2022年7月22日のISIS FESTA SPイベント「『情歴21』を読む」の開催に先立ち、ゲストの佐藤優さんは事前読書として次の五冊の課題本を参加者へ差し出していた。
(1)『ウクライナ戦争の衝撃』防衛研究所 増田雅之編著(インターブックス)
(2)『プーチンを罠にはめ、策略に陥れた英米ディープステイトはウクライナ戦争を第三次世界大戦にする』副島隆彦著(秀和システム)
(3)『皇国史観』片山杜秀著(文春新書)
(4)『物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国』黒川祐次著(中公新書)
(5)『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド著(文春新書)
この中には、いわゆる「トンデモ本」も含まれているし、正反対のことが書かれている2冊も含まれている。佐藤さんはなぜこのような課題本を提示したのか。
この中には、実証的な歴史学では耐えられない皇国史観的な本も含まれます。しかしそうしたものが今のメディアで「大きなナラティブ」となり、まともな本と勘違いされています。
こうしたナラティブに流されず、歴史をメタに見られるようにするのが今日の課題です。
ー佐藤優
ギリシア語には二つの「時間」がある。
一つは「クロノス」。英語の「タイム」にあたり、客観的に流れていく時間のこと。もう一つは「カイロス」。英語の「タイミング」にあたり、出来事のアトサキを見て、上から切断面を読むことである。
現在のロシアのウクライナ侵攻が起こる前後では、同じ過去の歴史も、読み方は当然変わっていく。大きなナラティブが押しつけるカイロスに抵抗し、実証的な歴史学を踏まえていかに自身でカイロスを自在につかめるか。これが佐藤さんが課題と述べた「歴史をメタに見えるようにすること」と言えるだろう。
この枕から、佐藤さんは『情報の歴史21』の年表上を自在にタイムトラベルするかのように、紀元前から現代へ向かって高速にカイロスを連打していく。今回は佐藤さんが自ら示したそのカイロスの一端を紹介したい。
【紀元前1000年頃】スキタイ騎馬文化
騎馬文化の発達により、のちにクリミアはモンゴルに略奪される。クリミアを占拠したモンゴル人は誘拐ビジネスを生業にしスラブ人を中東へ売り飛ばす。奴隷になりたくないクリミア人は都会のキエフへ逃げていき、次第にキエフは犯罪者や没落貴族や略奪を生業にする人々が集まっていく。これがコサックの形成につながっていく。
【860年頃】グラゴール文字発明
スラヴ圏最古の文字。聖書などをスラブ諸語に翻訳するために作られ、グラゴール文字が変形して現在のキリル文字となった。ちなみに今日の聖書は、カトリックとプロテスタントで共同翻訳されている一方、正教会はそこに与せずニコライによる翻訳の立場をとっている。聖書の解釈も異なり、正教会では学問ではなく伝統を何より大事にする。このようにロシアやウクライナの独特な宗教観を理解するには、グラゴール文字に発祥する文明の発生に注目することが大切である。
【880年頃】キエフ公国建国
ロシアとベラルーシとウクライナの原型。ただし、ロシア人とウクライナ人で歴史の見方には違いがある。ロシア・ソ連の通史ではキエフはのちに「モスクワ公国」になったとされる一方、ウクライナでは南西部の「ガリツィア」に移ったという解釈がなされている。
【1320年】ポーランド王国統一
ポーランドはこの王国統一ののち、無謀な戦争をロシアに幾度も仕掛けて国がなくなる歴史を辿っていく。このように帝国主義的なポーランドは、現在のロシアによるウクライナ侵攻に際して、ウクライナへの人道支援や難民受け入れを積極的に行っており、この二国の接近を危険視する見方もある。別の側面として、イギリスが離脱した現在、ポーランドは財政面を除いてEU内でドイツとフランスに次ぐ国力になっている点も見逃せない。
【1534年→1620年頃】イエズス会創立→イエズス会の拡大
ロシアは、ウクライナの東方典礼カトリック教会を嫌っている。それは見た目は正教のようだがローマに忠誠を誓っていること、ガリツィアのナショナリズムの拠点となっていることが理由である。また、ウクライナのゼレンスキー大統領の側近にはイエズス会出身の者がいることも、ロシアは快く思っていない。
【1939年】独ソ不可侵条約
ここでは「ステパン・バンデラ」というウクライナ民族解放運動の指導者がキーパーソンとなる。ナチスと協力してソ連と戦った一方で、ユダヤ人虐殺にも与した。バンデラへの評価はウクライナとロシアで対照的で、ウクライナでは英雄視すべき存在として皇国史観的な歴史へと書き換えが進んでいるのに対し、ロシアは批判の姿勢を徹底している。佐藤さんによると、ロシアからウクライナへ向けられた「ナチス主義」という言葉には、「バンデラ主義」という意味も込められているのではないかという。
講義の終盤では、佐藤さんはこのような国際政治に対する一つの見方を提示した。それは、高坂正堯さんが『国際政治』(中公新書)で紹介する、価値の体系・利益の体系・力の体系で捉える立場である(この立場については、関連記事「佐藤優の「ウクライナ読み」本リスト大公開! ISIS FESTA SP「情歴21を読む」(7/22)事前読書のススメ」をご参照ください)。
私がゼレンスキーの発言を擁護しないのは、ゼレンスキーがおかしいということに加えて、日本の中で「価値の体系」がインフレーションすることを恐れているからです。
ー佐藤優
講義後の参加者ワークでは「ウクライナ戦争で、西側とロシアの対立が生じた背景にある歴史的事実は何か。そのうち一つの事象を取り上げ、ロシア側/ウクライナ側の認識と、それに対する自分の評価を論じよ」という佐藤さんからのお題が提示された。
イベントの最後に、「すさまじく面白かった」と感想を言葉にした松岡校長が、参加者に向けて次の三点のメッセージを寄せた。
1.今日話題になった「国境」「国家」「民族意識」「言語」「高坂さんの見方」などが、何の話の中でどのように出てきたか。これを重視するといい。この佐藤さんの編集力にはたまげた。
2.参加者から佐藤さんへの質問がマスメディアの影響を受けすぎている。質問というのは、佐藤さんがここで話している話から聞き出すといい。
3.佐藤さんの読みは1冊の本が何十冊にもつながっていく。それもどこでその本が唸りをあげるのかを見極ており、発火地点になるとすかさずその本を使っている。ここを佐藤さんから学ぶべき。
ー松岡正剛
数千年にわたる歴史の流れの中で「ここぞ」という歴象を次々に連打する佐藤さんの語りに触発された校長松岡。「今日をきっかけに、ロシア人がモンゴルへ抱いていた『タタールのくびき』のことについても考えてほしい」「佐藤さんが話されたウクライナの地域ごとの特徴についても地図を見て書き込んでほしい」とその語りはいつにも増して熱がこもっていた。
今もなお進行中のロシア・ウクライナ情勢に真正面から迫るテーマということもあり、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんをゲストに迎えた本イベントには、オンラインを含め140を超える申込があった。
【プロフィール】
佐藤 優 さとう まさる
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。本省国際情報局分析第一課主任分析官として、対露外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害罪容疑で東京地検特捜部に逮捕され、512日間勾留される。2009年最高裁で上告棄却、有罪が確定し外務省を失職。同年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、文筆家として精力的に執筆を続けている。
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上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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