【ISIS co-mission INTERVIEW03】宇川直宏さん― 生成AI時代の編集工学2.0とは

2025/01/26(日)08:40
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イシス編集学校には、松岡正剛の編集的世界観に〈共命(コミッション)〉するアドバイザリーボード[ISIS co-mission]があります。そのISIS co-missionのひとりが、現”在”美術家でDOMMUNE主宰の宇川直宏氏です。映像作家やグラフィックデザイナー、VJ(ヴィデオジョッキー)、文筆家、大学教授などさまざまな顔をもつ宇川さんに、いまの時代に必要とされる「編集」から宇川さん流の『情報の歴史21』の読み方までお聞きしました。

聞き手:吉村堅樹ほか

 

宇川直宏 “現在”美術家・DOMMUNE 主宰

1968年、香川県生まれ。映像作家、グラフィックデザイナー、VJ、文筆家、大学教授など、多岐にわたる活動を行う。2010年3月に個人で開局したライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数を叩き出し、世界中のDJ、クリエイターから熱狂的な支持を受けている。10周年となる2019年11月に渋谷PARCO9Fに移転。SUPER DOMMUNE として、最前衛テクノロジーと共に進化を遂げた。2013~2015年度文化庁メディア芸術祭審査委員。2015年アルスエレクトロニカ審査委員も務める。2021年第71回芸術選奨文部科学大臣賞 受賞。  


■生成AI時代に必要な「編集工学」
 プロンプト・エンジニアリングを考える

 

――ISIS co-mission全メンバーがはじめて一同に会した、2024年4月のキックオフミーティングでは、宇川さんが投げかけられた「生成AIと編集」というトピックで議論が紛糾しましたね。

 

宇川:白熱しましたね(笑)。これからイシス編集学校に入ってくる若い人たちは、ほぼ100%、ChatGPTを使ったことがあるはずです。その時代に即した「編集ってなんだろう」と考えるのは当然のことだと思います。

生成AIと言ってもさまざまな機械学習モデルがあります。例えば、テキストでプロンプトを書いて、テキストでアウトプットを得るという「テキストtoテキスト」のモデルと、テキストでプロンプトを書いて、画像でアウトプットを得る「テキストtoイメージ」のモデルは生成の意図が異なりますよね。僕が想定していたのは、後者の「テキストtoイメージ」。これは、今後の編集工学に驚異的な示唆を与えてくれると思います。

 

――どのあたりが驚異的なんでしょうか。

 

宇川:テキストtoイメージの生成AIを使うということは、戯曲におけるト書きのような指示を与え、その言葉を操って、グラフィックイメージを導き出す行為です。あきらかに「編集」の仕組みを「生成」のプロセスとして生かし、「工学」的手法でビジョンを生み出すというダイナミックな表現ですよね。脳内に既にあるビジョンを言葉に置き換え、大規模言語モデルがイメージを生成しやすいようにテキストを編み、イメージを共作していくという世界です。生成AIとの向き合い方は、今世紀的編集工学を考えるうえで大変重要だと考えています。現に、プロンプト・エンジニアリングという言葉のなかに「工学」というワードが含まれていますし。

 

――松岡校長もその観点は必要だとはっきり言っていましたね。

 

宇川:流石ですね。「テキストtoイメージ」のプロンプトを使った編集行為は、卒論を書くときにChatGPTに加勢してもらうこととは大きくかけ離れた用途です。自分がイメージした言葉の連なりを視覚化するトレーニングはエディトリアルデザインの基本なのです。実践してみると解りますが、既に脳内にあったビジョンを超越することもあるし、逆に満ち足りていないこともある。もしくは、想像を絶するナンセンスな時空が立ち現れている場合もある。そこからイメージを選び取るわけです。このトレーニングは、編集工学2.0の思想を学ぶ、生成AIとのぶつかり編集稽古になるのではないかと思っています(笑)。編集を”押す”、編集を”受ける”、編集を”守る”。これがぶつかり編集稽古です。


――編集学校の基本コース[守]のお題では「やわらかいダイヤモンド」などありえない表現をつくるといったお題があります。言葉を操って新しいイメージをつくるこの稽古は、テキストtoイメージの生成AIと似ていそうですね。

 

宇川:まさにそうですね。そう考えてみると、松岡校長が編集学校の教室に付けてきた名前も魑魅魍魎なイメージばかりですよね。

 

――編集学校には、松岡校長がつくった800を超える教室名のほかにも、25年分の学衆たちによる膨大な回答の蓄積があります。そのデータを画像生成AIに食べさせたらどうなるんだろうと気になってきました。

 

宇川:グラフィックイメージだけではなく、「テキストtoビデオ」への展開もできますから、松岡校長が教室名に込めた妄想は、生成AIの時代にこそ底知れぬ可能性を秘めていると思いますよ。

 

――「生成AI」と「人間による編集」というと、一般的には対立構造として見られがちですが、共存しうるものなのですね。

 

宇川:そう思います。前提として、文字起こしを例にするとわかりやすいでしょう。ここ数年、音声認識とAIを融合させた自動文字起こしの精度がガンガン上がっていますよね。編集作業において、誰もが「出来ることならこれは誰かにお願いしたい」と考えている作業って、まずは文字起こしだと思います。DOMMUNEの番組は日々4〜5時間配信しておりまして、これをテキストに起こすと約5万字はあると思いますが、5万字の文字起こしを率先してやりたいという人は早々いないと思います(笑)。ほかの作業でも、AIが人間による〈編集〉を侵食せずに、〈編集〉をサポートできる距離感は全然保てると思っています。

 

――AIの力を借りて、どう編集を飛躍させていくかが問われますね。

 

宇川:そのとおりです。松岡校長が編み出した編集の〈型〉が、生成AIの時代にどう機能するかを試すという行為は大変重要だと考えています。プロンプト・エンジニアリングという言葉に「工学」という意味が含まれるように、これからはクリエイティブ全域に、いやコミュニケーション全般にも編集工学が潜んでいることに着目しなければいけません。マッシブデータフローを泳ぐSNS以降の世界において、生成AIと共にエディティングを楽しむ、編集工学2.0へのパラダイムシフトは必須で、ますますイシス編集学校の役割が重要になるでしょう。

 

■ウーパールーパーで『情歴』を読む!?
 時代の背景を推論する

 

――宇川さんが松岡正剛に出会ったのはいつだったんですか。

 

宇川:中学生のころから『遊』を読んでましたからね。僕は香川県生まれですが、当時の香川って情報流刑地だったのです。隔離された離島なのでオルタナティヴな情報がない。インターネットは愚か、瀬戸大橋開通前の時代です。なので大先輩の空海を見習って、フェリーに乗って海を超え、情報を連れ帰って来るのですが、逆に、本州まで渡らずに四国内で入手できる情報はなんでも手に入れようというマインドになっていました。『遊』はハードコアなのに、ふつうに書店に並んでいたので、ありがたかったですね(笑)。

 

――松岡校長が作った雑誌や本でいえば『情報の歴史』があります。宇川さんにも「『情報の歴史』を読む」のイベントに出ていただきたいのですが……。

 

宇川:イベントとなると、見開き2ページを読むというイメージですか?

 

――いや、ゲスト次第です。たとえば、田中優子学長は開国から明治維新までを「原因と結果と渦」という3点セットで読んでみたり、山本貴光さんはご自身がどう使っているかを教えてくださったり、さまざまなやり方があります。

 

宇川:なるほど、おもしろいですね。あらかじめ漠然と歴史が編まれている世界について、そこに『情報の歴史』のフィルターを通すことによって、新たな文脈を育んでいくことはおもしろそうですね。たとえば、日本のペットブームのトレンドの変遷ってありますよね。「いつスピッツが流行ったのか」「なぜトイプードルが愛されるようになったのか」「豆柴ブームは何がきっかけで起こったのか」なんて、調べていくと楽しそうです。

 

――あぁ、でも、ペットのことはあまり載っていないかもしれません……。

 

宇川:じゃあ、エリマキトカゲは? CMでブームになりましたよね。クリオネは? ウーパールーパーは? 遡ってシーモンキーは?(笑)

 

――……すみません、おそらく載っていないです。

 

宇川:いや、でも載ってなくていいんです。たとえば、スピッツが流行った年を特定して、「なぜ、スピッツがこの年に流行ったか」という時代の背景を『情歴』を読んであぶりだすことはできそうですから。高度経済成長黎明期は犬は基本外飼いで、人間との関わりは番犬としての機能重視でしたからね。吠えることが重要だった時代。だからスピッツの役割が重宝された。これは明らかにマイホーム神話と関係しているでしょう。つまり『情歴』から日本の住宅史の変遷を読み解けば、一つのドッグ・トレンドの文脈も炙り出される筈です。強引な推論になるかもしれませんが(笑)。

 

ともあれ、愛犬の歴史はずいぶん移り変わりが激しいですよね。名犬ラッシーが流行ってコリーに脚光があたったり、しかしバブル期にはゴールデンレトリバーみたいな大型犬が増えたり、90年代後半、再開発事業の煽りを受けてタワマンが波及したあとにはミニチュアダックスフンドを筆頭とした小型犬が人気になったり。SONYのペットロボット開発でaiboが流行ったこともありますよね。その後aiboを供養するお寺も出現しましたし。掲載されていないドッグトレンドを軸にしつつ、『情歴』を引くことによって、様々な文化との影響関係を読み解ける筈です。。

 

――なにかの通史を見てみると、たとえその情報が『情歴』に載っていなかったとしても時代の雰囲気ってわかりますね。

 

宇川:そのとおりです。ナタデココとか入ってます?(笑)

 

――ナタデココはあります! ティラミスは入っていませんが(笑)。どんな情報があるかどうかは、PDF版の情歴で検索すれば一発ですね。

 

宇川:ペットでもスイーツでも、トレンドは情報の流れそのものですから。歴史との影響関係によって成立しているので、載っていなくても文化を見つめ直すと炙り出せるのです。「だからポメラニアンなんだ」「だからシナモンロールなんだ」と推論していくのも『情歴』の読み方として面白そうです。


■〈反編集〉とは何か?
 「編集を人生する」ために

 

――イシス編集学校は当然〈編集〉を追究しているのですが、宇川さんは〈編集〉をどのように捉えておられますか。

 

宇川:〈編集〉を考えるならば、まずは「〈反編集〉って何だ?」ということを考察したいんですよ。これは自分のプロジェクトの発端でもあります。

 

――〈反編集〉が、日本初のライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」開局のきっかけになったということですか?

 

宇川:そうです。僕はもともとミュージッククリップのディレクターや映像作家を長くやってきました。つまり1988年から2009年まで約21年の編集人生を送ってきたのでわかるのですが、映像の編集って終わりがないんですよ。

たとえば、スタジオに入ります。カメラマンは現場を撮影しますよね。僕はスタジオではディレクションをする。それ以前に絵コンテを描いてきています。本当はこの段階から既に編集は始まっているのですが。スタジオではそのコンテを手がかりにシーケンスを構築していきます。そして全シーンの撮影が終わり時間が来たら、カメラマンは次の現場へ行きます。カメラマンの仕事はスタジオで終わりですよね。でも、自分の仕事はそこから新たに始まるんですよ。今度はノンリニアな動画の編集が始まるわけです。でも、その編集って終わりがないんです。もちろん、締切や予算、クライアントワークの場合は先方の意向なども制約になりますが、自らが主体となって発信する表現には果てがありません。

 

――イシス編集学校でも「編集はつねに仮留めである」ということは強調されています。

 

宇川:そのとおりですよね。なので僕は、その終わりなき編集から解放されたくて、ライブストリーミングを始めました。言い換えれば〈反編集〉や〈脱編集〉を考えて、DOMMUNEを始めたんです。ライブストリーミングは時間が来れば終わります。配信されたものは、アーカイブとして蓄積はされますが、そこから自ら編集はしません。たまにスタッフが編集することはありますが、自分は編集から脱却することを意識して「ライヴストリーミングに生きる」ことを誓った身なのです。

 

――〈反編集〉を実践したら、毎日のようにスタジオからライブストリーミングして、これまで約7000番組、1万5千時間を配信するという超編集人生になったのですね。

 

宇川:〈超編集〉というワードも悪くないですね。Mr.マリックの〈超魔術〉のようにエディティング・エンターテーナーとして生きることは満更でもないです(笑)。ただ、松岡校長の言葉で「人生を編集するのではなく、編集を人生する」というフレーズがありますよね。これって、〈脱編集〉のことだと思うんです。

 

――どういうことでしょう?

 

宇川:ほとんどの人は、「人生を編集」しようとするでしょう。勿論、最初の編集ステージをクリアするには大変重要なことです。たとえば、AIDA Season2「市場とメディアのあいだ」でDOMMUNEとコラボしたときは、座衆はあらかじめ「人生を編集」してきましたよね。それぞれが、自分の歴史を図解して1枚のダイアグラムにまとめました。あれこそが現在までの人生の縮図です。
DOMMUNEでは、そのダイアグラムを座衆が図解しつつ、僕と松岡校長、佐藤優さん、武邑光裕さん、吉村林頭がツッコミを入れていった。そうやって番組化して全世界に拡散しました。つまり座衆が編集した自らの人生をレビューし直し、第三者にライヴ(生)でパフォーマンスしながら、共有したことになります。このことは、座衆たちにとって「人生を編集する」から「編集を人生する」に転換したことになります。

 

――「人生を編集する」のではなくて、編集そのものを生きると考えれば、編集するという行為から抜け出られると。

 

宇川:そのとおりです。要するに〈脱編集〉は松岡校長が編集の高次ステージとして考えられてきたことなのではないかと僕は捉えているのです。つまり「人生を編集する」は過去を編集することで、「編集を人生する」とは未来を編集することなのです。だからこそ、今=生が輝き出すのです。生配信、つまりライヴストリーミングにもう15年も生きてきた人間が言い張るのだから間違いないと思います(笑)。

 

 


ISIS co-missionインタビュー連載

 

【ISIS co-mission INTERVIEW01】田中優子学長―イシス編集学校という「別世」で

 

【ISIS co-mission INTERVIEW02】武邑光裕さん―ポストYouTube時代、深いものを発信せよ

 

【ISIS co-mission INTERVIEW03】宇川直宏さん― 生成AI時代の編集工学2.0とは

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
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