「共読」は「わかりあえない」からこそ【75感門 原田[破]学匠メッセージ】

2021/03/14(日)14:57
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リモート慣れという与件を抱えて

 

昨日の康代[守]学匠につづいて、原田[破]学匠はリモート慣れした日常に触れた。緊急事態宣言から約半年を経て、生活のメディアがすっかり転換したのだ。

(このメッセージも、オンライン越しで学衆へ届けられている)

 

リモート会議は楽だけど、時と場所を選ばないから、どこまでも追っかけてくる。

長期間のリモートに疲れも出てきた頃だろう。

 

学匠はそのような与件の変化を抱えつつ突破までやり抜いた学衆を「少数なれど熟したり」と讃えた。

 

 

「共読」は嬉しく苦しくもある

 

イシスでの編集稽古を体験した方なら、誰もが「共読」を体感したに違いない。

 

師範代の指南によって、知らない自分と出会う。

教室の学衆仲間の声かけによって、自身の変化に気づく。

知り合いからのおすすめ本を紹介してもらう。

 

どれも「共読」の格別の入り口だ。

 

年間6万冊が新たに出版されている。10年で言えば60万冊。

同じ本を共読できるのはイシスでは当たり前だけど、これって実はすごい珍しいこと。

 

しかし、果たして共読は楽しいことばかりだろうか。

 

10年前の3.11の時も、1年前の新型コロナウイルスの急速な感染拡大の時も、目前の未知に対して正しい情報を放りたいと誰もがニュースを共読したが、見れば見るほどわからなくなる。

 

「不要不急」はわかるけれど、みんな思うことが微妙に違う。ズレが起こり、共読しているはずなのにわかりあえないことも少なくない。

 

 

ズレやまちがいから豊かな生命が生まれてきた

 

しかしこのズレやすれ違いこそ、生命の編集の方法の一つだった。

生命の起源はコードが宇宙からやってきて、それが転写されてファミリーとなった。そのように私たちのような情報生命が生まれた。

 

元々のコードをきれいにコピーしては私たちは生まれなかった。まちがいやズレから豊かな生命が生まれてきた。

 

正解か不正解かと微細なものを割り切ったり、100%コピーする共読に意味はない。

喝破も打破も走破も、逸脱から始まるのだ。

 

最後に突破者のこれからのプロフィールへエールをおくった。

 

わかりあえなさを抱えながら共読を続けて、あいだをつなげていきましょう。

 

  • 上杉公志

    編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。