高野文子については先日、金宗代代将による渾身の考察が掲載されました。
(【三冊筋プレス】黄色い本 セイゴオ・Mという名の先生(金宗代))
高野文子について書くべきことは、ほぼ尽くされていますね。模写の数倍の熱量を持ってダラダラと文章を綴ってしまう私のいつものスタイルをやんわりと封殺されてしまったような…。
実は金さんは、この「マンガのスコア」の担当編集もされているのですが、前々から、高野文子は早めに取り上げてくださいと言われていました。早く書かないと、私が全部書いちゃいますよというメッセージだったのか!
■珠玉の七冊
さて、高野文子は、この40年間にたった7冊しか単行本を上梓していません。その存在感の大きさとは不釣り合いなぐらい寡作な作家です。「高野文子なら全部読んでるよ」って人も、少なくないかもしれません。
ところで、7冊を通して眺めてみると、やはり『絶対安全剃刀』(白泉社)だけが異質な印象を覚えます。
著作第一作である『絶対安全剃刀』収録作は、商業誌に描きはじめて間もない頃の作品ばかりなので、絵柄もまだ確立されておらず、いろいろ試行錯誤している感じがしますね。二冊目の『おともだち』(筑摩書房)になると、早くも高野文子スタイルが、ほぼ完成されてしまっているので、それだけに『絶対安全剃刀』の若々しさは貴重です。高野文子に萩尾望都の影響があると聞いても、今となってはピンと来ませんが、『絶対安全剃刀』の諸作には、少女マンガを思わせる耽美的なタッチもわずかながら感じられます。
一方『おともだち』では、早くもプロフェッショナルな高野文子モードが確立しています。ここで高野文子は、いわば「オトナになった」わけですが、娑婆っ気が抜けた分、ますますのびやかになっていったように思います。成熟するほどに自由度が増す、という理想的な進化のしかたではないでしょうか。校長も千夜千冊で書いていますが、この本だけは特別すぎて、どう扱っていいのやらわかりません。偏愛しているファンも多いようです。
第三著作『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(小学館)になると、さらに作風は急展開して、高野文子なりのエンタメ表現に挑戦しています。とはいえ、そこは高野文子で、二重三重にトリッキーで、とにかくカメラワークが過剰なぐらい自由奔放。「画力の人」としての高野文子を印象づけた一作となりました。この作品、湯浅政明監督でアニメ化してほしいところです。
『絶対安全剃刀』(白泉社)『おともだち』(筑摩書房)『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(小学館)
■さらなる深化
そして第四作が「Hanako」<1>連載作をまとめた『るきさん』(筑摩書房)。これが最も広範な読者層に訴求したオフィシャル高野文子と言ってもいいものでしょう。人にオススメしやすい高野作品ということで言えばこれになるでしょうか。
この頃が、高野文子が最もメジャー感を醸し出していたピークで(と言ってもビッグマイナーな、リトルメジャーですが)、つづく第五作『棒がいっぽん』(マガジンハウス)で、「やっぱり高野文子」に回帰していきます。エッジの効いた傑作群がぎゅっと詰まった短編集で、刊行時、そうとう話題になったように記憶しています。高野文子は、ここで一つの到達点を迎えたとも言えるでしょう。『るきさん』とは別の意味で、最も人にオススメしたい高野文子は、やはりこの一冊となるでしょうか。
とりわけ集中掉尾を飾る「奥村さんのお茄子」は傑作の一つです。この短編の終局にいたって、ようやく本書タイトル「棒がいっぽん」の意味が分かるのですが、ここからのラスト6ページ余りの展開はまことにみごとなもので、こんな不思議な情感の描き方は、かつて見たことのないものでした。「世界があること」そのものの不思議さが、言葉や観念でなく、実感として迫ってくる名シーンです。これを読む者は、抒情とか郷愁とは別の回路で、心が激しく揺さぶられる体験をすることでしょう。
『るきさん』(筑摩書房)『棒がいっぽん』(マガジンハウス)
■そして21世紀
しかし、ここで終わる高野文子ではありません。8年のインターバルののちに発表された第六作『黄色い本』(講談社)で、前作をさらに上回る話題を呼ぶことになります。
巻頭からいきなり仕掛けてくるのが、いつもの高野文子スタイルですが、『黄色い本』では、冒頭とつぜん活字が大写しされたコマで始まります。そして一ページ目の全てのコマが、みな活字で埋め尽くされているのですが、それはよく見ると、明朝体を手描きで描いているのですね。つまりこれは文字ではなくて「文字を表している絵」なのです。そこからバスの中で本を読んでいる少女のカットへつづき、「げえ、酔った」となるのですが、このへんのつかみは本当に上手いですね。読者はとにかく、本書を手に取り最初のページをめくった瞬間から、高野ワールドに引き込まれることになります。
思春期の読書体験というのは、誰にとっても格別なもので、ここで描かれる没入体験に、激しく感情移入してしまう読者も多いのではないでしょうか。この作品は大変話題を呼んで、多くの批評家達によって議論の俎上にのぼることにもなりました。
そして2014年に発表された、現時点での最新作『ドミトリーともきんす』(中央公論新社)で、さらに新たなステージに進んでいくことになります。これまでの作品にも見え隠れしていた、多次元的でトロンプルイユな画面構成力がいたるところに発揮されていて、内容の独創性もさることながら、より「絵で見せる」作品となりました。初出掲載がネット連載であったこともあって、縦スクロールの特性を活かした様々な実験がこらされていて、紙の書籍で読んでいても、その楽しさが伝わってきます。
『黄色い本』(講談社)『ドミトリーともきんす』(中央公論新社)
ざっと駆け足で紹介してみましたが、あらためて粒ぞろいなラインナップですね。一つとして同じものがありません。どんだけ引き出しがあるんだと、あっけにとられるばかりです。
■マンガならではの演出
さて今回は、第五作品集『棒がいっぽん』巻頭を飾る「美しき町」からの一ページを模写してみようと思います。
高野文子「美しき町」模写
(出典:高野文子『棒がいっぽん』(マガジンハウス)
高野文子といえば、なんと言っても【カメラワーク】の上手さですね。まるで映画のカット割りを見ているようです。それと同時に、【コマの配置】にも細心の注意を払っていることがわかります。このページでは、中段横長のコマを境界に、上段と下段に分かれた面白いコマ構成になっています。上段では、人物の動きに合わせた横移動、そして下段では、カメラが緩やかにズームしていき、最後のコマで切り替わります。
このシーンは、ふつうに読んでいると、すっと通り過ぎてしまうような、さりげない場面なのですが、実は物語の要になる重要なシーンです。主人公である若夫婦のアパートのお隣さんが、ほんの些細な行き違いから気分を損ねてしまい、ちょっとしたイジワルを言う場面なんですね。この一言がきっかけとなって二人はひどい目に遭うのですが、それがラストのグッとくるシーンにつながっていくのです。
三コマ目の、下駄が扉に「カン」と当たった瞬間に何かが変わります。それまで気のいいアンちゃんだと思われていたお隣さんが、下段のコマで突然、今までと違う顔を見せ始めるのです。部屋の奥の風鈴が「チン」と音を立てて、不思議なアクセントを加えています。そして部屋の奥で聞き耳を立てている主人公の呆然とした表情でこのページは終わるのです。
高野文子のコマ構成は、非常に映画的でありながら、マンガでしか表せないような演出の妙が光っています。
■さりげない上手さ
縦横無尽なアングル操作と同じくらい、高野文子を特徴づけるのが巧みな【トーンワーク】です。ほとんど二、三種類のアミトーンしか使わず、トーン削りのようなことも、ほとんどしないのですが、とにかく超絶級に上手い。初期作「玄関」(『絶対安全剃刀』所収)で、これでもかというぐらいみごとなトーンワークを駆使して見せ、話題になりましたが(岡崎京子に先がけて、トーンのずらし貼りなども試みています)その後も、さりげなくずっと上手いのですね。「病気になったトモコさん」(『棒がいっぽん』所収)のオブラートが空を飛ぶシーンのトーンワークなどもみごとなもので「こりゃ、いったいどうなってるんだ」と、虫眼鏡片手にしげしげと眺めたものです。
今回の模写では再現していないのですが、実はこのページも、みごとなトーンワークが施されています。濃淡二種のトーンを普通に貼っているだけなのですが、こんな貼り方は、簡単そうに見えて、なかなかできるものではありません。
高野文子の編み出した巧みな技法の数々は、多くの人の指摘するところですが、フツーの読者がフツーに読んでいると、さほどアバンギャルドなものには見えません。むしろ描き手が注目する作家、いわばミュージシャンズ・ミュージシャンのような人なんですね。
高野文子は、デビュー当初、後述する「ニューウェーブ」の一人と目されていました。ニューウェーブ系の作家たちには、総じて絵にこだわりのあるタイプが多く、デザイン的なアートワークに趣向を凝らす傾向があります。それが最も顕著に表れていた一人に、ひさうちみちおがいますが、彼のロットリングを駆使した均一なタッチは、もの凄くかっこよくて、多方面に大きな影響を与えました。
左:ひさうちみちお『パースペクティブキッド』/右:同『托卵』(ともに青林堂)
この時代は「強弱のないフラットな線がカッコイイ」という趨勢が出来上がりつつあって、高野文子も、大きく言えば、このくくりに入ります。
■「ニューウェーブ」の登場
高野文子のデビューは70年代末、同人活動から始まりました。
当時は劇画ムーヴメントが一段落した後、少女マンガの24年組の活躍が顕在化し、その革新性が誰の目にもあきらかになっていった頃です。すでに戦後マンガはそれなりの歴史を閲して、ジャンルとして成熟し完成期に向かっていると思われていたのですが、ここにきて、まだまだ未開の沃野が広がっている可能性が見えてきました。
現在、隆盛を誇るコミックマーケットが、ひっそりと始まったのが1975年、アマチュアによる同人活動の存在が無視できないものとなってきます。そして「自販機本」と称される三流エロ劇画誌の中でも何かが蠢いていました。
こうしたマージナルな領域から、それまでにはなかった新しいタイプの作家が続々と現れ始めます。そして誰言うともなく、この一連のムーヴメントは「ニューウェーブ」と呼ばれるようになりました。
ニューウェーブといっても作風に一つの傾向があるわけではなく、大友克洋から、いしいひさいちに至るまで、様々なタイプの作家がここに含まれています。とにかく、なんだか名状しがたい新しさを感じさせる作家が、ひとまとめに「ニューウェーブ」と言われていました。
高野文子は、この「ニューウェーブ」ムーヴメントの、ある種のアイコン的存在となっていました。処女作品集『絶対安全剃刀』は、多くの識者から注目されることになります。特に集中の一篇「田辺のつる」が注目され、この時期の最高峰の成果として、数多くの論評が出されました。
高野文子は、当時過剰に騒がれすぎた一面があります。著作はまだ『絶対安全剃刀』しかなく、この時点では全く未知数の才能でした。”オートマティック”一曲で大騒ぎされた宇多田ヒカルとちょっと似ていますね。しかし、これまた宇多田ヒカルと同じことなのですが、高野文子は本物だったのです。そのことは、その後の彼女の活躍が証明することになります。
彼女は専業作家になる道を取らず、看護師や事務所の電話番のアルバイト<2>をしながらマイペースで作品を発表し続けます。それは非常にゆったりとしたペースではありますが、決して途切れることはありませんでした。そして数年に一度、作品集が刊行されるたびに大きな話題を呼んでいたのは先に見たとおりです。
■たしかにあったあのシーンは?
さて、今回は、高野文子先生の「美しき町」を模写させていただきましたが、本当は別の作品を模写するつもりだったのです。
実を言うと高野文子を模写するなら、あのページだ!と、前から決めていたシーンがありました。『おともだち』のラストで小さな女の子二人が船を見送りながら踊り続けるシーンです。
ところが、今回の模写のために数十年ぶりに取り寄せてみた『おともだち』には、そんなシーンはありませんでした。
かろうじて一コマだけ、女の子が踊っているのですが、こんなにあっさりしたものだったっけ?
私のニセの記憶ではこんな感じでした。
【※実際にこんな場面はありません】
無心に踊り続ける二人の女の子が、どんどん豆粒みたいに小さくなっていくんです。このシーンが、たまらなくいいんですよね~……って存在しないんですけど。
実際のシーンはどうだったかについては、みなさん是非、現物を見て確かめてみてください。しかし、おっかしいなあ~。
◆◇高野文子のhoriスコア◆◇◆
【カメラワーク】89hori
カメラワークのお遊びは高野文子の得意とするところですが、『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』のオープニングで、極端な俯瞰からカメラがずずーっと降りていったあとに、仰角に切り替わり、オシャレなお嬢さんが颯爽と登場するシーンなんて、とても楽しいですね。
【コマの配置】79hori
『絶対安全剃刀』に限っては、変形ゴマが多用されていますが、『おともだち』以降、コマを斜めに切ったり、枠を取り払ったりすることは、ほぼなくなりました。とはいえ、コマの割り方自体は、あいかわらず独創的です。
【トーンワーク】85hori
『棒がいっぽん』をお持ちの方は、ぜひ33頁をご覧ください。ちなみに、このページは、右ページからのコンビネーションもみごとなもので、「マンガはダブルページで見るもの」ということを、あらためて教えてくれます。
◎●ホリエの蛇足●◎●
<1>「Hanako」
「るきさん」が連載されていた88~92年頃は、バブルな時代層のもと、まさに雑誌「Hanako」の絶頂期で、「Hanako族」が89年の流行語大賞になるほどでした。そんな場所に高野文子がいたんですね。
<2>電話番のアルバイト
夫君の秋山協一郎氏のところにいたのは有名な話ですが、実は中島梓氏の事務所にいたこともあるそうです。「高野文子などは、はじめの二年間、恐れ多くも、私の『中島梓事務所』の電話番をしてくれていたので、そのころ私あてに依頼の電話をかけた人たちというのは、知らないで高野文子先生とお話ししているのである。どうだ驚いただろう。」(中島梓『マンガ青春記』集英社より)
アイキャッチ画像:高野文子『おともだち』筑摩書房
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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