今を去ること12年前の春のこと、編集学校・破の汁講のために上京した際に、江戸川橋の現代マンガ図書館に立ち寄りました。目的は「漫画アクション」1973年8月4日増刊号を借り出し、大友克洋のデビュー作「銃声」を読むことでした。
大友は、これほどの人気作家なのにもかかわらず、意外と単行本未収録作が多く、とりわけ初期作品は、ほとんど見ることができません。それで以前から興味があった大友のデビュー作を、上京の機会を利用して見に行こうと思ったわけです。
いったいどんな絵なんだろうとドキドキしながら開いてみたところ
全然フツーに大友克洋じゃん!
19歳の若い大友の絵は、最初っから完成され過ぎていて、可愛げも何もありゃしませんでした(笑)。
■大友パンデミック
大友克洋の魅力といえば、とにかくその圧倒的な画力にあります。大友の作画スタイルが、後進にいかに凄まじい影響を及ぼしたかについては今さら言うまでもないでしょう。
80年代のマンガシーンをリアルタイムで覚えている人なら、当時、大友タッチを、まるパクリしたような作品がウヨウヨ大量発生していたことをご記憶かもしれません。皆が皆、あの描線のとりこになってしまったのです。
よく「○○以前/○○以後」という言い方がされますが、大友克洋ぐらいドラスティックな「以前/以後」を実現した作家はいないでしょう。爆発的な感染力によりパンデミックが起こり、マンガの風景が一変してしまったのです。
その影響力は、直接的な影響を被った人だけにとどまらず、二次感染、三次感染という形で広まり続け、その過程でたくさんの変異株が形成され、さらなる浸透と拡散を続けていきました。
今となっては、そうした浸透と拡散が、すっかり行きわたってしまい、大友の絵の持つ革新性も見えにくくなってしまったかもしれません。少し前に、日清カップヌードルのコラボCMが出たとき、「なんか、ありがちな絵じゃん」みたいな感想が、若い人たちの間で飛び交っていたのを見てのけぞった覚えがあります。
今や大友タッチは皆が共有するテンプレートとなっており、いまさらオリジナルを詮索するのは野暮な話なのかもしれません。
とはいえ、大友克洋が、今の若い人にまるで訴求しないほど古びてしまったとも思えません。今でも書店に行くと、『AKIRA』全六巻が、三十数年前の造本のまま、新刊として堂々と並んでいます。ロングセラー商品として、今でも確実に売れ続けているということでしょう。日々、膨大な数の単行本が刊行され、入れ替わりの激しいこの世界で、これは極めて異例なことです。大友マンガが、今の若い世代にとっても、ふと手に取ってみたくさせる魅力的な作品として、現役バリバリであることを示しています。
というわけで今回は、その『AKIRA』からの一ページを模写してみましょう。
大友克洋「AKIRA」模写
(出典:大友克洋『AKIRA』③講談社)
大友克洋といえば、アンチ劇画、アンチGペンの人で、とにかく丸ペンで【均一な細い線】を描く人だと言われています。しかし、実際に模写してみてわかったのは、わりとタッチがあるんですね。これはちょっと意外でした。
ただ、コマ割りは非常にスクエアです。【タチキリ】もまず見受けられません。アキラ覚醒で東京が壊滅するシーンですら、ちゃんとフレームがあるんですね。コマの変化や話法の工夫で見せるのではなく、純粋に絵の力だけで勝負しようとしていることがわかります。【カットの割り方も正統的】ですね。大友のカットは非常に映画的とも言われます。
絵の中身の方に目を転ずると、まず人物の描き方に特徴がありますね。
従来の少年マンガや劇画のキャラの立ち姿とはちょっと違います。ポーズをとっていないんですね。いしかわじゅんは、大友のことを、動きと動きの中間を描く人だと表現していましたが、あたかもフィルムの一コマを無作為に抜き取ったかのような、微妙な立ち姿を描いて見せるのですね。
ものすごくリアルな日本人顔というのも斬新でした。頬骨の目立つ輪郭に細い眼、ほうれい線の描き方など、大友キャラには独特のタッチがあります。だいたい、ほうれい線をカッコよく描くなんて大友以外の誰が思いついたでしょう。
それから一コマ目にちょっとだけ見えますが、壁のシミやひび割れの表現なども、ずいぶん、のちの作家に影響を与えたものでした。
そして、二コマ目以降に出現する、この皮膜のような立体感のあるギザギザ!これ、めちゃめちゃカッコいいですね。爆発雲や排気や弾道、土煙など、いろいろなバリエーションがありますが、こういうエッジの立った破裂線にも大友の独特の個性が現れています。
それにしても、大友克洋は、どうも球体に大変なこだわりがあるらしく、「Fire-ball」や『童夢』などもそうですが、ここぞというところで必ず球体が出てきます。サイキックなパワーを球体のイメージで表現する方法は、「ドラゴンボール」のかめはめ波をはじめとして、大友以後、すっかり定着したスタンダードとなりました。
■ストーリーテラー大友克洋
ことほど左様に大友克洋といえば誰もが認めるスーパー・テクニシャンなのですが、物語作家としての力量も見逃せません。
吉本隆明は、大友のことを「ひと口にいえば、とても特異な物語というのがこの人の特徴なんじゃないかなということです。とても特異な、奇妙な物語が先にすすんでいって、結局、絵があとからくっついていく。むしろそう考えたほうがいいほど、物語の特異さが先行しているように思うんです。」(「アニメーション、いま新しい段階へ」(対談りんたろう)初出「野生時代」83/4月号)
と述べています。
これは一般的なイメージとは逆の理解のようでいて、案外、正鵠をついているのではないでしょうか。
あまりにも圧倒的な画力、そしてその影響力の大きさから、「大友=絵の人」というイメージが強すぎるのですが、実は大友克洋は「ネームの人」でもあるんですね。端的に言って、“マンガ”がめっちゃ面白いからこその人気なのです。
『AKIRA』や『童夢』は言うまでもありませんが、『ショート・ピース』や『ハイウェイスター』に収録されているような、初期のATG風青春グラフィティーな作品群も、よくよく読むと、結構エンタメしてます。あくまでもドラマチックな展開を拒否したような、グダグダした物語ばかりでありながら、どれ一つとして退屈なものはなく、むしろぐいぐい読まされてしまうのですね。
物語を全然回収しようとはせずに、途中でヘンなところで終わってしまうのも特徴的です。「スカッとスッキリ」、「NOTHING WILL BE AS IT WAS」、「雀が中」などなど、皆おかしなところで作品が終了しており、この寸止め感が、なんとも心憎いところです。「宇宙パトロール・シゲマ」にいたっては、物語の回収どころか、謎の回収すらしないので、読者はとことん宙づりにされてしまいます。
70年代末に、大友を「ニューウェーブ」として支持していた初期のフォロワーたちは、画力もさることながら、まずもって、あの独特の切り口、語り口に舌を巻いていたわけです。
『絶対安全剃刀』に収録されている高野文子の初期作「方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行」は、ほとんど大友パロディといってもいいような作品ですが、当時の大友マンガは、絵もさることながら、語り口こみで「真似してみたい」という誘惑をそそるものだったのですね。ドラマの起伏とは別のところで読者をグイグイ引っ張っていく大友の初期作は、80年代以降の日本の短編マンガのスタイルに決定的な影響を及ぼしています。いわゆる「日常系」などと言われているものも、元をたどれば70年代の大友マンガに行き着くのではないでしょうか。
つまり、大友は、作画、作劇の両面にわたって、日本マンガに後戻りの効かない決定的な変化をもたらしたのです。
■大友「が」影響を受けた人
今や「世界のオオトモ」となった大友克洋ですが、その受容のされ方には段階があります。
批評家の村上知彦は「大友克洋の名が、マンガファンの口に上るようになるのは、連作「傷だらけの天使」を終えた’76年ごろだったように記憶する」(「芸術新潮」2012年4月号)と記しています。しかしそれは村上氏のような、よほどディープなマンガ読みの人たちの話でしょう。一般的には「Fire-ball」が発表され、『ショート・ピース』『ハイウェイスター』が相次いで刊行された79年あたりからではないでしょうか。
それまでの大友は、超絶的な画力を駆使して、若者の冴えない日常を描くシブい作風の人でした。絵の作法も、単なるリアリズムにとどまらない独自なもので、劇画的リアリズムを一掃したものです。
(大友克洋『ショート・ピース』『ハイウェイスター』双葉社)
それ以前の「リアルな絵」といえば、第一に指を屈すべきは宮谷一彦でした。
非常に緻密で写実的な絵を描く人で、当時、非常に人気があった作家です。音楽好きの人なら、はっぴいえんど「風街ろまん」のアルバムジャケット、と言えばピンとくるのではないでしょうか。トーン削りや、トーンの重ね貼りを初めてやったのが宮谷というのが定説になっています。この人は、フリーハンドで絵を描くと、デッサンがなんだか微妙だったりもするのですが、見開き大ゴマで、写真のような絵を描かせると、とてつもない絵を描いてしまう人でした。ちょっと暑苦しすぎる作風のせいで、しだいに時代とマッチしなくなり、いつしか消えてしまったのですが、後進に与えた影響は大きいものがあります。
(宮谷一彦『ライクアローリングストーン』フリースタイル)
宮谷のリアリズムの特徴は、現実らしさより、写真らしさにありました。望遠レンズで撮ったような遠近感のないカットとか、新聞や雑誌などのドットの粗い写真の質感を再現することによってリアルな感じを出していたのです。これは部分的に大友にも受け継がれています。大友が創始したとされるヘッドライトの残像表現などは、実物のリアルさではなく、映画や写真などのレンズを通したリアリズムなんですね。
2012年に開催された大友克洋GENGA展は、最初期の習作的原稿まで展示した貴重なものでしたが、初期原画を見て驚いたのは、予想以上に大友が宮谷タッチの影響下にあったということです。
『ハイウェイスター』巻末に寄せられた川本三郎の、あまりにも有名な推薦文「大友克洋はわれらの同時代人」以来、「大友は白い」というのが定番的物言いになっていますが、初期大友は、まさに宮谷的な黒々とした描き込みを行っています。
「ガロ」や「COM」などの前衛的でトンガったマンガが一番勢いを持っていた時期に青春時代を送った大友克洋は(大友は「COM」派だったそうですが…)やはり、その影響をもろに受けていたのです。
それから、大友が、画風の面で直接的影響を受けているのではないかと推測されるもう一人が、村野守美です。
村野の作品を読んだことのある人なら、すぐさま「大友っぽさ」を感得できると思います。一瞬、大友の影響を受けた人なのかと勘違いしそうですが、世代は村野の方が先なんですね。高校時代に大友克洋は村野先生のところにマンガの持ち込みをしたことがあるそうなので絵的にも影響を受けているでしょう。
また、デビュー後しばらくしてからになりますが、フランスのBD作家メビウスからの影響は、よく指摘されています。
■「Fire-ball」の衝撃
初期大友は、これら先人の技法を受け継ぎつつ、十代の頃に浴びるように見たアメリカン・ニューシネマやATG映画などの影響下、アンチヒーロー、アンチ物語のスタイルで、日常のディテールをスナップショットのように切り取る作風で注目を集めてきました。
その作風に転機が訪れるのが、79年初頭に発表された「Fire-ball」です。『彼女の想いで…』の自作解説によれば、大友がSFっぽいものを描きたいと思い始めたのは、前年半ばの「つやのあとさき」を描いていた頃からだったそうですが、なかなか編集者の同意を得られなかったようです。編集者の反対の理由はわかりませんが、それまでの大友のタッチからは、とうていSFなんて無理、と思われたんでしょう。
ところが、なんとか編集者を説き伏せて描き上げた「Fire-ball」が大評判を呼ぶことになります。従来の日本のマンガには全く見られないサイバーパンクなスタイルは斬新極まりないものでした。批評誌にも、しばしば取り上げられるようになり、それまで注目をしていなかった層にまで届くようになったのです。
ただ、大友自身は、この作品を未完成品と考え、いずれちゃんと加筆するつもりで、なかなか単行本化されることがありませんでした。
ようやく『彼女の想いで…』に収録されるまでの十年余りの間は、初出掲載誌で読んだごく少数の人しか、その内容を知らず、幻の作品のように扱われていました。
(大友克洋『彼女の想いで…』講談社)
さて、「Fire-ball」でブースターに火がついた大友克洋が、いよいよ加速していくのが、80年初頭より雑誌掲載が始まる『童夢』からです。
高層団地を舞台にしたモダンホラーとも言うべきこの作品は、これまでの大友作品と比べると、構成が格段にしっかりしています。日常の一断面をさらりと掬い取って、センスのいい切り口で見せてくれる従来までの作品スタイルとはずいぶん違ったものでした。
初出は、かなり間を置いた形で四回に分けて雑誌掲載されていますが、単行本化にあたって、かなりリニューアルしています。特に最終回は全面改稿に近い形で、最終的には百ページ近い増ページになりました。
「えっ?こんなとこで終わり?」っていう唐突感が、ある種の持ち味でもあった大友作品に、緊密な構成力が加わり、大きなクライマックスと静謐なラストで終わる、水も漏らさぬ完璧な作品が出来上がってしまったのです。
圧倒的な画力の上に、この構成力が加わると、もはや向かうところ敵なしです。『童夢』は各方面で話題になり、マンガ作品にもかかわらず、日本SF大賞まで受賞してしまいました。
基本的に小説の賞である日本SF大賞が、マンガに賞を授けてしまったことに苦言を呈したのが、実は手塚治虫です。半分はやっかみからくる不満の表明でした。手塚治虫に嫉妬されるということは、すなわち「マンガ家としてホンモノである」というお墨付きをもらったも同然。ここで大友克洋は、晴れて大作家として認定されることになったのです。
(大友克洋『童夢』双葉社)
■大友克洋、世界へ
一方、「Fire-ball」の仕上がりに、内心不満を感じていた大友は、この設定とビジョンをもう一度ブラッシュアップし、完全な新作としてリニューアルしてみようと考えます。それが「ヤングマガジン」1982年12月20日号から連載開始される『AKIRA』でした。
じっくりとした描き込みで熟成された作品を、一品一品発表していく短編型の作家であった大友が、そのスタイルを大幅に切り替え、アシスタントを動員し大量生産する、日本マンガの主流スタイル・雑誌連載に挑んだのです。
しかし、大量生産となっても、大友の絵に対するこだわりは一切の妥協を許しませんでした。
総ページ数2000ページを超える原稿は、全カットが芸術品と言ってもいいクオリティです。2012年のGENGA展で、そのオーラに圧倒された人も多いのではないでしょうか。
(大友克洋原画展実行委員会『GENGA』パイインターナショナル)
大友の、この作品は大反響を呼び、足掛け九年にわたる長期連載となりました。そしてその反響は海外にもおよび、今や熱狂的なファンを多く持つことは、皆さんご存じのとおりです。
今では日本のマンガは、かなりマイナーなものまで含めて数多く世界中に翻訳されています。そのきっかけを作ったのが『AKIRA』でした。
1988年に刊行の始まった北米版『AKIRA』は、彼の地のアメコミスタイルに合わせ、原稿を左右反転させて左開きにしたうえで、彩色を施し、さらに一冊一冊を薄いものにしていました<1>。当時、何かの雑誌に紹介されていた北米版のカラー原稿を見て、大きな失望を覚えた記憶があります。大友の線の魅力が台無しになっているように見えた上、一冊数十ページというのも、作品の魅力を削ぐのではないかと思いました。こんな形で、アメリカの人たちに大友の魅力が伝わるのだろうかと不安を覚えたものです。
しかし、それは全くの杞憂でした。『AKIRA』はアメリカのマンガファンたちに大いに歓迎され、受け入れられたのです。今では、日本のマンガは欧米でも、普通に右開きモノクロで刊行されるのが普通です。『AKIRA』はちょうど大リーグにおける野茂英雄のように、MANGA海外進出の先導役となったのです。
(大友克洋『オールカラー国際版AKIRA』①講談社)
こうして名実ともに世界的作家となった大友克洋ですが、『AKIRA』の連載終了後は、ほとんどマンガの執筆はしなくなり、アニメや実写映画の監督など、映像関係の仕事がメインとなっていきます。
時折、思い出したように短い新作マンガを発表し、相変わらずの達者な筆致で楽しませてくれますが、まとまった作品発表がないので、どうにももどかしい限りです。
近々、大友克洋の全集が出るとかいう噂ですね。
公式ホームページも開設され、巻頭には「2021年全集刊行!」と大書されています。いつ頃、どういう形で出るのか分かりませんが、「2021年」も押し詰まっていますので、そろそろ何らかのアナウンスがあることでしょう。
冒頭にも書いたように、大友克洋は、書籍化されていない作品が多い作家です。可能な限りすべての作品を、初出掲載時のまま採録する、という今回の全集企画、ほんとうに楽しみですね。是非とも実現してもらいたいものです。
◆◇◆大友克洋のhoriスコア◆◇◆
【均一な細い線】75hori
均一といっても、ミリペンのようなフラットさではないですね。丸ペンには丸ペンのタッチがあります。
【タチキリ】67hori
ざっと確認したところ、他の作品では「Fire-ball」「彼女の想いで…」のクライマックス見開きシーン、『気分はもう戦争』の「戦争が終わった」のシーン、それから「危ない!生徒会長」ぐらいしか見当たりませんでした。
【カットの割り方も正統的】77hori
こうしたある種、保守的ともいえるカット割りは、大友の海外進出成功にプラスに働いたのではないかと夏目房之介は分析しています(『風雲マンガ列伝』)。
<1>当時、私が不満を抱いていたアメコミスタイルの刊行形態も含め、これは『AKIRA』海外展開に尽力した講談社の苦労の結晶でした。その辺りの事情については宮原照夫『実録!少年マガジン編集奮闘記』(講談社)に詳しく述べられています。
アイキャッチ画像:大友克洋『AKIRA』①講談社
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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