いまなぜ神秘主義なのか 歌う46[破]師範へ書の贈呈【77感門】

2021/09/08(水)17:35
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失言すれば炎上し、コンプラ違反で私刑を受ける。ほころびを許さぬこの国は「断点」を抹殺し、プラスチック・ワードで人々の口をびたりと覆う。私たちはいま、レジ袋で胃袋を満たした瀕死のウミガメのようである。
 
突破式の冒頭、原田淳子(学匠)はひたひたと問うた。「はやくて、カンタン、わかりやすい。ほんとうにそれだけでよいのでしょうか」「一見便利で合理的な社会です。でも、そこには異質や例外、弱いものに対する目線が足りていません」 

肺がん手術明けの松岡正剛は、『神秘主義』を千夜千冊。以降、占星術グノーシスなど一般社会では日陰にひそむテーマに脚光を当てる。「校長はきっと『隠された世界ごと見てごらん』と示唆している」と原田は読む。

▲直接会えずとも、言葉そのものが贈り物。自宅からたしかに祝いだ原田。

 

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断点からしか、編集は生まれない。

言い淀んだり、文意が滞ったら、そこがチャンスです。そこに自分がさしかかった表現編集の断点があるからで、そこを断然点にして文章や発言を鋭意変化させる。これがコツです。


(77感門タブロイド「断点から断然点へ/松岡正剛」より)

イシスでは編集学校ではこの断点にこそ、日を当てて水をやる。師範代および師範がとくに、この役目を負う。我々は、書けないものをこそ書くのだ。

 

第77感門之盟 46[破]突破式でも、師範として初登板を果たした3名と、「うたよびの国」目指し初番匠を泳ぎきった1名に松岡から書が贈呈された。紋切り型に埋め尽くされたコンビニエンスな社会で、あやの詞を歌いつづけた4名だ。

 


 

◆野嶋真帆番匠

 

「破の稽古は熟成が必要」 野嶋の言葉を受け、松岡からは破で必要なものとして「万事万端を万感にもたらすこと」と極意が語られた。

「野嶋師範に未体験のロールがあったなんて」とほうぼうから驚かれながらの初番匠。ビタミンカラーのアンティーク着物に身をつつみ、手をゆらゆらさせながら50グラムの勇気を振りまいた野嶋にはバンカンの書が贈呈。

 

 

 

 

 

◆齋藤成憲師範

半年前の感門では九州を急襲。77感門の初日も真っ赤なツナギでウラカタに立ち、感門表はプロレスマスクを被って読み上げる。

姿を変え、所構わず出没するようすを「旅支度のよう」と松岡は評する。一所遍在な齋藤を、「編集学校にはどうしても必要な人材」と太鼓判。

 

◆新井陽大師範

「すっばらしいメッセージじゃない!」

声の抑揚や強弱を自在に操り、過剰なほどにエモーショナルな言葉の祝砲を連射した新井に、松岡は目尻を下げた。ウラが出ればオモテを出す、左が見えれば右を示す。そんなバニー新井のリバースな方法を象徴するのは、水鏡に映るような書。

 

◆天野陽子師範

公共図書館の館長を務める天野は、イシスに入って「本は動いている」と初めて感じたという。本は、読まれるのを静かに待つだけの受け身な存在ではない。松岡は「本を立派にするのは、本を立て、本を動かす我々次第」と応じ、それは「自分を持ち出さないと成立しない破の稽古と同じ」と破の営みを語った。

さしかかるその先ゆけば律動が みたこともないわたしへ誘う(天野陽子)

 

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2期以上、師範ロールを務めた者に贈られるのはMシャツ。……というのは、前回の感門までの話。今期はシャツではなく、ある「Mアイテム」がお目見えした。飴釉と漆黒に鈍くひかるセイゴオ達磨の顔があしらわれた本アイテムとは一体なにか。[守]卒門式での記事で確認されたい。

 

 

授与されたのは以下の面々。

◆北原ひでお師範、福田容子師範、

 植田フサ子評匠、小路千広評匠、中村正敏評匠、

 原田淳子学匠、木村久美子月匠

 

じつは彼らには、事前にあるお題が課せられていた。

「今回贈られるのは、シャツではなく別のアイテムです。[守]の感門で何かわかるので、それを持ってどんなポーズをするか、考えておくように」

 

衣笠純子フロアDが立ち上がり、林朝恵がビデオを、後藤由加里がスチルカメラを構えるその先には、全身でリプリゼンテーションする師範たちの姿があった。

▲パンするカメラにあわせ、人差し指1本で演者の目線を誘導する衣笠D(中央)

 

▲本棚劇場で身体をはる師範陣。左から、「いないいな〜い、アランドロ〜ン」と小遊三のように顔をのぞかせた植田、指先に筒を乗せるマジックでフロアを沸かせた北原、茶筒に入れた香に酔いしれる仕草のお茶好き福田、そして海老蔵顔負けの見栄を切る中村。

 

写真:上杉公志

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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