩と詩論」第七号、1930年)

 

 

 

 

『定本逸見猶吉詩集』逸見猶吉 編集・菊地康雄/思潮社、1966年刊。

見返しの模様は逸見猶吉の遺品「藍染の木綿布」をうつしたもの。巻頭には逸見が18歳のとき、創刊したリトルプレス『VAK』(1924)の表紙が飾られている。

 

 リアルタイムで当意即妙のレヴューを発表し、逸見猶吉と「ウルトラマリン」を世に送り出したのは吉田一穂その人だった。戦後(つまり逸見猶吉の死後)、高村光太郎は「逸見猶吉の詩の魅力はその稀有な高層気圏的気凛にある」と書き、草野心平や伊藤信吉は「日本のランボオ」だと評したが、すこし遅すぎた。

 アナキスト吉田一穂とテロリスト逸見猶吉。二人は北海道でつながっている。「ウルトラマリン」は「報告」「兇牙利的」「死ト現象」のトリプティク(三連作)からなるのだが、第一の「報告」には「一九二九年秋・函館ニテ」と記されている。そうなのである。「ウルトラマリン」は「ブラキストン線の向こう側」でこそ受胎(conception)したのだった。
 一穂の代表作「母」などが収録された『海の聖母』(金星堂)が刊行されたのは「報告」脱稿の二年前のことだ。函館放浪は当時の啄木ブームの影響も大いにあっただろうが、逸見猶吉が『海の聖母』を読んでいないわけがない。
 一穂のマトリズムと逸見のパトリズム。しかし逸見が北の海に見いだしたものは「母」ではなかった。青騎士のカンディンスキーが青という色に「鋭くて精神的な、男性原理」と見たように、「ウルトラマリンの虚無の眼」に映った色界とは詩語のテロルによって打破すべき「父なるもの」だったのである。

 

逸見猶吉の自筆似顔絵。

『詩人 逸見猶吉』尾崎寿一郎/コールサック社より。

 

『VAK』創刊号に発表した逸見猶吉の油彩画「侘しい追想」。逸見は絵画やブックデザインの才もあるマルチクリエイターだった。『現代詩の胎動期 青い階段をのぼる詩人たち』菊地康雄/青銅社より。

 

左:『詩人 逸見猶吉』尾崎寿一郎/コールサック社より。

中:『逸見猶吉ノオト』菊地康雄/思潮社

右:『「ウルトラマリン」の旅人 渡良瀬の詩人 逸見猶吉』秋山圭/作品社

 

 さて、ウルトラマリンとはアフガニスタンで発掘される宝石(ラピスラズリ)の色、すなわち「海の向こう(ultra-marine)」からやってきたオリエンタルブルーである。仏教では瑠璃光浄土の瑠璃色になった。その薬師如来を本地仏とする疫神かつ防疫神たる大異神・牛頭天王は天地開闢とともに世界が青色化したことを告げる。

 そもそも詩人やアーティストたちは青という色とどのように付き合ってきたのだろうか。『青の物理学』(岩波書店)によれば、ホメロスプラトン、古代人にとっての青は人間ならなざるもの、不気味な雰囲気を漂わせる色だった。

 ゲーテの青は「興奮と静謐という、矛盾したもの」で、「人を引き寄せ、追いかけさせる」。ノヴァーリスの『青い花』は「何もかもが青」く、ボードレールの青空は「大いなる祭壇のように、哀しくも美しい」。メアリー・シェリーのフランケンシュタインは「晴れわたった青空を見つめていると、ながらく忘れていた静謐が心に染みこんでくるようだった」と語る。

 ジョン・ラスキンの青空は女神アテナそのものだった。「アテナの目の明るい青色、彼女の盾の暗い青色が、自然現象に対する的確な神話的表現である」。

 また、マラルメには「永遠なる青空の陰りなき皮肉は、花のように物憂げに美しく、悲しみという不毛の砂漠の彼方から己の天分を呪う無力な詩人を打ちのめす」という「青空」と題した詩があり、カンディンスキーの青は「典型的な天上の色である。青色は、厳粛な気分のうちに、無限へと沈滞していく。青は黒に近づくにつれ、人の領域を超えた悲哀の響きを帯びていく」。

 

『青の物理学 空色の謎をめぐる思索』ピーター・ペジック 訳:青木薫/岩波書店

 

 逸見猶吉は渡良瀬川やベエリングの海、壊れやすい地球の青に何を見たのだろうか。

 フクシマのかつての双葉町も大熊町も、ミナマタのとんとん村も谷中村も、もう戻ってはこない。だが、すくなくとも谷中村という冥土は「ウルトラマリン」の詩に別世、すなわち「もう一つのこの世」としてうつろっている。メーテルリンクなら、「埋宮」と呼んだかもしれない。

 その「ウルトラマリン」は今、新たな目撃者を求めて亡霊のようにサイバー空間を漂泊しつづけている。青空文庫の青色成分表に、実はウルトラマリンという劇薬が混入していることはあまりよく知られていない。

 

逸見猶吉が草野心平に宛てた手紙。尾崎寿一郎は独特の筆跡を髭文字と名づけ、「ウルトラマリン」以降顕著になったことを指摘している。本コラムのタイトルもここからとった。『詩人 逸見猶吉』尾崎寿一郎/コールサック社より。

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕

逸見猶吉の自筆似顔絵と草野心平宛の手紙文中の髭文字「ウルトラマリン」をコラージュ。

 

⊕青の3冊⊕
∈『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』田中優子、石牟礼道子/集英社新書

∈『定本逸見猶吉詩集』逸見猶吉 編集・菊地康雄/思潮社

∈青空文庫「逸見猶吉詩集」

 

⊕多読ジム Season09・冬⊕
∈選本テーマ:青の3冊
∈スタジオヨーゼフ(浅羽登志也冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結

 

『苦海・浄土・日本』━━『定本逸見猶吉詩集』━━「青空文庫」

 

⊕著者プロフィール⊕
∈逸見猶吉
詩人。1907年、栃木県谷中村生まれ(実際は茨城県古賀町)。本名、大野四郎。祖父と父はそれぞれ谷中村初代、二代目村長。兄は二・二六事件の現場に一番乗りした新聞記者で作家の和田日出吉、弟にフォーヴィズムの画家・大野五郎がいる。足尾銅山鉱毒事件をきっかけに、生まれてまもなく離村し、幼少期を赤羽岩淵周辺で過ごす。暁星中学卒業後、早稲田大学に進学。中高生の頃からランボオに親しみ、文学のリトルプレス『蒼い沼』『VAK』『SCALA VERDA』など次々と創刊する。大学在学中には神楽坂にバー「ユレカ」を経営し、1929年、詩誌「学校」に発表した「ウルトラマリン」が吉田一穂の激賞を受けて一躍注目される。その後、一穂と『新詩論』(1932)、同郷の岡崎清一郎や草野心平と『歴程』(1935)を創刊。

1937年、妻の静(写真[下])とともに満州に渡る。1942年、のちに黒澤明が映画原作とした長谷川濬・四郎兄弟共訳の『デルスウ・ウザーラ』を装幀する。また、甘粕正彦が指揮する満映制作の『松花江』(監督:森信 語り:森繁久彌)に作詩家として参加。戦況の悪化につれ、戦争協賛詩の発表を余儀なくされる。

戦後、敗戦国民として「難民」となった日本人の運命を描く『難民詩集』を企図するも未完(遺稿の所在も不明)のまま1946年5月17日、長春にて逝去(享年38歳)。棺には愛用の徳利とランボオの仏語版『地獄の季節』が納められた。水底に沈んだ旧谷中村(現、渡良瀬遊水池)の共同墓地慰霊碑の傍らには「ウルトラマリン」の一節が刻印された詩碑「鎮火」(書:草野心平)がひっそりと置かれている。 

 

逸見猶吉の妻・大野静

『詩人 逸見猶吉』尾崎寿一郎/コールサック社より。

  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:水木しげる
    最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
    photo: yukari goto

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