みなさま、おひさしぶりの「マンガのスコア」です。
11/24~12/8東京・京橋Gallery Cellarにて丸尾末広個展が開催されるそうです。
教えていただいたのはエディスト編集部。さすが情報が早い!
https://twitter.com/seirinkogeisha/status/1725088280088322118
というわけで、告知を兼ねた増補版を掲載させていただくことになりました。
絵描きさんなら一度は見ておきたい丸尾末広の原画。ご興味ご関心のある方は是非一度お運びくださいませ。
本稿末尾に記しておりました『アン・グラ』もめでたく完結し、単行本(KADOKAWA)も出版されております。
そして、その後も着々と新作を執筆中の丸尾先生。
https://twitter.com/maruojigoku/status/1724736405711306839
本稿記事にも書いた「白抜き部分を塗り残しで描いているのでは?」という推理は、どうやら当たっていたようです。
さて、以下は1年半前に書いた記事の再掲となりますが、既読の皆様もこの機会にもう一度振り返り、丸尾末広の偉大さを再確認しておきましょう。
【以下2022/2/21掲載分再録】
かつて池袋にあるリブロ書店の片隅に「ぽえむ・ぱろうる」なる仄暗い一角がありました。名前に「ぽえむ」とある通り、本来は詩の専門店だったようですが、アングラ風味の妖しげな本ばかり濃縮して一箇所に集めた異様な空間でした。
丸尾末広を初めて見たのは、その店だったように記憶しています。
店全体の雰囲気とあいまって、なんだか見てはいけないヤバイものを見てしまった気がしました。ブキミ耽美な濃い本ばかり眺めて、毒気にあてられフラフラになっているところへ、その極めつけのような丸尾マンガを見てしまい、「うわわわっ」となって、あわてて本を閉じて退散した覚えがあります。
それでも、その一角はけっこう気に入っていて、リブロに寄ると、たいてい立ち寄っていました。何度通っても丸尾末広を購入することはありませんでしたが(笑)
ところで、小さい頃は辛い物が食べられなかった子どもでも、大人になるにつれ、いつの間にかおいしいと思うようになりますよね。
ブキミなものや怖いものに対する感受性にも似たところがあって、若い頃は、怖いものをまるで受けつけなかった私のような者でも、年とともに多少感覚が鈍磨したか耐性ができたかして、大嫌いだったホラー映画も、いつの間にかフツーに観るようになっていました。そして気がつくと丸尾末広のマンガも、ふつうに手に入れて愛読するようになっていたのです。
くさやの干物やドリアンのごとく「こんなもん食いもんの味じゃないだろ」と思っていた食べ物が、いつの間にか無類の珍味に思えてくるように、丸尾末広にも一度味を占めてしまうと二度と忘れられなくなる魅力があります。
そんな丸尾末広の魅力を探るために、ちょっとブキミなカットから模写してみたいと思います。
丸尾末広「無抵抗都市」模写
(出典:「月刊漫画ガロ」1993年5月号・青林堂)
丸尾タッチの肝は、なんといっても丹念に描き込まれた【繊細な線の密度】でしょう。
私のような面倒くさがりには再現するのはとても無理です。元絵と比べると緻密さが何割か落ちてしまったのはやむをえませんが、なんとか頑張って近づけてみました。
主に丸ペンを使用しているのでしょう。非常に細い線を慎重に重ねることで【端正なタッチ】を創り出しています。
面白いのは服の皺の描き方です。
丸尾末広は、衣服や布地を描くときに、【黒地に白い線で皺を入れる描き方】を好んで用います。そして、その白い線には微妙にタッチがついていて、ただのホワイトのようには見えないのですね。もしかするとペンで縁取った上でベタを塗り残す、といったやり方をしているのかもしれません。
試しに、その描き方で描いてみたところ……。
おおっ。いい感じになりました。
やっぱり、そうなのでしょう。それにしても、これは面倒ですね。
丸尾先生はアシスタントをいっさい使わない人だと聞きますが、とにかく、どこもかしこも、むやみと描くのに時間がかかります。量産には向かない絵柄ですね。
じっさい、丸尾末広は、それほど作品の多い人ではありません。
かといって極端な寡作というわけでもなく、地道にコンスタントに作品を作り続けています。またマンガ以外のイラストなどの仕事が多いのも特徴的ですね。
このあたり、前回取り上げた江口寿史と、非常にスタンスが似ています。
実をいうと丸尾末広と江口寿史は同い年なのです。1956年1月生まれの丸尾と、同年3月生まれの江口。早生まれというところまでいっしょで、ともに九州の出身です。
さらに同学年には鳥山明というビッグネームもいます。三人とも超絶級の絵師という、なかなか興味深いクラスタですね。
■“凄愴美”の世界
丸尾末広のベースにはグランギニョール的な猟奇趣味があります。
彼の作風を一言でいえば、高畠華宵などの戦前の抒情画の系譜を引いた端正なタッチと、月岡芳年などの無惨絵の系譜の合わさった“凄愴美”の世界と言うことができるでしょう。
人はなぜ“凄惨さ”というものに惹かれるのでしょう。
“凄惨”や“酸鼻”といったものが、しばしば崇高と美をつなぐ重要なファクターであることに目を向けたのはG・バタイユでした。
バタイユが「私の人生において、ある決定的な役割を果たした」という有名な写真があります。
「中国の処刑」として知られるその写真は1905年の北京で撮影された政治犯の公開処刑の写真と言われています。ほんとうに胸の悪くなるような写真なのですが、これをバタイユは終生大事に持っていたといいます。勇気のある人は、バタイユ『エロスの涙』という本をご覧ください。いや、私は決しておすすめはしませんよ。
こうした淫靡で後ろ暗い視線は、決して世間の大道をのし歩くことはないものの、途絶えることなく、脈々と受け継がれていきます。これを辻惟雄は「“陰”の奇想」の系譜と呼んだのでした(駕籠真太郎の回参照)。
そして、これが60年代末から70年代にかけての“叛乱の季節”に、一種の世間に対するカウンター、という形で顔を出してくるようになります。唐十郎や天井桟敷などのアングラ演劇が、見世物小屋的なグロテシズムを積極的に取り入れて見せました。
マンガの世界では、70年代初頭に花輪和一が登場します。
『赤ヒ夜』や『月ノ光』などにまとめられた初期の花輪作品は、伊藤彦造の画風に影響を受けた猟奇的な時代劇でしたが、その背後には、どこか人を小バカにしたような黒い笑いが渦巻いていました。それも一種の挑発として意図的にバッドセンスを前面に押し出して見せたのです。(のちに花輪は、中世説話物のエッセンスを取り入れた独自の作風を確立していくことになります。)
(花輪和一『月ノ光』『赤ヒ夜』青林工藝舎)
花輪の初期作品集
1980年に三流エロ劇画誌でデビューした丸尾末広も、当初は花輪和一のアップデート版のように見られていた節があります。丸尾の最初の画集は花輪との共著『江戸昭和競作無惨絵英名二十八衆句』でした。
これは一部でよく知られた話ですが、『ちびまる子ちゃん』に登場する二大キャラクター、丸尾くんと花輪くんの名前の由来が、この二人なのですね。
実は、さくらももこ先生は、こういうマンガが大好きな人だったのです。初期短篇集『神のちから』に見られる不気味な肌触りや、晩年の『ちびしかくちゃん』の底意地の悪さには、この国民作家の一筋縄ではいかない側面が見え隠れしているように思えます。
(さくらももこ『ちびまる子ちゃん』④⑩⑫⑭⑮別巻・集英社)
『ちびまる子ちゃん』の表紙絵にしばしば登場するアラビア文様。
インド趣味やアラビア文様に対する異様なこだわりも
この作家の怪しげな嗜好性を指し示す
■女子高生に人気?
花輪和一の衣鉢を継ぐ悪趣味全開のエログロ作品で地下的な人気を誇っていた丸尾末広でしたが、どこか泥臭さのある花輪に対して、華宵好みの丸尾末広の筆致は、どこまでも耽美的で、幽玄可憐な独自性を持っていました。
80年代初頭より、丸尾の作品は次々と青林堂から刊行されるようになります。
青林堂といえば、言うまでもなく「ガロ」の出版元ですね。今日では80年代の「ガロ」系作家の代表的な一人に数えられる丸尾末広ですが、実は「ガロ」への執筆は意外に少なく、収録作のほとんどは三流エロ劇画誌に発表されたものでした。
あの『少女椿』も、あちこちのエロ劇画誌に発表されたものをつなぎ合わせて、むりやり筋をつけたものです。
決して作品数の多いとはいえない丸尾末広ですが、根強い人気にこたえる形で、初期作も含め、何度も改訂版が出ています。その中でも特に人気の高い作品の一つが『少女椿』でした。彼の見世物小屋やフリークスに対する趣味性が全開放された傑作です。
(丸尾末広『少女椿』青林工藝舎)
「ガロ」の編集者によると、丸尾末広の主要読者は高校生が多く、とりわけ女子高生の人気が高いと言います(「ガロ」1993年5月号)。
それを受けて丸尾氏自身も
「そういうと「信じられない」って言う人がいるんだよね。(中略)俺の読者はつげ義春さんの読者と同じ人達だと思っているみたいよ。実際には全然違うでしょ。」(同上)
と言っています。
十代終わり頃の私といえば、書店で本を開くのが精一杯で、とても購入しようなどとは思わなかったので、にわかには信じられない話ですが……。
しかし実際、丸尾人気というのは、とても高く、ギャラリーでの個展や、ハガキ・Tシャツなどのグッズ展開をすると抜群の売り上げを示すといいます。
90年代前半に、渋谷のとあるギャラリーで働いていた人の回想によると、当時、ガロ創刊30周年を記念して、有名なガロ系作家を次々とフィーチャーした個展を開いたのですが、その中でも抜群の人気を誇っていたのが丸尾末広だったそうです。とにかく作品を搬入している前日からお客さんが詰めかけ、当日には長蛇の列。そんな作家は後にも先にも一度もなかったとか。初日に「全部ください」と買い占めるお客さんまでいるので「買占め禁止」の規約を作ったりしたそうです。(「個展の思い出」あきやまみみこ・「アックス」2021年139号)
■メビウスが絶賛
また海外での丸尾人気も抜群なものがあります。
90年代に入り、大友克洋『AKIRA』などとともに日本のマンガが欧米にじわじわと広がり始めていた頃、かの地の目利きたちが最初に注目したのが丸尾末広でした。
海外のコンベンションなどに招かれた日本の批評家たちは、たびたび「丸尾末広とはどういう人なのですか」という質問を受けることになります。なぜ彼らがこれほど丸尾にこだわるのか首をかしげるほどだったとか。
91年には、フランス・バンドデシネの巨匠メビウスが、丸尾末広を讃える熱いメッセージを、とある雑誌に発表しています。当時、丸尾作品は正式なフランス語訳が出ていなかったのですが、メビウスは、このメッセージを「丸尾末広は、至急翻訳されなければならない。それは緊急を要する問題なのだ。」という言葉で締めくくっています。
こうした国内外の人気沸騰を尻目に、丸尾自身はマイペースな執筆活動を続けていきました。
やがて大手出版社からも声がかかるようになり、90年代以降「ヤングチャンピオン」で『犬神博士』『ギチギチくん』『笑う吸血鬼』、「月刊マンガボーイズ」で『風の魔転郎』などの連載をするようになります。
『ギチギチくん』なんて、かなり肩の力の抜けた少年マンガ(丸尾版『魔太郎がくる!!』?)で、いつもの丸尾とは、ちょっと違った一面を見せてくれます。
『風の魔転郎』『笑う吸血鬼』①KADOKAWA)
初期の頃は、ただただショッキングな演出のショートストーリーばかり量産していた丸尾末広も、この頃より、物語性への志向を見せ始めています。
1993年「ガロ」誌上に断続的に発表された「無抵抗都市」など、そうした丸尾の新境地を示すものでした。
しかし、その頃より、丸尾の作品発表のペースは鈍り始めます。ゼロ年代に入る頃には、丸尾のマンガ家としての活動は、ほぼ開店休業に近い状態になっていました。
■驚異の新境地
しかし、丸尾は決して筆を止めてはいませんでした。
2007年7月より「コミックビーム」誌上で、突如連載が始まり、翌年単行本化された『パノラマ島奇譚』(KADOKAWA)で、丸尾は世間をアッと言わせることになります。
江戸川乱歩の同名小説を原作とするこの作品は、大富豪の御曹司になりすました男が、己の憑りつかれた妄想を実現するため、持てる財産の全てを注ぎ込んで、孤島に狂気の一大楽園を築き上げるという物語です。
乱歩一流のレトリックで描かれた贅を凝らした楽園のディティール描写は、かつて石井輝男の手により「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」なるヤケクソ気味なB級映画(土方巽の怪しげな踊りの見られる超カルトムービーです)として作品化されたことはありますが、まともな頭の持ち主なら、とうてい映像化可能だとは考えられないようなコンテンツでした。
それを丸尾末広は、彼以外の誰もなしえないような圧倒的な筆致でもって完全視覚化して見せたのです。
これは丸尾末広が、発表のあてもなく何年もの歳月を費やしてコツコツと描きためてきたものでした。
まさに「パノラマ島」の主人公・菰田源三郎にも劣らぬ驚異的な執念です。
(丸尾末広『パノラマ島奇譚』KADOKAWA)
この作品、刊行されるや否や大きな反響を呼ぶことになります。マンガ家としての丸尾のひさびさの新作だったというだけではありません。そこに描かれた圧倒的なビジュアルが、多くの人たちの度肝を抜いたのです。絵師としての丸尾末広が新しいステージに突入したことは誰の目にも明らかでした。
そして、とうとうこの作品、2009年の手塚治虫文化賞・新生賞まで受賞してしまいます。
あの丸尾末広が、手塚の名を冠したエスタブリッシュな賞を受賞する日が来るとは・・・。
しかも、超ベテラン作家に「新生賞」なんていう無理やりな受賞をさせてしまったところに、当時の審査員たちの「なんとしてもこの作品を推したい!」という気概が感じられます。
■「コミックビーム」の丸尾末広
さて、この作品に発表の場を提供し、マンガ家・丸尾末広カムバックを用意したのが、上にも書いた「コミックビーム」という雑誌でした。
「コミックビーム」は、かなり自由な誌風で知られており、ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』のような大ヒット作から、かなりマニアックな作品にいたるまで幅広く取り上げている雑誌です。
アスキーから分社化したエンターブレイン<1>という出版社が発行元となっており、もともとはファミコンゲーム寄りの雑誌だったのですが、名編集者として知られる奥村勝彦体制のもと、いつしかゼロ年代以降のオルタカルチャーを代表するマンガ誌の一つとなりました。
LEGEND50の作家で言うと、近藤ようこの最近の活動拠点がここですね。
以後、丸尾はこの雑誌を舞台に再び精力的に作品を発表し始めるようになります。
『パノラマ島』の好評を受けての乱歩モノ第二弾は『芋虫』(KADOKAWA)。
戦時中、発禁処分となった乱歩最大の問題作で、まさに丸尾末広が描くのにふさわしい作品です。
その後「踊る一寸法師」もマンガ化していますが、原作の「まさか。もしや?」という描写を、もろに視覚化してしまっているところが、さすがに丸尾です。
また、2014年から2019年にかけて「コミックビーム」に連載され、丸尾末広の中でも最長の作品となった『トミノの地獄』(全4巻)は、見世物小屋の世界を舞台にした双子の兄妹の地獄めぐり物語で、いわば『少女椿』のアップデート版とも言えます。丸尾のこよなく愛する1930年代・帝都東京の風景が、これでもかというほど細密に描写され、魅せられます。
彼の作品のビザールな側面のみを愛好する者たちからは「なんだか昔にくらべるとヌルくなった」とか「物足りない」などという感想も見受けられるようですが、物語や絵の面で、いまなお進化し続けていることは間違いありません。
丸尾自身、いまだに「『少女椿』の丸尾」と言われることに忸怩たる思いがあるらしく、
「いつまで経っても昔描いたものを言われたって、しようがないじゃないですか。私は今も現役で、新しい作品を描いているんだから。――その意味で、より大きな物語で描き終えることができた『トミノの地獄』が、現時点での自分の代表作だと思っています。」(丸尾末広画業40周年記念Web原画展より)
と語っています。
この作品は「安寿と厨子王」の物語類型を参考にしたと言いますが、テイストとしては、浪曲や大衆演芸のお涙頂戴ものに近く、どこか温かみすら感じられるものです。
丸尾末広が、ついにこんな地点にたどり着こうとは誰が想像したことでしょう。
(丸尾末広『トミノの地獄』①~④KADOKAWA)
その後も、丸尾は「ビーム」誌上に、いくつかの短編を発表し(それらは作品集『天國』(KADOKAWA)にまとめられました)、昨年末より、いよいよ新たな長編連載に着手しています。
「コミックビーム」2021年12月号より連載の始まった『アン・グラ』は、なんと1960年代の政治と叛乱の季節を舞台にした「マンガ家マンガ」だそうです。
これは期待が持てますね。
「コミックビーム」さんには申し訳ないですが、私は、マンガは単行本で読む派なので、今から書籍化される日が待ち遠しいです。
◆◇◆丸尾末広のhoriスコア◆◇◆
【繊細な線の密度】96hori
模写すると、あらためてわかりますが、ほんとうに細かいところまで気を配っています。
【端正なタッチ】75hori
高畠華宵からの影響が、よく指摘されます。
【黒地に白い線で皺を入れる描き方】72hori
そう思って、よくよく見ると、ものすごく多いです。独自のこだわりが感じられます。
<1>エンターブレイン
現在はKADOKAWAに吸収され、ブランド名としてのみ残っています。
アイキャッチ画像:丸尾末広『丸尾画報DX Ⅰ』河出書房新社
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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