たしか中学二年か三年の頃のことです。
今は亡き母から「じゅんいちの好きな手塚治虫のマンガがやってるよ~」と呼び出され、テレビの部屋に来てみると、やっているのは「劇場版あしたのジョー2」ではないですか。
「これ、手塚治虫じゃないよ~」とか言いながら、なんとなく見始めたところ、だんだんのめり込んでしまい、気がつくとすっかり釘付けになっていました。特にクライマックスのホセ・メンドーサ戦なんて、もうホントに凄まじくて、あっけにとられながら眺めていたのを覚えています。
そして最後に、あの有名なラストカットが出てきたときには頭が混乱してしまい、どうやって気持ちを落ち着かせればいいのかわかりませんでした。その日の晩はショックのあまり、なかなか眠ることができず、その余韻は翌日まで続き、学校にいる間も、帰りの下校時になっても、まだずっと頭の中をぐるぐる、あしたのジョーが回っていました。それほど映画「あしたのジョー2」の印象はキョーレツだったのです。
監督をしたのは出崎統。ギラギラしたケレン味たっぷりの演出に定評のある人で、彼の個性が最も理想的な形で爆発した大傑作だと、今でも思います。
あまりにアニメのインパクトが強すぎて、その後、原作を読んだ時「あれ?思ったほどたいしたことないぞ」とがっかりした記憶があります。原作の良さに気が付くようになったのは、もう少し大人になってからでしょうか。
さて今回は、その「あしたのジョー」のクライマックスであるホセ・メンドーサ戦の一場面を描いてみようと思います。
ちばてつや「あしたのジョー」模写
(出典:ちばてつや『あしたのジョー』⑳講談社)
ジョーとホセ・メンドーサの戦いは単行本にしてちょうど1巻分。連載にして15回、三カ月以上にわたって繰り広げられました。とにかく何週にもわたって延々とパンチの応酬が続くのですが、緩急のつけ方がみごとですね。1コマ目は少し【俯瞰】気味になっていますが、次のコマではほぼ真横からのアングル。寄ったり引いたり廻り込んだりしながら、形勢がどういうふうに推移していっているのか自然に体感されるように工夫されています。
このページでは「ガスッ」「ドシッ」「ブン」「バキ」と、一コマに一つずつ描き文字を乗せてテンポよく進み、次ページの一コマ目で「ガス、ドカ、ピシ、ズシッ」と、まとめて滅多打ちにされるジョーのコマに続きます。どんどんヤラれていくわけですね。
このページは「起承転結」の四コマ形式になっています。「起・承」と二連発でパンチを食らい、「転」の部分でジョーの【空振り】。そしてここは、ちょっと変わった【L字型のコマ】になっていますね。左上の空白の使い方がみごとです。
そして【最後だけはアングルを変えずに】畳み掛けるようにホセのカウンター。カメラがいっきに寄って思いっきり殴られるジョーのアップになります。
このあと形勢逆転もままならぬまま悲惨な状況が続き、どんどん壊されていくジョーの姿に耐え兼ねた葉子が席を立つシーンにつながっていくわけです。「真っ白な灰」に向かって、まっしぐらに突き進んでいくジョーの姿は痛ましいですね。
■リアルタイム体験
ボクシングマンガにおけるファイトシーンは、今となってはごく当たり前のものになっていますが、これらのスタイルのほとんどは、ちばてつやが独力で完成させていったものです。ボクシングを扱ったマンガは、それ以前にもありました<1>が、本格的なボクシングマンガといえるものは『あしたのジョー』(講談社)が初めてでした。
このジャンルにおける嚆矢にして同時に最終形と言っていいほどのものを、いきなりちばてつやは出してしまったのです。『あしたのジョー』が出てしばらくのあいだ「もうこれを超えるボクシングマンガは現れないだろう」などと言われ、容易に手を出しづらい雰囲気すらあったといいます(それを突破する一つの契機となったのは小山ゆうの『がんばれ元気』(小学館)でした)。
かつて文春ビジュアル文庫で出ていた『少年少女マンガベスト100』(文藝春秋)という本で、174人の選者による大規模アンケートによるマンガのオールタイムベストが選出されたのですが、第一位を取ったのは『あしたのジョー』でした。この本の刊行は1992年で、選者の多くは30代から40代あいだ。つまり、彼らの多くは『あしたのジョー』をリアルタイムで読んでいた世代です。多感な年頃に、ある決定的な作品と同時代を伴走するという経験は、一生消えない刻印を残すものです。今の私たちが、ある程度評価の定まった歴史的作品として『あしたのジョー』を読むのとは、全く異なる経験だったことでしょう。
当時は、寺山修司が力石の葬式をやったり、よど号ハイジャックの実行犯の声明文の中に「われわれは明日のジョーである」といったフレーズが出てきたりと、『あしたのジョー』は、まさに時代の気運を象徴する作品となっていました。
(『少年少女マンガベスト100』文芸春秋)
『あしたのジョー』の連載期間は、1968年1月(発売は1967年)から1973年5月。「LEGEND06 山本直樹②」でも触れたように、左翼運動がピークを迎え、やがて崩壊過程をたどり始める時代層とぴったり一致しています。『レッド』(講談社)の事件は、まさに『あしたのジョー』の連載中に起こった出来事でした。
すでに連帯の夢をナイーヴに信じることは困難なものとなり、「ニヒリズム」が一種の流行となっていました。孤独にストイックに自滅の道をたどっていくジョーの姿は、時代の気分とシンクロしていたのでしょう。
■少女マンガとスポーツマンガ
ちばてつやは1939年生まれ(以前ご紹介した水野英子と同い年です)。赤塚不二夫や林静一と同じく満州の引上げ家族の出身でした<2>。デビューが貸本マンガで、しばらく少女マンガ家として活動していたという経歴も赤塚などと似ていますね。
これまでにも少女マンガを描いていた男性マンガ家は何人かご紹介してきましたが、彼らにとって少女マンガは、ブレイク前の前史という意味合い以上を出るものではありませんでした。
しかし、ちばてつやの場合は違います。ちばてつやは、少女マンガの世界に全く新しいスタイルを導入し、のちに多くのフォロワーを生み出す重要な位置を占めることになるのです。
ちばてつやは、講談社の「少女クラブ」、のちには「少女フレンド」の看板作家として、1958年から68年までのあいだ、途切れることなく連載を持っていました。少女誌最後の連載作である『テレビ天使』(秋田書店)にいたっては、『あしたのジョー』の連載時期と重なっています。
ちばてつやの少女マンガの特徴は、日常のディティールを丹念に描いていくところにありました。それがステレオタイプになりがちな少女マンガの話法に大きな変革をもたらすことになります。派手なドラマがなくても、何気ない日常のリアリティやキャラクターの魅力によって、十分に読者の心を掴みうることを、ちばてつやは証明してみせたのです。
あの里中満智子も、子どもの頃からの、ちばてつやファンで「男の名前だけど、きっと女の人に違いない」と思い込んでいたと言います。
このような生活のリアリティを描いていく、ちばてつやのタッチは、一つのプロトタイプとして、のちに多くの作家に影響を及ぼしていくことになりました。こうの史代(「この世界の片隅に」など)の遙かなるルーツは、ちばてつやにあるのです。
(『1・2・3と4・5・ロク』③汐文社、『ユキの太陽』④講談社、『みそっかす』①講談社)
そんなバリバリの少女マンガ家だったちばてつやの、少年マンガ家としての本格デビューは1961年、創刊間もない「少年マガジン」で始まった『ちかいの魔球』(講談社)でした。この作品で、いきなり大ヒットを飛ばしたちばてつやは、たちまち「マガジン」の主力作家の地位を築き上げてしまいます。
少女マンガで培われたちばてつやの作劇スタイルは、少年マンガに移ってからも大いに生かされることになります。
スポーツマンガの中に、内面のドラマを導入したのが、ちばてつやでした。
スポーツマンガでは、ときに自在に伸縮する不思議な時間が流れると、以前に書いたことがありますが(「鬼滅の刃」の回参照)、これを最初に導入したのが、ちばてつやの『ちかいの魔球』だったのです。
日本のスポーツマンガの中でも、野球とボクシングは、質量ともに重要な位置を占めていますが、この二つのジャンルのフォーマットを作ったのが、ちばてつやでした。
(ちばてつや『ちかいの魔球』①秋田書店)
■ほんとうは真っ暗なちばてつや
少年誌におけるちばてつやは、基本的にスポーツマンガの人でした。天真爛漫で明朗快活な主人公が、周囲を巻き込んで、のびのびと大暴れするのが持ち味といえます。
しかし、それだけでは収まらない側面が、ちばてつやには感じられます。
ことに『あしたのジョー』などは、修羅の道にがんじがらめになっていく人間の暗黒面を描いていて、美しくはあるものの、どこか空恐ろしい雰囲気が漂っています。連載後半、パンチドランカーとして心身ともに崩壊の過程をたどっていくジョーの姿には、ある種の嗜虐性すら感じさせました。
中学時代の私がアニメ版を見てショックを受けたのも「感動」と言うよりは「脅威」とでも言うべきで、ホラー映画を見たときのような感覚に近かったように思います。
よく考えれば、ボクシングって、つくづく野蛮なスポーツですよね。互いの身体を壊し合うことによって勝敗を決するスポーツが、近代競技としてオリンピック種目にもなっているのは、なんだか異様な気もします。
同じ格闘術に端を発した競技でも、柔道やレスリングなどは、様式化・洗練化されるにともない、直接的なダメージを与えることは回避されるようになりました。剣道やフェンシングなども、もともとは鋭利な刃物による殺傷能力を高めるための技術だったのが、競技化するに従い、特定のルールによるポイントを獲得していく方向に整備されていきます。
その点、ボクシングは、あまりにもあからさまに、互いの身体を破壊し合っています。判定にもつれ込むこともありますが、基本的にはダメージにより相手が昏倒したら勝ち、というのは凄いルールですよね。「パンとサーカス」の時代の残酷さがそのまま露呈しているような気がします。
「あしたのジョー」には、こうしたボクシングが本来的に持っている野蛮で戦慄的な側面が充溢しています。
この作品にみなぎる独特のテイストは、もう一方の原作者である「高森朝雄」こと梶原一騎によるものでもあったでしょうが、それと同時に、もともと、ちばてつやには、そうした底知れぬ暗さを抱えた闇の側面があったことも忘れてはなりません。
実は、ちばてつやには、救いがないぐらい真っ暗な作品があります。1970年1月から8月にかけて<3>「週刊ぼくらマガジン」<4>に連載された『餓鬼』(講談社)という作品です。
ダム建設による巨額の資金が一寒村に流れ込み、金の亡者となった村人達によって半殺しの目に遭った少年が、世の中に復讐をするために犯罪を重ねていくという物語。終局に向けての救いのない展開は、類を見ないレベルです。
この超絶級の暗さを持った『餓鬼』は、ちばてつやという作家の本質を知るにあたって必読の作品といえるでしょう。
(ちばてつや『餓鬼』①②講談社)
■その後のちばてつや
矢吹丈は燃え尽きて、真っ白な灰になりましたが、ちばてつやは燃え尽きることはありませんでした。
『あしたのジョー』の連載終了から、さほど間を置かず、『おれは鉄兵』(講談社)の連載を開始。「ビッグコミック」でも『のたり松太郎』(小学館)が始まります。どちらの作品も大ヒットし、長期連載となりました。『鉄兵』のあとも、「マガジン」では『あした天気になあれ』、『少年よラケットを抱け』(講談社)と描き継がれ、1994年に連載が終了するまで途切れることはありませんでした。
1961年に連載の始まった『ちかいの魔球』以来、実に三十余年もの間、ずっと「少年マガジン」の看板作家であり続けたのです。
(ちばてつや『のたり松太郎』①小学館)
ちばの最高傑作と推す人も多い
『少年よラケットを抱け』も、人気のうちに順調に連載が続いていたのですが、長年の過労がたたり、ちばてつやは心臓疾患のため緊急入院、さらに網膜剥離も起こして執筆が困難な状況になります。
このまま連載を続けていると先生の命に関わると考えたちば夫人は、独断でスタッフ全員に退職金を渡し、ちばプロを解散してしまいます。退院して家に帰ってみるとスタッフ部屋がもぬけの殻だったので、ちば先生は心底びっくりしたとか。
「最初は、なんてことしてくれたんだと思ったけど、だんだん落ち着いて考えてみると、あれで助かった」とちば先生は回想しています。
それを機に、ちば先生は、ながらく実質的な引退状態となっていましたが、2015年末より「ビッグコミック」にて『ひねもすのたり日記』(小学館)の連載が始まりました。月2回4ページというゆったりしたペースながら、現在も連載が続いています。今月末にひさびさの最新刊(第四巻)が発売になるようですね。
昨年、NHKのドキュメント「屋根裏のちばてつや」(2020/6/1放送)に出演されていましたが、81歳のちばてつや先生が、草野球やテニスなどで豪快なプレーをしてみせていたのには驚かされました。いつまでもお元気な姿でいてほしいですね。
◆◇◆ちばてつやのhoriスコア◆◇◆
【俯瞰】81hori
ちばてつやといえば「俯瞰の魔術師」と言っていいぐらい、とにかく俯瞰を使うのが上手い人です。
【空振り】75hori
よく見ると、ジョーの腕が異様に長いですが、パッと見には違和感がありませんね。これもマンガならではのマジックです。
【L字型のコマ】73hori
右上の欠けたL字型のコマの切り方は、どうも、ちば先生のお好みらしく、よく出てきます。
【最後だけはアングルを変えずに】69hori
とはいえ、ホセの身体がほぼ90度、横倒しになっているのは面白いですね。
<1>ボクシングを扱ったマンガ
それ以前にもボクサーやボクシングを題材にしたものは、いくらかありました。益子かつみ「鉄拳涙あり」(1963年)という作品では矢吹という名の主人公やジョーという少年が出てきます。また、「あしたのジョー」が始まる少し前に、さいとう・たかをによる「カウント8で起て!」という作品が「少年マガジン」に載っています。前後編60ページに及ぶ当時としては本格的なボクシングマンガでしたが、今見ると、やはり技法的にも前時代的なものに見えます。
<2>満州からの引き上げ
『餓鬼』や、『あしたのジョー』の金竜飛のエピソードなどに、ちばの満州からの引き上げ体験が反映されているとの指摘もよくされます。ご本人も「そう言われればそうかもしれない」と答えているとか。
ちばの満州での体験は、「屋根裏の絵本かき」などで少し触れられたほかは、これまであまり語られることはありませんでした。終戦から帰国まで一年近くかかり、その間、絶えず身の危険にさらされながら各地を転々としていたようで、そうとう過酷な体験だったはずです。親子全員が無事に帰国できたのは、ほとんど奇跡と言っていいでしょう(赤塚不二夫の場合は妹を二人も亡くしています)。こうした体験については「家路 1945〜2003」、『ひねもすのたり日記』など、今世紀に入った頃から徐々に語られるようになってきました。
<3>1970年1月から8月にかけて
並行して連載していた「あしたのジョー」では、まさに力石が壮絶な最期を遂げ、その後まともにボクシングができなくなったジョーがドサ回りの草拳闘に身を落としていくどん底の時期に当ります。
<4>「週刊ぼくらマガジン」
講談社の月刊誌「ぼくら」の後継誌として1969年創刊された雑誌で、「少年マガジン」読者層の高年齢化(「松本零士」の回の「ホリエの蛇足<1>」を参照)のために取り残されてしまった年少読者層を取り込む意図もあったと言われています。しかし、そのわりには硬派で大人な作品も多く、『餓鬼』の他にも、以前当欄で紹介した永井豪『魔王ダンテ』や、のちに小説版が大ヒットシリーズとなる平井和正原作の『ウルフガイ』などが連載されていました。
アイキャッチ画像:ちばてつや『あしたのジョー』⑪講談社
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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