今年もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]の季節がやってくる。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、次なる2022年、あらたな「あいだ」に迫るべくプロジェクト・チームの準備が刻々と進んでいる。Season3の開催とEdistでの記事公開を楽しみにお待ちいただきたい。それまで、いまいちど[AIDA]をご一緒に振り返っていきたい。
はじめに(後編)
「[AIDAボードインタビュー]「編集的社会像」のために:前編」で、「人生において自分自身の時間を取り戻す」という「時間」にまつわる視点を寄せてくれた法政大学総長の田中優子さんは、これまでも一貫して、「個」を重視する社会の大切さを提言されてきました。インタビュー後編では、「個」が生き生きとつながっていく社会をつくるための、具体的な方法を考えていきます。
田中優子(たなか ゆうこ、1958年10月7日〜):法政大学名誉教授、江戸文化研究者
1952年、横浜市生まれ。法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了。法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。『江戸の想像力』(ちくま文庫)で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、毎日新聞書評委員などを歴任。「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。
―― 「編集的社会像」の課題として、1人ひとりが自分の時間を取り戻せるような環境をつくっていくことが大切、というお話をいただきました。制度や企業や教育現場における課題が見えてきたところで、では私たち1人ひとりとしては何から手を付けるといいでしょうか?
田中優子さん(以下、田中) 「個」の問題として考えるにあたっては、いきなり大きな社会を相手にしないことです。制度や社会システムのことを問題にすると、個人の力で直接影響を与えられる範囲はごく限られてしまいます。しかし、社会は大きなシステムだけでできているわけではありません。小さな共同体とそのつながりが、これからの社会では力を持っていくことになるはずです。新しい発想を持っている人が、誰かと共有をする。それを共有した人たちがまた誰かとつながっていく。1人で社会を変えることはできませんが、そういうふうにしてつながっていく新しい考え方には、社会を変える力があります。
企業がほしがっているクリエイティブな人は、いくら創造性を発揮してもその企業にしか利益をもたらしません。所属する組織を越えて、個人が共感を媒介につながっていくことで、それぞれの願いや思いは社会に浸透していきます。でもそのためには、表現する必要があります。表現できなければ、他者と繋がることはできません。
そして表現するためには、学びが必要です。その学びの「拠点」をつくってくれるものは、読書だと思います。言葉を探してくるという行為です。別々に起こっていることをそれぞれが表現して、「同じセンスだね」と認め合えた時に、何かの流れができていく。表現手段は、もちろん音楽や絵画や踊りでも構いませんが、万人に共通の技能である言葉によって表現できることは、やはり基本的なスキルとして必要だと思います。
―― 編集工学研究所でも「言葉」と「本」の力はとても重視しています。Hyper-Editing Platform [AIDA]の座長であり編集工学研究所の所長である松岡正剛は、「本は人類の歴史文化の中で最高無二の柔らかな知的情報パッケージである」と言っています。本来書物には、社会を動かす力がありますよね。
田中 そうなんです。1960年代には実際にそうした動きが起こっていました。小さな表現のつながりから、社会が変わり、教育が変わる、ということがあったんです。いま、そういうつながる表現をできる若い人が、はたしてどれくらいいるか、ということは、懸念しているところです。とりわけ言葉の世界では、言葉の力を持った若者を十分に発見できていないように思います。もしかしたら、私達はそういう才能を探さないとならないかもしれないですね。かつて出版社がになっていたムーブメントが、いま十分につくれていないように思います。
法政大学ができた1880年は、結社が日本全国で2000くらいありました。国会や憲法をつくるということを考える結社があったり、お互いに情報交換をしていました。その頃に日本の大学の種があちらこちらから出てくるんですが、それは結社の力が大きかったんです。法政大学も20代の若者がつくりましたが、これも元は結社でした。新しい共同体のあり方があるとすれば、そういった結社のような小さい共同体が複数生まれることだと思います。10~20人の江戸時代の連のような共同体が複数生まれて、それらが新しい世の中を用意するための別々のことを始めているようなイメージです。
企業の次世代リーダーが集うHyper-Editing Platform [AIDA](座長:松岡正剛/運営:編集工学研究所)では、松岡正剛座長と共に、田中優子さん等9名の「AIDAボード」と30名の「座衆」(参加者)が、来る「編集的社会像」をめぐって白熱の議論を繰り広げる。
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イシス編集学校
基本コース [守] 申し込み受付中
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―― 江戸時代の連では俳諧などの表現がさかんでしたが、現代の人々が連のような共同体を起こすのは、ちょっと難しいようにも思います。今の時代に連のような力をもった共同体や活動を取り入れるとしたら、何を心がければいいでしょうか。
田中 まず、仕事の役に立てようと思わないことです。私はそれを「別世」というふうに言っていますが、別世を自分の暮らしの中に共存させる必要があるのです。人生においては「働いている」だけでは足りないんだ、という考え方が必要だと思います。働く時間を削ってでも、自分の「別世」に所属する時間を創る。これが「連」の発想です。働く自分とは別の自分がそこに所属して別の教養を身につけていくのですが、それが何であるかは個々人の選択です。
ただ単純に「連」の俳諧の世界にもどっても、新しい言葉の発見にいたれるとは思いません。いい指導者のいる「言葉」の拠点が必要ですが、ふつうに暮らしているとその必要性に気が付かないんです。自分でなんとか説明しないとならないとなったときに、「言葉」が切実に必要になる。人が自由であろうとする時、「言葉」の拠点を持っているイシス編集学校や編集工学研究所は、実はとても大事な役割を担っているのです。
法政大学憲章をつくったときに「自由」とは何かを詰めていきました。その中で、「自由」というのは、外部の眼差しをわかった上で、それに従いたくないものが自分の中に生じたときに、そのことを説明するための言葉を持つことだという考えにいたったんです。つまり、自由に生きるためには「説明」できる必要がある。必ずしもロジカルな説明でなくても、情感的な説明でもいいんです。覚束なくとも、自分の思いから発する言葉は人の心を動かします。そして、思いを理解してもらったときに、人は自由になります。
表面的なプレゼンテーションの技術では、人の心は本当には動きません。けれど政治からなにから、いまは技術先行になっている。技術によって機能的に人を動かすことが政治なのだとしたら、それは民衆には届かないですよ。では、思いだけがあればいいかといえばそれだけでも足りなくて、自分の思いや考えを表現するためには語彙が必要です。その語彙が自分の中になければ、外から借りてくるしかない。本には、時代を越えた無数の言葉が入っています。だから、読書が必要なんです。
―― 読書は、自分自身を生きるための手段でもあるのですね。「世の中をこうしたい」という思いを持ち、それを現実にしていくための言葉を持つことが大切ということでしょうか。
田中 世の中をこうしたい、と思う必要はないんです。「自分はこうありたい」で十分です。たとえばLGBTの人たちが声をあげたりMeToo運動が起こることで、世界は確かに変わりました。それらは皆、自分のために声を上げた人たちです。自分がこの世で自分として存在するために声をあげた。それが多様性への問題意識を生み出していきました。「世界を変えたい」ということより、まずは自分がこの世に生きるためにはどういう言葉が必要か、ということにきちんと向き合うことからです。
「自分を存在させるための言葉」、究極の詩人というのはそれを紡いでいる人たちだと思います。言葉にならない自分の全体性というものがあって、それをなんとか言葉に置き換えていく。それによって「私はこういう人間です」と言っているわけです。そういう人間がいたんだ、と周りが気がつくことによって、少しずつ世界が変わっていきます。そういう人たちが横のつながりを作っていくことで、「ああいう世界が必要だよね、ああいう世界になるといいよね」というイメージが産まれてきます。ヴィジョンを持つなら、複数で持つべきだと私は思っています。思想にも多様性が必要です。1人のビジョンというのは、時に危険ですね。
―― 自分の言葉を持つためには「違和感」に向き合うことが必要ですよね。世の中はこうなっているけど、なんか違うんじゃないか、という。その「違和感」を、わたしたちはついついなかったことにしてしまう。優等生であるほど、外側に合わせることができるので、その「違和感」をスルーできてしまうことが問題だと思うのですが。
田中 そうですね。自分を取り囲むものへの違和感ももちろん大切にすべきですし、たとえば学びの場でも仕事の場でも、自分の意見を言わなければならない場面になった時に、誰かにあわせて自分の考え方と違うことを言ってしまった、という違和感もとても大事なものです。
なんか違うなという違和感をいだくためには、自分の中をのぞくための言葉が必要です。言葉というものは外側にあるんだけど、自分の内面と外側にある言葉をつなげるという作業が必要になります。こっちの言葉は自分の存在と違うな、こっちの言葉は自分の内側に近いな、という感覚は誰しもあるはずです。たとえば、本を読んだり人と話したりする中で、そういう考え方があったかと思う言葉もあれば、まったくピンとこない、ということもあります。そういうすり合わせを、私たちは実はしょっちゅう行っているんです。そうやって言葉を見つけていって、自分の言葉にしていって、そして、それを表現する場を持つ。では、自分に近い言葉は何だったんだろう、と探すのが次の段階ですが、その次の段階というところがとても大切です。
―― おそらく「その次の段階」とつながる話だと思うのですが、Hyper-Editing Platform [AIDA]の中で優子先生は「共感力」が必要だとコメントされていました。自分の内側を大切にして、自分の感覚をなかったことにせずに外の世界とつないでいくというのも、ある意味では自分と他者への共感ですよね。
Hyper-Editing Platform [AIDA]のセッションで「共感力」について語る田中優子さん。「私はいま、“想像力から共感力へ”ということを考えています。向こう側を想像するだけでなく、自らの存在ごと向こう側に飛んで共感することで、差別は起こりにくくなります」
田中 そうです。共感する力が大切なんですね。想像は頭でもできますが、共感には全身の感覚が必要になります。
先日対談した卒業生で、国連難民高等弁務官事務所で働いている女性がいて、彼女は中学で不登校児で高校もフリースクールだったんですが、大学にはいって難民ボランティアをするようになったんです。自分が排斥されてきたという経験から、難民に関わる仕事をするようになった。その人の場合は、自分と違うという理由で人を排斥するような世界にしたくない、という個人的な思いからはじまっているんです。共感力というのは、自分が経験したこと、感じたことにつながっています。誰の中にも何かしらの経験はありますから、本来は誰だって共感力をもっているはずなのに、それが削がれているんです。
そうした、本来の生き生きとした共感力や違和感をキャッチする力を取り戻すためにも、自分で決めるということを何より大事にすることです。学校でもあれこれ言われますが、親にできることは「あなたはどう思うの?」と聞いてあげることの繰り返しです。もしも、学校のやり方はおかしいと思うと子供が言うのであれば、「なぜそう思うの?」と真剣に耳を傾けてあげるべきです。その子の中に芽生えている違和感を、いかに大事にしてあげるか、ということです。
ある意味で、学校にいけなくなるような子は、違和感に対して敏感なのだと思います。その子が抱いた違和感を大事にしてあげると、不登校にはならないかもしれない。自分がそこにいたくないという理由を言葉で理解すると、そこにいることができるんです。違和感を押し殺さずに、きちんと言葉にして自分自身で理解することが大切です。
自分の言葉、自分の時間を、自分自信の中に取り戻すために、私は「教育」という言葉をなくしたほうがいいと思っています。「教育」は他人が他人を「教え育てる」という言葉です。個々人に必要なのは「学び」です。「教える」のではなく、「学ぶ」環境をいかにつくるかです。江戸時代は、寺子屋の頃は教科書が何種類もあり、1人ひとりの能力にあわせて指導していました。誰もがそれぞれのやり方で能力を磨くのが当たり前だったんです。いつの間にかはまり込んでしまった合理重視の画一性を脱して、自分自身の人生を自由に編集できる力を1人ひとりがいかに取り戻すことができるか。今は間違いなく、そちらに向けて舵を切るチャンスです。
取材/執筆:安藤昭子(編集工学研究所)
取材/撮影:吉村堅樹(編集工学研究所)
撮影:川本聖哉
編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)
※2021年2月9日にnoteに公開した記事を転載
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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