【二千光年の憂鬱】Chapter7 Dawn Of A New Order

2022/11/07(月)19:00
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■幻の30年

 

  1950年の朝鮮戦争に始まり、1991年ソ連の崩壊によって終焉するまでの冷戦時代、この41年間は日本の黄金時代、高度経済成長の40年だった。

 

第二次世界大戦が終わり、アメリカとソ連が世界を二分する冷戦構造の中、アメリカは日本と西ドイツの2国は何としても共産主義陣営に取られたくない。だから力を入れて守っていた。日本は防衛をアメリカにお任せで、経済だけやっていれば良かったので、成長を続け、アメリカに迫る勢いにまで達した。 ところが、1989年、昭和が終わり、ベルリンの壁が崩れ、1991年に冷戦は終了する。冷戦という枠組みがなくなったことを境に世界はグローバリズムの時代に突入する。西も東もない、東西ボーダレス経済時代の始まりである。

 

アメリカに迫る勢いにまで経済大国化した日本は、目ざわりな存在だったのだろう。プラザ合意によって、円高、ドル安誘導が行われ、内需主導型への転換を余儀なくされ、バブル経済に雪崩れ込んでいく。バブル自体は否定されるべきものではなかったのではないかと思うが、国家破綻を恐れた日銀による金融引締めが引き金となり、バブルが弾ける。不動産価格は高騰したが、それ以外の消費財やサービスの物価は言うほどはあがっていなかった。なので金融引締めには当たらなかったのではないかと個人的には思っているが、ともかくバブルは弾けた。

 

そして中曽根内閣における三公社民営化、橋本内閣における金融緩和、とどめを刺したのは小泉純一郎による郵政民営化だった。それ以降、新自由主義的価値観がスタンダードとなっていく。

 

日本的経営のありかたは一方的に否定され、コーポレートガバナンスという言葉とともに、日本の企業は従業員よりも株主の顔色ばかりを気にするようになる。そして、自助努力、自己責任の名の元に弱者を切り捨てる政策が進められ、日本は弱体化の道を一途に辿っていく。一方チャイナは、アメリカを始めとする西側諸国のそれぞれの中枢に、言葉巧みにすり寄っていき、潜入し、根を生やした。そうやってチャイナはアメリカに迫るところまで巨大化した。その流れに逆らったのがトランプだろう。

 

まとめると、冷戦終了の1991年から2022年の約30年間、日本では出口のない不況が続き、チャイナが黄金時代を築いていった。

 

■新しい秩序のはじまり

 

そして、2022年2月22日、世界は新たなフェーズに入った。これからは資本主義と社会主義、西と東、あるいは保守と革新という固定化された見方は通用しないのではないか。保守陣営にもグローバル全体主義者もいればナショナリストもいる。革新派の中にもグローバリストがいれば、ナショナリストもいるのだ。

 

肌感覚的には、覇権国家としてのアメリカが相対的に弱体化したことや、世界的な景気悪化によって、ナショナリズムの巻き返しが起こってくるような気がしていた。イタリアでもイギリスでも新しいリーダーのもと、新しい時代が来るかもしれないとさえ思っていた。しかし、イギリスのリズ・トラスはイングランド銀行によって、足を引っ張られたことが大きいと個人的には思うが、2か月ももたず、辞任した。後任にはジョンソン政権で財務大臣を務めていたリシ・スナク氏が就任。

 

スナク氏はインド系移民、しかも英国への移民という点で言えば移民2世であり、史上初のインド系、しかも日の浅い移民出身初の首相ということになる。(アングロ・サクソン系ではない移民出身の首相としては同氏が初めてではなく、19世紀後半に二度首相になったディズレイリがいる。)


スナク氏に対する、最大の懸念材料は彼が根っからの新自由主義者であり、記者会見(日本時間の24日)において明確に、小さな政府を目指すこと、そして移民受入を拡大すること(入国管理の緩和)を明言していたことである。後者については、どこかの国の総理大臣の口からも聞いたことがあるような話だが、「高度人材」である移民の受入拡大は英国におけるイノヴェーションにもつながるとまで語っていた。

 

ちなみに対抗馬とされながら、推薦人を規定数集められず出馬を断念したPenny Mordaunt女史も小さな政府推進論者である。事実上、英国においては、積極財政派は完全に芽を摘まれたということか。


スナク氏はインド系ではあるが、彼の祖父の時代はインドは英国の植民地であり、その時代にインドから、同じく英領東アフリカに移住し、東アフリカ諸国の独立を前に英国に移住してきたようで、スナク氏の父親が医者であったことも考えると、根っからのAnywhere的な思想の持ち主である。それが新自由主義的な考え方をより一層強めているのだろう。

 

大失敗した小さな政府を推進する新自由主義者であり、これまた大失敗した移民の受入拡大を進めようとしている政治家が英国の首相になったことで、日本の新自由主義者たち(小さな政府、もっとはっきり言うと緊縮財政が大好きで、移民受入を拡大したくて仕方がない連中)が、英国に倣え、英国で移民出身のインド系の首相が誕生し、新自由主義政策を推進しようとしているのだから、日本でもやはり新自由主義政策で成長を目指すべきだ、などと完全に間違った主張をして大騒ぎをするのは目に見えている。大手メディアや左翼リベラル系のネットメディアを中心に、スナク氏が非アングロサクソン系、インド系移民出身であるという点だけを強調して、英国も変わった、日本も変わるべきだと言うような、見当違いな方向に世論を誘導しようとするであろうことも容易に想像できる。

いまさら日本のマスメディアに何の期待もしていないので、勝手にやってればといいたいところだが、困ったことに、未だに新聞・テレビのいう事はすべて真実だと思い込む人たちが一定数、存在する。


それはとりもなおさず、緊縮財政をさらに推進すること、国としての役割、地方公共団体としての役割を事実上放棄して自己責任社会を進めることにつながる。そうなれば、我が国の貧困化は更に進み、格差は拡大し、日本の技術や技術者は買収されて海外に流出し、不動産は買い漁られ、インフラは老朽化どころか朽ちていき、日本の発展途上国化が一気に進むことになりかねない。 

 

ネオリベラリスト=グローバリズム陣営は、世界秩序の名の元に世界中のマーケットの一元管理化を進めようと画策し続けている。流行病騒ぎも、ウクライナ侵攻も、その過程における一局面に過ぎないように思う。これから先のことを予言するつもりはないが、アメリカの大統領選でトランプが復活を果たすか、それともネオリベラリストたちに潰されるかに注目したい。

 

昨今、リベラリズムという言葉が、左翼的、革新主義と同義になっていて、言葉本来の意味からは大きくズレてしまっているので、ここで、リベラリズムという言葉を再定義しておきたい。

 

■ライトな自由主義、ハードコアな自由主義

 

リベラリズム、リバタリアニズム。両方とも自由主義の特定の立場を表す専門用語であり、両方とも日本語に訳すと『自由主義』という意味になる言葉だが、誤解を恐れずにざっくりと分類すると、弱者に優しい福祉社会を作る考え方が本来のリベラリズムであり、弱肉強食の自由競争を推進する考え方、新自由主義者たちの思想がリバタリアニズムといえるであろう。

 

自由主義について整理する目的で多くの入門書に目を通したが、ほとんどの本が、このリベラリズムとリバタリアニズムの説明に、かなりのページを割いている。だが、正直なところ、とても分かりにくく、アメリカ、ヨーロッパ、日本で捉え方が違うし、著者によっても、極端な場合、まったく正反対な内容が書かれていたりもした。

 

分かったことは、『リベラリズム』とは、それが『どこの国』の話なのかという文脈によって中身が変わってしまう用語だということ。なので、リベラリズムを理解するためには、用語の違いを網羅的に把握するのではなく、自由主義とは結局、何を正しいとする主張なのか? その本質をつかむべきだと思う。

 

自由主義について、多くの文献にあたってみて、感じたことの一つは、自由主義にも緩やかな自由主義と、強硬な自由主義があるということ。

 

「緩やかな自由主義(=ライトな自由主義者)」というグループに分類される人たちは、自由主義者全体の中でも大半を占めるほどの人数であり、しかも一見すると意見がバラバラで、何の類似性もない集まりのように見えるが、実は全員がある共通の、同じ思想を持っている。

 

それは、「人間は生まれついての自由な存在であり、社会は何よりも個人の自由を尊重しなくてはならない」という思想だ。

 

自由を最優先しているようだが、実は個人の幸福、社会の健全性を自由より上位概念としている。彼らが自由を求めるのは、それが幸福のための前提であるからだ。これは、功利主義の思想と限りなく近い。いや、ほぼ同じであるといって良いだろう。

 

ライトな自由主義者たちの目的は『人々の幸福度の増大』にあり、自由とはあくまでも、幸福度を増大させるための道具、手段のひとつにすぎないと言える。

 

だから、ある特定の自由が「最大多数の幸福度の減少につながる」としたら、その自由を制限しようとすることに抵抗は感じないはずだ

 

では「強硬な自由主義(=ハードコアな自由主義)」とは、どのようなものだろうか? それは人類の幸福よりも、自由の実現を上位概念とする思想だ。人々が幸福であるかどうかはあまり関係ない、いやまったく関係ないかもしれない。ハードコアな自由主義者にとって重要なのは、人間に与えられたもっとも基本的な権利である「自由」を守ることであり、そこから生じる結果については一切問わない。

 

つまり「自由を守ることは、即ち正義であり、自由を奪うことは、即ち悪である」という価値観に縛られた自由主義である。そこに、結果も事情も幸福も関係ない。いかなるケースにおいても、単純に、愚直に、たとえ誰が不幸になろうとも、自由を守ることが正義だと考える、それがハードコアな自由主義だ。

 

例えば、仮に、あるひとりの人間が世界中の富を独占しているとして、その人からたくさん税金をとり、その財を再分配すれば、多くの人が救われ幸福になることが確実だったとしても、人の財産を強制的に奪うというのは、『人間が自分のモノを自由にできる権利』の侵害にあたる、すなわち強盗行為なのだから、自由主義ではまったく許容できない政策として反対する。どれだけ多くの人が生活に困って死のうともまったく関係ない。たとえ幸福度が増大したり多くの人の命が救われるからといって、『他人の権利を侵害してよいということにはならない』というのがハードコアな自由主義のスタンスだからだ。

 

グローバリストの考え方、新自由主義者の行動原理は、それに近いものがあるように思えるが、彼らは、自分や自分と同じくらい優れた人たち、自分と同じクラス、同じグループに属する、一部のメンバーたちの自由を守ることが最優先事項で、他者の自由、自分よりも劣る者(のように目に映る者)、社会的弱者の自由は尊重しない。ハードコアな自由主義が、よりいびつで特殊な方向に先鋭化した思想が新自由主義だ。

 

積極財政を行い、減税をし、マネーサプライを増やし、経済の安定化をはかれば、社会が良い方向に向かうとしても、それによって、自分たちの自由が侵害されるならば、どのような手段を使っても、断固阻止する。ここでいう「自由」の中身は、新自由主義者たち一人ひとりによって異なるのだろうが、ある者にとっては、自らの権力を誇示する自由、ある者にとっては、自らの富を拡大する自由、ある者にとっては、自分が属する組織を守る自由、いずれにしても、そこには他者の自由を尊重すると言う選択肢はない。彼らが人民とか国民と言うとき、自分と属性を同じくする一握りの仲間と自分自身以外は勘定には入っていない。

 

そしてマスメディアも、そのシステムの一部として組み込まれている。

 

余談だが、イギリスのトラスの失敗は、最悪のコストプッシュインフレの局面で減税しようとしたことにある。日経新聞はこのことを理由に、増税すべきだとか書いているようだが、増税はあり得ない。

 

高校の政経の授業でも習った、需給曲線ですべて説明がつくシンプルな問題であるが、一応説明しておこう。

 

今のイギリスの現状を引き起こしたのは、そのおおもとにEU離脱がある。加えてロシアのウクライナ侵攻により、イギリスの生産力が著しく下がったことに原因がある。

 

横軸に実質GDP、縦軸にインフレ率をとって、需給曲線を描いてみてほしい。先ほどの理由でイギリスの生産力は下落する。そうすると供給曲線は左に異動する。需要は変わらないので、GDPは下がり、インフレ率は高くなる。これがイギリスの経済の実態だった。この状態で減税するとどうなるか。供給曲線は動かないが、マネーサプライが増えるので、需要曲線は右に移動する、そうすると実質GDPは増えるが、インフレ率はさらに高まることになる。デフレ下であれば正しい施策だがイギリスのようにインフレがひどい状態では、やるべきではなかった。これがトラスの経済政策の失敗の実態だ。

 

では、日経新聞が言うように増税したらどうなるか。需要曲線が左に移動して、インフレ率は確かに下がるけれども、GDPも下がる。つまりは、今のイギリスのような状況下では、減税も増税もやってはいけないというのが結論である。

 

考え得る唯一の答えは、供給曲線を元に戻すこと。これ以外に道はない。

そのために何をすればいいかというと、ロシアのウクライナ侵攻は当分続くであろうし、今更EUに戻ることも考えられないだろう。ならばEUに代わる別のシステムを探すことである。例えばTPPとか。しかし、これも時間はかかるだろうから、短期間で成果は期待できない。デマンドプル型のインフレ時であれば、消費を抑えればいいので施策を打ち出しやすいが、今回のようなコストプッシュ型のインフレ時は難しい。

 

ともあれ、イギリスの失敗に乗じて、この日本で増税を叫ぶのは、まったくの見当違いである。日本のインフレはイギリスとは異なり。まだ耐えられるレベルである。あらゆる商品サービスが値上がりしているとはいえ、需要不足である状況は変わらない。つまり、日本経済を立て直すには、今でも積極財政と減税が有効な施策なのである。可処分所得を増やす。これにつきる。イギリスと日本とでは、状況が異なるということを、すべての緊縮財政論者たちには直視して欲しいものである。

 

to be continued

 

今日を生き延びるための10曲(7)

1.Mountain Top / Ellegarden

2.サボテン/the LOW-ATUS

3.Rainbow /ReN featuring TAKA

4.Last Dance /(Sic)boy&Wes Period

5.Today/Air

6.夢から覚めてしまわぬように/syrup16g

7.VOICE / Pay Money To My Pain featuring TAKA

8.めくるめく僕らの毎日 / 残像カフェ

9.SAD SONG / Mojo Club

10.体の芯からまだ燃えているんだ / シン&ふうか

1のMountain top は復活エルレガーデンの16年ぶりのシングル曲。この曲の発表と同時に、エルレが本格的に再始動を開始した。NHKの特別番組、ワンマンツアー、Amazonnでの特別番組放映、そして16年ぶりのニューアルバム発表。この曲はエルレが伝説なんかじゃないってことを知らしめる挨拶代わりの曲。音の感触やコード進行等、サウンドプロダクションは、16年前のEleven Fire Crackersの延長上にあるが、当然のことながら休止期間の10年に、メンバーそれぞれが過ごしてきた時間を感じさせてくれる曲となっている。

 

2はエルレの細美さんと盟友であるBrahmanのToshiroの2人で組んだアコースティックユニットのナンバー。2人のキャラクターがいい具合にミックスされた佳曲。

 

3はReNのコンサートに、ワンオクのTAKA が飛び入りしたステージ。このライブにはボクも参加したが、TAKAが登場した瞬間、コロナ渦にも関わらず、思わず客席から歓声が沸き起こった。

 

4の(sic)boyは、今一番注目するアーティスト。トラップとオルタナティブ、ラウドロックを融合させたトラックにエモなラップを乗せて、東京のカオスを切り刻んで見せてくれる。

 

5はバンドブームを背景にデビューしたパンクバンドBAKUのギタリストだった車谷浩二が、90年代ネオ渋谷系ユニットSpiral LIfeを解散させた後にソロデビューした時の名称がAIR。フランスに同名のデュオがいるが、音楽性はまったく別モノ。グランジやパンクやヒップホップなど、その時々の同時代の音楽とシンクロしつつも、メインストリームからは少し外す、スタンスの取り方がカッコよかった。この曲は車谷の声の魅力が最大限生かされた曲。万華鏡のように曲の世界観によって変幻自在でありながら、一聴して車谷と分かる声。

 

6はシロップのナンバーの中では、最も穏やかな曲かもしれない。ひりつくような痛みや、ささくれだった感情ではなく、すべてを受け入れ、執着しないで孤独を道連れに。淡々と生きて行くという思いを静かに歌った歌。

 

7は若くして亡くなったKへの思いをストレートに歌った曲。Pay Money To My Painのラストアルバムは生前Kと親交が深かったアーティストたちが、ゲストボーカルとして参加しているが、この曲はワンオクのTAKAがフィーチャリングされている。2020年、コロナが流行する直前に行われたブレアフェスでも、もっとも会場が盛り上がった曲。

 

8の残像カフェはネオアコースティックというか、ネオ渋谷系というか、儚く過ぎていく一瞬の煌めきにも似た、10代という特権的な季節を体現したようなバンドだった。

 

9はRCサクセションのローディからバンドマンになった三宅伸二のバンド。三宅は清志郎のナイーブな部分を受け継いだナイスガイで、清志郎と結成した謎の覆面バンドであるタイマーズでも活躍した。

 

10は2018年に公開された「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ」のテーマソングで、阿部サダヲ演じるシンと吉岡里穂演じるふうかが歌う劇中歌。吉岡里穂が思いのほかエモい。作詞作曲はあいみょん。

 

 

【二千光年の憂鬱 Back Number】

Chapter6 all about Buddah/

Chapter5 Good Bye cruel World/

Chapter4 Anarchy in JP/

Chapter3 Roll over nihilism/

Chapter2 Fight or Flight

Chapter1 Remix the world


  • 倉田慎一

    編集的先達:笠井叡。Don't stop dance! 進めなくてもその場でステップは踏める。自らの言葉通り、[離]の火元を第一季から担い続け、親指フラッシュな即応指南やZEST溢れる言霊で多くの学衆を焚き付けてきた。松岡校長から閃恋五院方師を拝命。

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter6 All about buddha

    今回は仏教について語ってみたい。解脱した釈迦がなぜ、そのまま入滅せずに現世に戻ってきたのか。釈迦以前に解脱した阿羅漢たちとは何が違ったのか。そもそも解脱とは何なのか。仏教ではヒンドゥ教における永遠不滅のアートマンの実在を […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter5 Good Bye Cruel World

    ■非攻兼愛   あなたは正義の戦争はあると思いますか。 あるいは戦争に正義はあると思いますか。   例えば十字軍、キリスト教徒にとっては、イスラムからエルサレムを奪還するための正義の戦争だっただろう。 […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter4 Anarchy in JP

    chapter2でロンドンのパンクロックについて少し話したので、日本のパンクについても語っておきたい。長くなるので3回に分けて、お届けしようと思う。   ■パンク黎明期   日本でも、ロンドンに遅れる […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter3 Roll over nihilism

    諦めてしまう前に、俺たちと組まないか ぶら下がってるだけの、マリオネットのつもりかい シェルターの中に隠れてないで 暗闇から手を伸ばせ 世界を塗り替える、共犯者になろうぜ   ■ニヒリズムという病   […]

  • 【二千光年の憂鬱】Chapter2 Fight or Flight

    1. spilit of 1976 あえて軋轢を生むような生き方をしたい。 無難にスマートに生きていたって面白くないから。 空気なんか読まない。KY上等。 人生はぶつからなければ分からないことだらけだ。   4 […]