デザインは「主・客・場」のインタースコア。エディストな美容師がヘアデザインの現場で雑読乱考する編集問答録。
髪棚の三冊 vol.1「たくさんの私」と「なめらかな自分」
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『情報環世界』(ドミニク・チェン他、NTT出版)2019年
『ダーク・ネイチャー』(ライアル・ワトソン、筑摩書房)2000年
『なめらかな社会とその敵』(鈴木健、勁草書房)2013年
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■「自分」にとって「ちょうどいい」
フィルターバブルによって形成される情報環世界。このモデルは、図らずもワールドワイドウェブの構造が生命の成り立ちの「擬」であることを示しているようにも見えます。
生命体を構成する基本単位である細胞が膜によって区分されているように、フィルターバブルは宿命的にその内と外に、同胞と異者、善と悪、または「自分らしい」と「自分らしくない」を生むのです。
たとえば免疫という自己防衛システムは、異者に攻撃を仕掛けることによって自身の結束力を高める仕組みに他なりません。とはいえ、異者に出会った時に取るべき態度は攻撃か防御かの二択のみでは決してないのです。
こうした事情について生物学者のライアル・ワトソンは「人間は敵を必要とする」と述べたうえで、生態系にとってぴったりと「ちょうどよく」適応したものが「善」となり、「ちょうどよくない」として避けられたものが「悪」となったのだと説明しています。つまり、善なるものははじめから善だったのではなく、悪なるものはそのとき選択されなかった別様可能性なのだということです。
童話『三匹のクマ』に登場する少女ゴルディロックスが、不法侵入したクマの家で固過ぎず柔らか過ぎず、熱過ぎず冷た過ぎない「ちょうどいい」お粥を見つけ出したように、地球に生命が誕生したのは、そこにたまたま「善」のみが用意されていたからではありません。異者のための余白や余分が充分に満ちていたからこそなのです。もしもシステムにこのような多様性がなければ、自己に短期的な利益や安全をもたらすものは全て貪り尽くされ、環境には悪ばかりが残されることでしょう。
けれど人間はついつい複雑過ぎる問題に直面すると思考停止してしまい、単純化されたものや断定的に表現されたものを受け入れやすく、些細なテーマほど議論が白熱したりする傾向のあることが否めません。
フェイクニュースの横行、政治的左右の二極化、暴走する喜怒哀楽、「癒し」の流行、慢性ジブンサガシ、「生理的にムリ」と言えるワタシ、プラスチックワード化する「カワイイ」、、、等々。
これらは全て、フィルターバブルのダークサイドとして浮上している問題なのでしょう。私たちの【膜】は複雑さに触れるとついつい硬くなって、敵と味方を過度に選別しようとしてしまうのですね。
参考までに、ワトソンによる「善良さが邪悪さへ転じる契機」を引用しておきます。
(1)良いものは、本来の生息環境から移動させられたり、周囲の文脈から外されると悪いものになりやすい。
(2)良いものは、それが少な過ぎたり多過ぎたりするととても悪いものになる。
(3)良いものは、互いに必要な情報を交換できない状態では極めて悪質なものになる。
(『ダーク・ネイチャー』ライアル・ワトソン、筑摩書房)
生命は進化の過程で、世界の複雑さを飼いならすために2つの解決策を発明しました。一つは、複雑さを分節する【膜】を同定し、境界領域の内部に【核】を置いて複雑さを制御する方法です。もう一つは、複雑さを環境の方へアウトソーシングすることで認知コストの軽減を図る戦略です。前者は排他的な中央集権モデル、後者は共生的な自律分散モデルと言えるでしょう。
この両者を生命が二択ではなく並列させてきたことに、私は刮目せざるを得ません。私たちはヒトになる遥か前から社会的な存在だったのですね。
[髪棚の三冊vol.1]「たくさんの私」と「なめらかな自分」
1)「自分らしさ」を語るのは誰?
2)「自分」と「自分じゃない」の境界線
3)「自分」にとって「ちょうどいい」
4)なめらかな「自分」
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
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