日本の詩歌論をオーケストラが奏でる。その指揮棒を振ったのは、イシス編集学校の師範だった。
2021年1月に工作舎より『うたかたの国』が出版された。はやくも重版、3月6日には朝日新聞紙上にて、いとうせいこう氏が「切断と融合 編集が導く新思考」と題して讃を贈り、4月には小池昌代氏(詩人、作家)が北國新聞など4紙で「万華鏡のような本」と書評を寄せた。
この本は、松岡正剛が40年以上にわたり綴ってきた著書や千夜千冊から、詩歌に関する選りすぐりのテキストを編みあげたアンソロジーである。松岡詩歌論のベストアルバムともいうべきこの出版企画を松岡にもちかけ、『ハレとケの超民俗学』(工作舎、1979)から『万葉集の詩性』(角川新書、2019)まで膨大な文献の編集にあたったのは、イシス編集学校師範の米山拓矢だった。2021年4月某日、遊刊エディスト編集部が編集者米山にインタビューを敢行した。
全3回に渡ってお送りする『うたかたの国』刊行記念インタビュー。全1.5万字、どこよりも詳しい本記事では、古文嫌いの米山が「うた」に目覚めるまでの半生から、歌の通史をたどる本書の読み方、そして700年後の日本語の様相まで語りつくす。
(聞き手:吉村堅樹 他)
米山拓矢 プロフィール
2007年18期[守]入門。22期[守][破]まれびとフラクタル教室師範代、師範、5[離]典離。風韻講座では連雀もつとめた歌人でもあり、中部短歌会所属。現在は、教科書や学習参考書などを手掛ける出版社に勤務。編集学校との出会いは、旅行パンフレット作成に携わったとき。資料検索中、偶然『花鳥風月の科学』(中公文庫)に出会う。その博覧強記ぶりに驚き、イシス編集学校の門を叩く。
ーー米山さんといえばイシス編集学校で師範になってから、風韻講座の連雀もつとめられ、和歌に詳しいという印象があります。イシスに入門される前から短歌や古典には関心があったんでしょうか。
実は、和歌や古文なんて大嫌いでした。高校生のときは、ただ暗記するべきつまらないものというイメージでしたね。卒業してからはある大学の夜間部に入ったのですが、金銭的な問題などからやめて、そこからは食い扶持を稼ぐため、庭師などの仕事をしていました。
ーー庭師ですか。かなり意外なんですが、なぜ庭師をしようと思ったんですか?
大学を辞めてからは、近所の焼き鳥屋で働きはじめたんです。そうすると、造園屋のお兄さんから「うちくる?」と声かけられて、そのまま庭師に。当時20歳で、手に職をつけたかったんですよ。
ーー意外と苦労人だったんですね……。この行き当たりばったり感は、私吉村と近いものを感じます(笑)
そのまま3年くらい庭師としては働きました。ひとりで現場も行けるようになると、べつの技術が欲しくなって。それでたまたま見つけたのが、週刊誌やガイドブックなどの制作の下請けの編集プロダクションです。
ーーじゃあその時点で「編集」に出会っていたんですね。
いや、当時はその意識はまったくなかったんですよ。ライターとして働いていたんですが、企画書を作っては出版社にFAXを送り、採用されたら仕事になるという完全出来高制だったんです。経験もなかったので、収入は不安定。なぜだか仕事をすればするほど借金は増え、不規則な生活ゆえにどんどん太るというひどい状態になっていました。
ーー新しい技術を身につけたくて飛び込んだのに、技術ではなくて脂肪と悪習が身についてしまったと。
そう、でもその状態を変えるきっかけが27歳のときあったんです。評論家の呉智英さんの講演会に行ったら、たまたま打ち上げに呼んでもらいまして。居酒屋の目の前の席で、呉さんが座っていろいろお話しされているんですよ。
ですが、そのお話がまったくわからなくて衝撃を受けたんです。いま考えれば阿部謹也などの話だったのですが、当時はぜんぜん理解できなくて。
当時は週刊誌のライターだったので、なんとなく世の中のことをわかっていたつもりだったんです。けれど、呉さんと出会って、知識人が前提としている読むべき本を読んでいなかったことに気づきました。これはかなりのショックで、もっと「本を読もう」と決意したんです。
■工場労働しながら読む『共同幻想論』
独自の「書録」と手書きノート
ーーそれまではどんな本を読んでおられたんでしょうか。
ひどく偏っていたんですよね。小学生のとき、父からパール・バックの『大地』を勧められ、おもしろく読んだ覚えがあります。中学に入って太宰治に出会いました。自宅に、母が持っていた『斜陽』や『人間失格』があったんです。そのあとは、澁澤龍彦、中島らも、村上龍など社会から逸脱しているようなものを読むようになりました。
村上龍の本を読んでいたら、解説を柄谷行人が寄せていたんですね。それがおもしろくて、柄谷の本を読んでいるうちに彼の朋友である中上健次を知りました。中上は自分とおなじ肉体労働者だったという点でも大いに惹かれました。西洋のものだと、アンドレ・ブルトンやウィリアム・バロウズを読んでいましたね。
ーー呉さんに出会ってから、どんな本を読み始めたんですか?
なんといっても、呉さんの書かれた『ホントの話』がとくに印象的でした。現代社会の前提となっている「人権」が形而上学的なものだと書かれていたからです。
あとは、吉本隆明の『共同幻想論』もがんばって読みましたよ。編プロをやめたあとはトヨタ自動車の期間工として働いたのですが、その肉体労働から帰ってきたあとに読んでノートにつけていました。
呉さんのおかげで、東は孔子、西はプラトンから、古典は食物連鎖のようにめんめんとつながっていて、いまもつながっているということがぼんやりわかったものでした。
そのころは呉さんの本に出てくるキーブックを全部リストアップして「書録」と名付けてまとめたり、手書きの読書ノートをつけるようになりました。読んでもわからないから、とにかく手で書き写していたんです。
▲吉本隆明『共同幻想論』についての読書ノート。キーワードやホットワードを抜き出し、関連性を図示している。
▲米山がいまでも眺めるという「書録」の1ページ目。『日本語の作文技術』から『フランス革命と左翼全体主義の源流』まで、東西のまたぐ読書リストだ。
■日本の古典は和歌がカギ
三島由紀夫の絶賛する『雨月物語 白峰』とは
ーー呉さんと出会ってからは、どんどんと世界を広げるような読書をしておられますが、和歌に関心をもったのはどんなきっかけがあったんでしょうか。
『新釈雨月物語 新釈春雨物語』(石川淳、ちくま文庫)には驚いたときですね。この本は、高校生のとき表紙にそそられて買っただけでちゃんと読めてはいなかったんですが、解説は三島由紀夫。雨月物語のなかの「白峯」は「完璧な傑作」と絶賛しているんです。
呉さんのリアル講座などで『論語』を学ぶうちに、儒教には革命思想が入っていることを知り、じつは「白峯」もかなり政治思想がはっきりしている作品だと気づいたんです。この「白峯」のあらすじは、平治の乱に負けて四国に流された崇徳院が易姓革命を根拠に国家転覆を願うけれど、万世一系の日本にそれはそぐわないと西行がやんわり諌めるというもの。このようにかなり政治的な話なんですが、なぜか和歌で締めくくられる。「こんな話が和歌で終わっちゃっていいの?!」とびっくりしたんです。
この本を読んで、日本の古典は和歌がわからないと読めないんだと痛感しました。
ーー呉さんとの出会いから、日本の秘密は和歌にあることに気づかれたのですね。松岡正剛を知るのはいつごろだったんでしょうか。
9ヶ月ほど期間工をしたあと、旅行パンフレットを作る制作会社へ転職したんです。パンフレットの資料を探していたらたまたま『花鳥風月の科学』(中公文庫)に出会いました。
ーー花鳥風月みたいなものをなにかパンフレットに生かせないかな、というかんじでジャケ買いしたとか?
そう、見てたのはうわべだけでしたね(笑) 本を開いてみれば、これまた情報量が多くて、最初はまったく理解できなくて……。
ーー『うたかたの国』のあとがきにも、衝撃の出会いについて書かれていていますよね。花鳥風月をシステムとして捉えられるという見方に驚いたということだったんですが、その見方はこの『うたかたの国』の編集にも通じるのでしょうか。
それはありますね。和歌や古文ってしきたり的で情緒的なものだとばかり思っていたのですが、『花鳥風月の科学』を読んでそれが覆ったんですよね。歌も科学やシステム観などでアプローチできる。これには驚いたんです。
■花鳥風月さえもシステムだ
松岡正剛の声に導かれ
▲日本文化を山、道、風など全10のキーワードでシステマチックに解説した名著。この手さばきを安藤昭子は著作『才能をひらく編集工学』のなかで「この上なく美しい『オブジェクト指向モデリング』」と語る。
ーー『花鳥風月の科学』をきっかけに入門されたという方のことはよく聞きますが、米山さんもこのころ編集学校に入られたと。
ええ、2007年、18[守]での入門でした。当時は31歳、歌への関心が続いていたので、[守][破]を終えると[遊]風韻講座に進みました。
ーーイシスに入って、和歌への思いはなにか変わっていきましたか。
幼なごころを思い出しました。思い返せば、古文は嫌いだったんですが、詩歌は好きだったんですよね。小学校高学年のころだったでしょうか、教科書で川端茅舎の「金剛の露ひとつぶや石の上」を読んで、日本の定型詩にめざめたと思います。詩歌的なものだと、宮沢賢治、萩原朔太郎、草野心平、立原道造などを好んでいました。そうそう、中学校の国語便覧に折口信夫の「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」という歌が載っていたのもよく覚えています。歌もさることながら、釈迢空という歌人名が不思議な響きだったんですよね。
ーーすでに折口に出会っていた少年時代でしたか。みずみずしい感性に、言葉がひびいたんですね。
風韻講座では、歌人である小池純代宗匠に手ほどきをうけて、歌のおもしろさに開眼しました。またそれに呼応するタイミングで、歌がいいものだと心底思った体験もあったんです。それは同級生が34歳で亡くなったとき。本を読む気が失せたのですが、そのとき目に入ってきたのが書店で棚にさしてあった『西田幾多郎歌集』(岩波文庫)。ページ数が薄くて、これなら読めるかと手にとったら、そのなかの一首が胸に刺さりました。
君去りて誰と語らむかずかずの思(おもい)まつはるこの頃の世や
このとき思ったんです。歌っていうのは、言葉にならないことをあえて言葉にするものなんだと。
ーー風韻講座で歌の技法を学ぶととともに、心情面でも惹かれていったとは。
はい。そうして学んでいるとき、講座でのリアルイベント「仄明書屋(そくみょうしょおく)」で、はじめて松岡正剛本人に出会ったんです。そこで惹きつけられたのは、その声でした。太い声だったんです。
ーーまず注意のカーソルがむいたのは声だったとは、『うたかたの国』の構成を予言するような反応ですね。その風韻講座をあしかがりに、どのように書籍の企画へ思い至ったのかもうすこしお聞かせください。
▲米山が受講した[遊]風韻講座 第3座淡雪座の韻去式のようす。米山は自選作品集のタイトルを「こころのかたち くちずさむ」と名付けた。
つづく
[interview]『うたかたの国』編集者 米山拓矢に聞くうたの未来
【い】古文嫌いの少年時代(2021/5/8公開)
【ろ】『擬』もどいて、セイゴオくどく(2021/5/11公開)
【は】700年後の返歌待つ(2021/5/14公開)
梅澤奈央
編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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