多読ジムseason18では「三冊筋プレス◎アワード」が開催された。お題は「評伝3冊」。三冊筋のチャレンジャーは29名。アワードエントリーまで到達した人数は14名だった。
月匠・木村久美子、冊匠・大音美弥子、さらに選匠の吉野陽子、小路千広、浅羽登志也の5人の選評委員が各作品を熟読し、選評会議を実施したうえ、厳正な審査の結果、読筋大賞を決定! 大賞三作品はそれぞれ「(走)」「(泳)」「(輪)」の漢字一文字が付され、下記の意図をもって各選匠が講評した。
(走)…評伝に描かれた人物をどこまでも追いかける脚力 講評:吉野陽子
(泳)…二つの世界をかわるがわる体験し、未知を呼吸する力 講評:小路千広
(輪)…異なるいくつもの世界をネットワークの力 講評:浅羽登志也
三冊筋プレス◎読筋大賞(輪)[評伝三冊]は、下記の作品に贈られます。
★受賞者:佐藤裕子/スタジオ美ジョン
●タイトル「第三の一点」●書名:『会津藩家老・山川家の近代』遠藤由紀子/雄山閣
書名:『街道をゆく33 白河・会津のみち 赤坂散歩』司馬遼太郎/朝日文庫
書名:『会津藩最後の首席家老』長谷川つとむ/中公文庫
●3冊の関係性(編集思考素):二点分岐
佐藤さんの三冊筋知文『第三の一点』は、梶原平馬の妻として会津戦争を共に戦い、明治維新後は離別した元夫と梶原家を支えながら、現代に続く女子教育の礎を築いた山川二葉の生涯を、三冊の本から読み解いた評伝です。
平馬は、筆頭家老としての務めを全うしながらも、多くの同士を死に追いやった苦しみを背負い、一時は新政府の士官職を得るも早々に辞職。根室に渡り歴史の表舞台から姿を消しました。一方二葉は、平馬と離縁した後は、幼子を抱えて東京に移り、敗者や弱者に手を差し伸べ育む道を選びました。二人に共通したのは「利害に価値をおかず、道理におけ」という会津の気風でした。
二人の違いは「第三の一点」をどこに置いたかでしょうか。幕府と新政府の対立の外にそれを置いた平馬と、より高い視点から対立を引き受け、そこから前に進むための一点を選んだ二葉。この評伝は、困難や挫折、対立を乗り越え「わたしはどう生きるか」を考える大事なヒントを与えてくれています。
佐藤さんは、三人の著者の視点の間を(泳)いで未知を繋げ、二葉の生涯を(走)破しました。最後に東北全体を俯瞰する視点まで(輪)を広げ、そこから一気にゴールインした圧巻の脚力に、読筋大賞(輪)を贈ります!
講評:浅羽登志也 選匠
第三の一点 佐藤裕子/スタジオ美ジョン
◆山川家の長女「二葉」
会津藩家老山川家の長女、山川二葉は、会津戦争で白無垢を着用し籠城戦に臨んだ。白無垢は切腹の装束ともなる礼装。その心は素より死を決していた。24歳の二葉は、一子景清2歳を乳母に預け、家老の一族として多くの女性の模範となるよう気勢を張った。一ヵ月後、開城の際に白い着物は鼠色になっていた。
『会津藩家老・山川家の近代』には、戊辰戦争で敗北した後の世を生き抜いた山川家の女性たちが、近代史、女性史の研究者で福島出身の遠藤由紀子によって丹念に描かれている。
二葉は17歳の時に父を亡くし、七人兄弟姉妹の一番上として幼い弟妹を母と共に支えた。明治以降は、東大や京大の総長を歴任した次男健次郎や、大山巌夫人として鹿鳴館で活躍した五女捨松など、山川家の兄弟姉妹それぞれが新しい世を開拓した。二葉は、東京女子師範学校(現、お茶の水女子大学)に30年近く奉職し、寄宿舎長として生徒と共に過ごしながら女子教育の気概を説いた。
本書が出版される15年ほど前に遠藤が現地調査で根室を訪れた際に遭遇したのが、二葉の夫、梶原平馬の墓だ。なぜ、北海道の東端に平馬の墓があるのか。遠藤は会津藩士の数奇な運命に心を寄せ、その妻がどう生きたのかを探っていく。
梶原家の遠祖は鎌倉幕府の御家人で、江戸時代初期から会津藩の重臣を輩出する一族だ。会津戦争中に切腹や戦死した家老が相次ぐなか、平馬は「会津藩最後の筆頭家老」を務め、奥羽越列藩同盟の立役者となった。
◆家老の使命と武士気質
長谷川つとむは「平馬のことを書いてほしい」と伯父に依頼され『会津藩最後の首席家老』を執筆した。伯父は平馬の孫にあたる人だ。当初、長谷川は「二葉の肩を持つことは吝かではないが、平馬の提灯を持つ気になれなかった」という。ところが、伯父が亡くなり、その遺稿集を通して遠縁の人々と親交を結び、さらには昭和63年、縁戚にあたる人が根室市で平馬の墓を発見したことを機に、北海道における平馬の晩年の実像に光をあてることが可能となった。根室の私立小学校で校長を務めた水野貞との生活などを推察しながら、長谷川は彼岸の平馬と対話することで、歴史の表舞台から忽然と姿を消した先祖への思いを昇華させた。
一方、遠藤由紀子は研究者としての真摯な姿勢で、平馬と二葉の曾孫にあたる人を訪ねて話を聞いた。「家老であった平馬は楽な生活をしないために、さらに苦労をする“戒めのために”北海道へ赴いたそうで、二葉とは“梶原家を残すために”離縁した。その通りに二葉は一人息子を「梶原」景清として育て、その二葉は、長らく“根室の貞に送金”していた」と子孫により語り継がれていることがわかった。貞と平馬がもうけた息子が上京した際には二葉が自宅で面倒もみていたというのである。
武家に育ち、籠城戦を経験した二葉だからこそ、会津戦争の当時、筆頭家老だった平馬が藩の再興を託され、処刑を免れつつ、敗者として明治の世で生きることの負い目がわかるのであろう。梶原姓を継ぐ一人息子を引き受け、さらには息子の異母弟やその母にまで心配りをするような二葉の生き方は、ものの道理を通す会津人の武士気質がなせるわざに思えてならない。
◆高尚な自虐性
『街道をゆく』「白河・会津のみち」で司馬遼太郎は東北人の気質について述べている。戊辰戦争は、西方(薩摩・長州藩など)が東方を圧倒したが、明治維新政府は首都を東京とし、関東の後背地である東北も東に属すると司馬は思っていた。が、東北には「そうじゃなくて、東北は第三の一点です。東じゃないんです。」という力み方があり、それを「東北人のひそかな楽しみの一つである自虐性──もしくは高度な文学性から出た自家製の幻想かもしれない」と表現している。
会津藩が、幕威の衰亡期においても幕命に忠実であったこと、利害に価値をおかず、道理におけと、筋をひたすら通しつづけたことと思い合わせると、その気風をうけた二葉の高尚な自虐性のようなものが見えてくる。
二葉は多くの生徒を近代教育の先駆者へと導き、その薫陶を受けた教え子は、現在も続く女子校の創立者となった。二葉の追悼集に残る同僚の言葉は、初対面の二葉は厳粛で古人のようであったが親しくなると「人品の高きを覚え、胸襟の寧ろ洒落なるを感じ、対話の間は恰も春風に吹かるる心地がする」とまで表現している。
東北人の「第三の一点です」という力み方。その一点に、敗者の自虐を一身に背負い、賊軍として斗南に流され厳寒にひたすら耐えた者たちを春風のように包む生き方があった。その「山川二葉」を幻想にしたくない。人生の敗者であるかのように震える人たちを支えるため、福島出身の私は、今いる場所で会津の気風を引き受け、二葉に肖り、第三の一点で力みたい。
金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:水木しげる
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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