【87感門】感話集 物語づくしのスペシャルな1日に(司会・鈴木花絵メッセージ)

2025/03/29(土)16:12
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春雨、花冷え、七分咲きの桜の枝が濡れそぼる東京は本楼で、3月29日、イシス編集学校第87回感門之盟が始まった。[遊]物語講座17綴の感話集(績了式)である。

 

スペシャルゲストのマンガ家、近藤よう子氏の絵が目を引くメインビジュアル

 

冒頭は、いつものように映像とサウンドで引き込む演出。本楼のスクリーンに、物語講座の3つのお題「窯変三譚」「トリガー・クエスト」「編伝1910」のそれぞれについて、めくるめくイメージメントが映し出される。

 

スクリーンの映像。ここで流れていたのはPia-no-jaCの楽曲

 

壇上に上がって開会を宣言したのは、司会を務める鈴木花絵だ。実香連のメンバーで、場に登場したときの華やかさと臨機応変な対応力に定評がある。鈴木自身も物語講座を受講しており、稽古のタフさを「トライアスロンのよう」と評しつつ、「お題の力に導かれて自分の中から予期しなかった物語が生まれ、紡がれていくことに驚きと喜びを覚えた」と醍醐味を語った。物語の中にさえ、確かな情報編集がある。創作は自己の裡だけで完結するものではなく、社会や情報など他者とのインタースコアによって完成することを体験した。

 

開会前、鈴木は今日の司会でもインタースコアを心掛けると話していた。目指すは「立ちつつ馴染む」在りようだ。壇上でライトを浴びながらも、都度そこで起こったことを捉えて場に返していくつもりでいる。

 

 

この後、式は、編集学校で最も面白いのは物語講座だといって憚らない吉村林頭による講座紹介、績了式(講座修了式)と続いていく。中でも目玉は、後半に用意されたマンガ家、近藤よう子氏と林頭とのトークセッションだ。スペシャルゲストの近藤氏のマンガについて鈴木は、「その独特の世界観や女性の造形に思わず引き込まれてしまう」と紹介し、ファンぶりを披露。「今日を物語づくしのスペシャルな一日にしましょう」と話を結んだ。

本楼で、物語時間が加速していく。

 

(写真:安田晶子)

  • 今井早智

    編集的先達:フェデリコ・フェリーニ。
    職もない、ユニークな経歴もない、熱く語れることもないとは本人の弁だが、その隙だらけの抜け作な感じは人をついつい懐かせる。現役時代はライターで、今も人の話を聞くのが好き。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。