【二千光年の憂鬱】Chapter3 Roll over nihilism

2022/05/23(月)08:00
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諦めてしまう前に、俺たちと組まないか

ぶら下がってるだけの、マリオネットのつもりかい

シェルターの中に隠れてないで

暗闇から手を伸ばせ

世界を塗り替える、共犯者になろうぜ

 

■ニヒリズムという病

 

サブカルチャー、カウンターカルチャーと言う言葉を、若い人たちの口からは、あまり聞かなくなったような気がする。仕事柄、10代の青少年と話す機会が多いのだけれど、「サブカル?何ですかそれ」というのが、平均的な反応である。

 

メインストリームのカルチャーが弱体化してしまって、サブカルやカウンターカルチャーの出る幕がなくなったのか、30年にも及ぶ不況のせいで、サブカルにうつつを抜かしている余裕がなくなったのか。いずれにしても、サブカルは、かつて持っていた得体のしれない魅力を失ったように思える。そして、アートもファッションも文学も総じて元気がない。元気があるのは唯一漫画とアニメくらいか。80年代、ジャパンアズナンバーワンとか、クールジャパンとか言って浮かれていた時代にすでに終わっていたのだろうと、今となっては思う。

 

ちなみにおたくの方々も随分と様変わりした。

 

もちろん古典的、ストロングスタイルのおたくもいるにはいるけれど、新陳代謝がなされておらず、体感的には絶滅危惧種ばりに少なくなってきている。ニューエイジなおたくたちは、ライトなおたくというのか、ノンアル気分なおたくというのか、ゼロカロリーおたくというのか(しつこい)、とにかくオールドスクールなおたくと比べると、身なりはこぎれいで、ルックス的にはいたって普通。一目ではおたくと見抜けない。でもその分こだわりの強さも中途半端。ようするに純度30%くらいの薄めのおたくが増えているような気がする。

 

見た目はアブナイし、社会性ゼロで、使命感も皆無だけど、いざスイッチが入ったら何だかわけわからんパワーを発揮する、純度100%のおたくが懐かしい。

お友達にはなりたくないけど。

 

日本の政治や経済がひどいのは、政治家や学者にも問題はあるのだろうが、日本全体が無気力に覆われていることが一番の原因だと思う。どんな酷い政策を打ち出されても、ちょっと文句は言ってみるけれど、「ま、でもしょうがないか」と受け入れてしまう。抗議の行動に出た人間が罪人であるかのように扱われる。これは異常な事態だと思う。

 

このことと、サブカルが力を失ったこと、おたくが漂白されてしまったこととは、きっと無関係ではなく、全部つながっている。そんな気がする。

 

ではなぜ、日本人は無気力になってしまったのか。

学術的、統計学的な分析は専門家にお任せするとして、極めて個人的な感想を述べると、日本全体が無気力の病にかかったのは、コトバに力がなくなったからではないか。いや、正確に言うと、私たちが言葉に対するリスペクトを失ったからではないか。自分が発したコトバに責任を持たないから、薄っぺらいコトバが増えていき、自分が発したコトバでさえ信用できなくなってニヒリズムの闇に落ちていく。

 

それともう一つ、カセギにばかり気をとられて、多くの日本人がツトメということを忘れてしまったことが原因であると思う。その背景としては、コミュニティが崩壊してしまったことが大きく影響しているというのがボクの仮説だ。

 

■コトバの力

 

2022年4月23日(土)の日本武道館、ライブの最後の最後に、AK-69は武道館を埋め尽くす聴衆人一人ひとりに対して、自問自答するかのように、静かな口調で語りかけた。

 

「今の日本への危機感、日本人が本来持っていたはずの様々な美点を取り戻すために、一人ひとりができることは何なのか考えて欲しい」

 

簡単に答えが出るはずはないけれど、思考停止したら、その時点で終わってしまう。虚無感に呑み込まれてしまったら、衰退していくばかりだ。

 

AKは続けて、こう言った

 

「身もふたもない言い方をすれば、俺たち世代はもういいよ。だけど、これから生まれてくる子どもたちが、誇りをもって生きて行けるような国にしたいじゃない。そのためには、絶対に諦めちゃだめなんだよ。今のような日本になったのは、俺たちが心のどこかで諦めてしまっているからだよ。日本はまだまだやれるはずだし、日本人は本来もっと優秀で、素晴らしい民族だと俺は信じてる。だから俺たちが踏ん張っていかないと。」

 

この日のオーディエンスの、たとえ数%であったとしても、本気で考えるきっかけにはなったはずだ。国会答弁で政治家が語る言葉より、数万倍、日本への危機感や、日本人としての誇りや愛を感じた。それは、AKが自らのラッパー生命をかけて、吐き出した言葉だからだ。

 

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーの演説を聴いていて、コトバは武器になると思った人も多いだろう。あのあと、日本のキッシーの国会答弁を見ると絶望的に悲しい気分になった。自分の言葉を信じていない人のいう事を誰が聞くと言うのか。他人が用意した言葉をただ棒読みするだけの空虚なパフォーマンス。官僚が書いた原稿を、音声自動読み上げソフトに読ませても何ら変わらない。ゼレンスキーをヒーロー扱いするマスメディアには違和感が拭えないし、報道を真に受けて、ゼレンスキーがヒーローだとも思わない。でも、少なくとも、日本のセージカたちの言葉よりは力を持っていると思う。

 

政治も経済も三流の国に落ちぶれてしまった令和の日本で、ボクらがサバイブしていくには、ニヒリズムに押しつぶされないように、言葉の力を取り戻す必要がある。

 

普段、何気なく使っている言葉が生まれるにいたった歴史的背景や、先人たちが言葉に込めた思いや願いをすべて受け止め、敬意を払い、覚悟をもって使うべきなのだ。

 

自由という言葉の意味を考えてみたことがあるだろうか。

本来の意味を知らず、軽々しく使っていないだろうか。

英語のfreedomと今我々が使っている「自由」との間には、埋めようのない深い溝がある。

 

「自由」という言葉を辞書にあたって調べてみるといい。その背景にある長い長い人類の歴史に触れることができるだろう。松岡校長の言葉を借りると、私たちは途中から歴史的現在に放りだされた存在だ。であるならば在りものであり、借り物である言葉へのレスペクトを忘れてはならない。 

 

編集とは、

 

◎いまここにあるものを見て、それが本来どこから来ているのか、いにしえに思いを寄せる=考古すること
◎その元々の姿を知った上で、もういちど今を考える=考現すること
◎そのものの行く末を考える=考来すること

この三つを同時に行うことだ。

 

言葉が背負っている多くのことを身体で感じるためには、歴史上の事実は、教科書や大河ドラマや小説の中にあるのではなく、今我々が生きている、この令和の時代と地続きであり、その時流れていた時間は、今もなお存在し続けているということを強烈に意識するべきなのだ。

 

そして真実は一つではない。

 

人が10人いれば10通りの真実があり、女の子が一人いれば100通りの真実がある。何が本当か分からなくなったら、あらゆる情報を集め、冷徹に見つめることだ。そして歴史に尋ねてみること。

 

「歴史は、それ自体を繰り返さないが、しばしば韻を踏む」のだから

 

ここで、もう一つ、BrahmanというバンドのフロントマンToshi-Lowの言葉を紹介したい。

 

「東日本大震災が起きた年、バンドやめようかと思っていた。勢いで始めたものの、自分の音楽家としての才能にも限界を感じていたし、歌いたいことが見えなくなっていた。事務所にしばらく休むことを伝えたタイミングで3.11が起きた」

 

「とにかく現地に行こう。そこから先の事は後で考えりゃいい。そう思って、被災地を訪れた。自分にできることは何でもやろうと決めた」

 

「偽善と言われるだろうとは思っていた。でも、そんなことはどうだっていい。音楽を辞める気でいたし、失うものもなかった。自分のためにやるわけじゃないから、オレがどう思われるかなんてカンケーねえし、大切な人や思い出が詰まった家や、故郷を失ってしまった人たちのことを、見ないふりはできなかっただけ」

 

「何もしねえで批判バッカしてるやつらのいう事なんて、雑音でしかない。中にはキャラに合わないことは辞めた方がいいって余計なアドバイスをしてくる奴もいたけど、キャラって何だよって話だよ。何ができるだろうとか、悲惨な状況に対して音楽が出来ることはあるのかとか、頭で考えたって答えは出るわけねえし、何ができるかじゃなくて、不条理な運命につぶされそうになっている人たちのもとに駆け付けたい。その思いだけで動いたわけだけど、結果、被災地の方々から逆に前に進む勇気や力をもらったよ。それで、また音楽をやっていく気持ちにもなれた」

 

人がどう思うとか、周りの評価とか、ボクらはいつから、そんなことばかり気にするようになったんだろう。お天道様に恥じない生き方をするという、昔の日本人が持っていた行動規範と、他人の評価ばかりを気にする精神性とは天と地ほどの差がある。

 

自分の声なんて、誰にも届かないと虚無感に襲われるときもあるけど、間違いなく誰かに届くと信じること、そして、勇気をもって声を出していくこと。そこから、ボクらの闘いが始まる。

 

■カセギトツトメ

 

ボクが住んでいる街は、限界集落化が進む多摩ニュータウンの中でも、特に高年齢化が進む高台の住宅地である。以前住んでいたところも平均年齢が65歳を超えていたが、都道158号線、通称ニュータウン通りを挟んで、反対側の山の上にある今の街も高齢化が進み、空き家が目立つ。自分の足で歩けるうちはいいけれど、老人になって歩行も困難になったら、眺望の良さが売りであった立地が致命的な欠点となるだろう。

 

毎朝片道20分かけてジムまで歩いていくのが日課だ。途中、散歩する老人や、通学の高校生、通勤のサラリーマンらとすれちがい、挨拶を交わす。同じ地域の住民であるというコミュニティ意識はうっすらとは残っている。

 

だけど、自治会は存在しても、コミュニティとしての機能は、ほぼほぼ果たしておらず、住民が集まる機会もない。

 

ボクが子どもの頃、近所のオトナたちは、何か理由をつくっては集まりお酒を飲んでいた。父親は下戸であったうえ、人付き合いが苦手な人だったので、ご近所の輪の中に積極的に入っていくことはなかったが、母親が社交的な人だったため、ウチにはいつも誰か「よその人」がいた。夕食時には近所のおじさんや、その子供たちが、家族の団欒の中に混じっていて、一緒にご飯を食べていた記憶がある。「三丁目の夕日」の世界がそのまま展開されていたイメージだ。

 

それも70年代半ばくらいまでで、いつからか、そのような光景は見なくなった。

 

あの頃は良かったとか、ノスタルジーに浸るつもりはないが、地域コミュニティが機能していた時代の日本と今とでは何が決定的に違うのか考えてみたいと思う。

 

日本国憲法に勤労の義務という条項があるが、ボクの外国人の友人は一様に呆れた顔をする。彼らにとって勤労は権利であって、義務ではない。生活のために働くのであって、働かずに済むなら働かないし、国民は国のために働くという概念が理解できないらしい。労働は卑しい行為であるという意識が、古代ギリシャ以来、DNAに刻まれているに違いない。

 

一方、我々日本人にとって、仕事には2つの側面があり、一つは生活をしていくために稼ぐこと。もう一つは、コミュニティの中で、何かしらの役目を果たすこと、つまり勤めを全うすること。この2つが揃って日本の社会では、初めて一人前と認められた。

 

ところが、地域コミュニティが希薄になると同時に、会社の中で勤め上げるという意識が強まり、カセギとツトメの境界がぼんやりとしたものになって、かつてのように、地域社会に貢献する、世のため人のために尽くすという行為が切り離されてしまった。会社が地域社会にとってかわったのが、高度経済成長期だった。

 

80年代に入り、バブルが弾け、日本経済に陰りが出てくると、企業は投資をしぶり、内部留保を拡大する。そして小さな政府に移行していくとともに、成果主義が標準になり、自助努力、自己責任という言葉が幅を利かせ始める。同時にインターネットの登場で、かつての村八分制度ではないが互いに監視しあう社会が現実のものとなり、行き過ぎたコンプライアンス故に、リスクヘッジばかりうまくなって、足をひっぱられないためにリスクをとらないようになる。

 

そうすると、誰もがツトメを果たさないようになっていくわけで、そのことが日本人の無気力化を生んでいるのではないかと思う。

 

第二次大戦の敗戦後、GHQは日本を解体し、日本人がもっていた結束力、集団としての強さを奪うために策をめぐらせた。核家族化によって結束力は弱められ、家業を継がずサラリーマンになることを最上とする価値観が定着し、ツトメという概念が希薄になった。

 

自虐史観に基づく教育によって、ゆがんだ歴史認識を植え付けられた。

 

言い出すときりがない。

 

昔は良かったと懐古趣味に浸る気は毛頭ない。失ってしまった地域コミュニティを復活させようとは言わない。崩壊してしまったものは元には戻らないし、かつての日本を懐かしむことに、意味があるとは思えない。日本と日本人が変わってしまった原因を数え上げて、嘆いてみたところで何も解決しない。

 

今、日本人に最も求められていることは、正しい国家観を持つことではないか。

そのために日本の歴史を曇りなき目で捉えなおすこと。

ボクらが、歴史的現在に生きているということを再認識し、

世界の始まりから、もう一度学んでみる

 

生命の誕生と進化、哲学や思想の歴史、宗教が果たしてきた役割

 

ボクらは、なぜこの世に生まれてきて、どこに行こうとしているのか。

死に向かって一方通行で走っていくしかないのに、なぜ生きているのか。

地球には、どうして、こんなにも命があふれているのか。

 

半村良は「妖星伝」の中で、花々が咲き乱れ、動物たちがそれぞれの命を謳歌する地球を醜いと表現した。他の宇宙と比べると、生命があふれている地球は異常なのだ。それ故、ボクらの生は、他の命を奪わないと生きていけないようにプログラミングされている。この世に創造主がいるのなら、なぜ、そんな世界をつくってしまったのか.

 

その問いに答えようとしたのが宗教なのだろう

 

学ぶべきことは、無限にある。でっかいクエスチョンマークに対して、子どものような好奇心をもって、正面からぶつかっていくことでしか、現状を変えることはできない。

 

あなたがもし、夢破れ、挫折して、自分の限界を感じていたとしたら

限界なんてものは、自分が勝手に引いた境界線に過ぎなくて、

何度でも引き直せるということを知って欲しい

 

過ぎ去った時間は不可逆で、

人生はリセットできないけれど、

積み重ねてきた時間の意味を書き換えることはできる。

 

ぼくらを飲み込もうとする、輪郭の無い世界と闘うための

武器と道具と方法は、全部ここにある。

 

あとは、あなたが飛び込むだけ。

 

今も闘っている、元少年少女たちよ

見る前に跳べ!!

 

今日を生き延びるための10曲(3)

1.The Mods / Watch your step

2.10FEET / その向こうへ

3.Theピーズ/生きのばし

4.怒髪天/オトナノススメ

5.Flower Company / 深夜高速

6.eastern youth /Natsunohinogogo

7.Thee michel gun elephant /世界の終わり

8.Hi-Standard / Stay Gold

9.The Blue Hearts /未来は僕らの手の中

10.AK-69/Forever young

 

毎日、同じことの繰り返し。なんとなく面白くない、そんな気分の時に、無理やりにでも戦闘モードに持っていってくれる10曲。

 

今回、ライブヴァージョンを多く選んだのは、5月3日(火)、VIVA LA ROCKに参戦したときの余韻が残っていたから。ロックフェスのような祝祭空間に身を置くことの喜びを久しぶりに思い出した幸せな1日だった。

 

1のThe Modsはデビューから41年、一度もメンバーチェンジすることなく、ずっと現役でパンクをやり続けている、現在進行形のレジェンド。ハードボイルドなたたずまいと世界観は、今も健在。

4のオトナノススメは、怒髪天を愛するミュージシャンたち220名が参加した35周年記念トリビュート音源の動画。ど頭のギターウルフ、セイジの叫び声から、テンション爆上がり。

 

 

子どもの頃、特に10代の頃は妙に潔癖で、大人のズルさが許せなかった。大人になるということは、可能性を一つずつつぶしていくこと、大事なものを失うことのような気がしていた。でも、「人生を背負った悪ふざけが出来るのは大人の醍醐味だぜ」って今では思っている。分別くさい退屈な大人ではなくて、自分の大切なものを守るために、全力で攻めていくバカみたいにピュアなオトナに、ボクはなれているだろうか。この曲を聞くたびにいつも、そう自分に問いかける。

 

【二千光年の憂鬱 Back Number】

Chapter3 Roll over nihilism/

Chapter2 Fight or Flight

Chapter1 Remix the world


  • 倉田慎一

    編集的先達:笠井叡。Don't stop dance! 進めなくてもその場でステップは踏める。自らの言葉通り、[離]の火元を第一季から担い続け、親指フラッシュな即応指南やZEST溢れる言霊で多くの学衆を焚き付けてきた。松岡校長から閃恋五院方師を拝命。

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