【イシスの推しメン26人目】ジュエリーデザイナー小野泰秀が、松岡正剛の佇まいに惹かれたワケとは

2024/04/07(日)08:42
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『デザイン知』。千夜千冊エディション2冊目にして、「デザイン」に関心のある者の心を鷲掴みにしていった1冊だ。ジュエリーデザイナーの小野泰秀さんは、松岡正剛による『デザイン知』の衝撃波をうけ、イシス編集学校へ入門。

なぜ、彼は松岡正剛の佇まいに惹かれたのか? ジュエリーデザイナーが求める「土着のエレガント」とは。そして、イシス編集学校で何を得たのか。イシスの推しメン26人目は、小野泰秀師範の美学と哲学に迫ります。

イシスの推しメン
小野泰秀

 

ジュエリーデザイナー。自身でも制作を行い、福岡県にて経営する店舗「うつしき」でも販売。イシス編集学校には2021年、47[守]に入門。[守][破][花伝所]と進み、2022年50[守]に「ダルマ・バムズ教室」師範代、50[破]に「ダルマ・マントラ教室」師範代として登板。その後、師範として抜擢される。倶楽部撮家としても活動中。

https://www.instagram.com/yasuhide_ono/
https://utusiki.com/
https://yasuhideono.com/

聞き手:吉村堅樹

写真提供:小野泰秀



■ジュエリーを作って届ける
 小野泰秀が追求する「土着のエレガント」

――小野さんは、アクセサリーをつくったり、それをお店で販売したりしているとお聞きしました。

そうですね、いまはジュエリー制作と「うつしき」というお店の経営をしています。始まりはジュエリーのデザイナーでした。

――「うつしき」のサイトやInstagram、とても雰囲気がありますね。

ありがとうございます。写真も僕が撮っています。

 

――ここで扱っているジュエリーって、どんな思いで制作をされているんでしょうか。

3つのエレガントを大事にしています。「普通のエレガント」と「土着のエレガント」、そして「モダンなエレガント」。
ファッションの業界って、春夏秋冬のサイクルがあるんです。そのサイクルにのってしまうと、けっして質の低いものではなくても、なぜかすぐに古びてしまう。そこに違和感があって、長く着用されて、しかも飽きがこない耐久性のあるデザインという意味で「普通のエレガント」ってなんだろうとずっと考えて追求してきました。

――なるほど、流行に左右されない、普遍的な美をさぐっておられているのですね。ほかの2つはどんなイメージなんでしょう。

僕は、世界を旅するなかで、それぞれの民族の人たちが住んでいる場所に足を運んで、アクセサリーを作っている風景を見ました。やっぱり、土着的な何かがもつ力がものすごいなと感じたんですよね。


でも、かといって、アジア圏やアフリカ圏の民族アクセサリーを、現代日本でそのまま身に着けると浮いてしまう。土着的なものを取り入れながら、日常的に使える塩梅はどれくらいだろうって「土着のエレガント」を考えています。いっぽうで、もともとはファッションの世界にどっぷり浸かっていたので、そこで扱うようなモダンさも追求している、という感じです。

――「土着のエレガント」とは、「やわらかいダイヤモンド」的な含みがあります。「エレガント」であるということを、さまざまな角度から見つめていらっしゃるんですね。

かつて、オーストラリアでパーマカルチャーを勉強する中で、ヒッピーといっしょに暮らしたことがあります。そのときに思ったのは、自然派の人たちはナチュラル志向すぎて身なりにはあまりにも無頓着ということでした。それはそれで野暮な味わいがあるのですが、より多くの人たちの心を動かすのは、やっぱり細部までこだわり抜き、美意識が行き届いたエレガント粋なものだと確信しているんです。

――世界各地の土着的なものやモダンなものを取り入れつつ、小野さんはやはり日本的なものに関心がおありですよね。

そうですね、現代のファッションって西洋から入ってきたものですよね。立体のパターンがあたりまえになっています。でも、もともと東洋にあったファッションは、布を身体に巻きつけたり、貫頭衣とか着物のような平面的なもの。そう考えると、アジアの民族衣装を日常でリアルに着るとしたら、どんなデザインがいいのか、どんなディテールにしたらいいのかをどうしても考えたくなってくるんです。


■校長の佇まいに惹かれ
 ここには「何かある」と確信

――世界を旅して、アクセサリーをつくる小野さんが編集学校に入門されたきっかけは?

松岡正剛校長の『デザイン知』という千夜千冊エディションにガツンと食らっちゃいました。そこから、松岡校長の本を買い漁りました。

――『デザイン知』でしたか。

もともと好きだった杉本博司さんや田中泯さん、北村道子さん、ヨウジヤマモトさん、イッセイミヤケさんなどに、一気につながりを感じさせてもらったのが大きかったです。それに、松岡校長の装いや所作にも惹かれるものがありました。動画も見ましたし、写真から感じる佇まいにも雰囲気があって。

――文章とともに、校長の佇まいにも惹かれたんですね。それで校長のもとで学ぼうと思ったわけですか。

はい。弟を誘って、家族割受講しました。同時に、お店のスタッフも合わせて、3人で編集稽古を始めました。

――入門してみてどうでした?

どっぷりハマりましたね。ものづくりをしていると、名前で売れていくということがあります。自分のオリジナリティってなんだろう、そもそも「オリジナリティ」ってあるんだろうかとずっと探していました。でも、ガブリエル・タルドの千夜千冊を読んだときにズバッと書いてあったんですよね。冒頭に、「世の中で一番つまらない信仰はオリジナリティ信仰である」って。それを読んだとき、やっぱり「方法」が大事なんだなと実感できたんです。

――方法の学校であるイシスの核心に共鳴してからの編集稽古は、どんな手応えだったんでしょう。

[守]のときは、とにかく変なことをしてやろうと思っていて(笑)。でも、なんだか自分の回答が面白くない。師範代はずっと「方法」をもとに指南を返してくださるんですが、「方法」を使うということに気づいたのは卒門直前だったかもしれません。[破]でも、自分の手癖で進めてしまって、方法が意識できないという劣等感をおぼえていました。

――[破]のときに方法を意識するのって難しいですよね。そこで辞めてしまう人もいるけれど、小野さんが花伝所へ進んだのはどうしてなんですか。

正直、やめたい気持ちはありました(笑)。でも、ここでやめても何にもならない、もっと先を見てみたいと思ったんです。編集学校にはやっぱり何かがあるという確信が自分のなかにあって。



■「わかる」と「かわる」のその先へ
 方法と実践の両立をめざして

――方法への手応えがあったのは、いつごろなんでしょう?

[破]の師範代のときですね。なにより楽しかったです。[守]の師範代のときは手探りでしたが、[破]に進むと、方法で応じることにも慣れてきたし、自分のなかに型もずいぶんと通ってきた。それは学衆さんも同じなんですよね。[守]で型を学んでいる人たちだから、回答・指南のやりとりも圧倒的に言葉数が増えて。

――応用コース[破]に進むと、エディティングモデルの交換がかなりハイコンテクストでできるようになるんですよね。

僕はもともと[離]に興味があり、師範代になるつもりもなかったんですが、[破]を終えたあとメンタルがボロボロになりながらも(笑)花伝所に進んだのはよかったなと思っています。[離]にすぐいかなくてよかったな、と。師範代や師範経験は、学ぶことしかなかったですから。

――編集稽古を経て、お仕事での変化はありました?

いろいろなものを関係づけられるようになりましたね。お店では毎月企画展示をするのですが、「この作家とこのブランドの相性がよさそう」など関係線をみつけやすくなりました。《らしさ》の中間点を見つけているといいますか。

――[離]に進んだら、ますます関係づけの厚みが増えてきそうですね。小野さんは「学校」としてのイシスにも可能性を感じておられると聞いていますが。

そうですね、僕は学校が嫌いだったんですよね。小学校のとき、教室がロボット製造現場のように見えてしまって、小学4年生で円形脱毛症になったほど。自分の中で「いい」と思える教育ってなんだろうって、ずっと考えてきたんです。我が家には子どもが5人いますが、編集学校は教育現場として見てもおもしろいと思います。

――イシスの方法を生かした教育ってなにか考えておられるんでしょうか。

イシスでは「わかる」と「かわる」とよく言いますが、「かわる」のその先には「できる」というフェーズがあると思うんです。僕は、陽明学に興味のある時期が長くて。たとえば、いま僕は畑作業もしているんですが、「自然を大事にしよう」なんて言う人が実際に土にも触れたことがないということがけっこうあるんです。知行合一ではないですが、言っていることとやっていることを一致させていきたいし、技術や方法を自分たちの手元に戻していきたい気持ちが強いですね。

――方法と実践をいっしょに稽古したいという感じですね。

いまもお店で、2ヶ月に1度ペースで学びの場を開催しています。それはけっこう面白くてですね。招く講師の方のちょっとした所作のなかから、その人の注意のカーソルや、フィルターとか目盛りが見えてきます。そこからその人のもっている哲学美学まで感じられます。

――なるほど。校長の佇まいに惹かれたという小野さんらしい視点です。これからはどんな野望がありますか。

編集学校に入って「言葉」に対する解像度はものすごく上がりました。だから、いまは「目」の解像度ももっと高めていきたいです。松岡校長はモノの目利きもされますよね。みんなで、モノやイメージとの付き合い方もいっしょに学んでいければと思っています。



 

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  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
    イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。