■2022.6.29(水)
20世紀の終わり頃、まだツインタワーが聳えるマンハッタンに、サロン研修で短期滞在したことがある。
私がお世話になったのは、その顧客層がニューヨークの「TOP5%」のエグゼクティブたちばかりという、いわゆる高級美容室だった。
2フロアが吹き抜けになったサロンは広く明るく穏やかな空間で、BGMではなく森や水辺の自然音が緩やかに涼やかに流れていた。オーナーのISHIは、髪をシニヨンに撫でつけハイブランドのジャケットを作務衣のように着流し、私たち一行の気負いを察するかのように、いかにも東洋的な慎みと気品を纏ったアルカイックスマイルで出迎えてくれた。
「こちらの富裕層は、どうかするとこのサロンより自宅のバスルームの方が広いですから」
虚飾を戒め虚心を諭すISHIの声は、時おりサロンに渡る鳥の声よりも透明なトーンで、私の胸に沁み入った。
「アタリマエのことをアタリマエにやるだけですよ。それは世界中どこにいても変わりません」
若きトップスタイリストのMANABUは、ISHIとは対称的にサムライ然とした振る舞いで、アメリカンドリームを掴み取ろうとする異邦人ならではのギラつく野心を隠さなかった。ビッグアップルで生き抜くために、自分の「個性」は何であれ武器にしようとしていたのだろう。
とはいえ、斬れるものばかりが武器ではない。愚直なほどの誠実さや、媚びることのない気高さも、MANABUならではの日本的礼節だったのだと思う。
「もしその時に必要のない仕事なら、ボクはお客様にハッキリそう伝えるよ。今夜ボクのカットに300ドル払うより、その分をディナーで奮発する方がきっとハッピーですよって」
自分を信頼して指名してくれるお客様だからこそ、自分のメトリックを提供する務めがスタイリストにはある。そして、そのメトリックを買うか買わないかの選択権はお客様の側にあって、スタイリストは自分が選ばれない場合の覚悟も引き受けているのだ。
そうか、私には覚悟はあるけど野心がないのだ、とそのとき気づいた。自分が何かを持っていることは武器になるけれど、何かが無いことだって武器になる筈だ。
もしも私がニューヨークの一部になるとしたら、パワーやエネルギーを生産する存在にはなれそうにないけれど、セントラルパークのような存在にならなれるかも知れない。ただそこにいて、静かに深く寄り添うこと。そういう貢献の仕方が私らしいように感じた。
あれから四半世紀。あのマンハッタンでの数日間の体験を、私は「平凡な覚醒」と呼んでいる。特別でもなく劇的でもないし、誰にでもある筈だけど私に固有で、自分にとっての来し方と行く末を結ぶような体験。
そして今、こうして編集稽古を見守るロールを担っていることは、美容師としてお客様の髪に触れることと全く同じ地平の上にある。
■2022.6.30(木)
[守][破]の学番匠、花目付、学林局によるクロスボード会議。各講座の進捗の共有や、与件の整理、ここからの展開、中長期の展望などを交わす。
それぞれの講座で起きている出来事は、よくよく観察すると同じ事象の異なる現象であることが見えてくる。
編集学校の場合「守・破・離」という言葉が講座名になっているために見過ごされがちなことだが、守破離のステップはフラクタルな相似形を描く。つまり、[守]や[破]や[花]それぞれの講座のなかにも守破離があるし、学衆にも師範代にも個々の成長過程に守破離を見出すことができるだろう。そもそも「守・破・離」は編集稽古のような体験型の学習プロセスのなかに想定されるステップだから、講座の[守・破・離]は型の「守・破・離」と必ずしも照応していない。
さらに言えば、多くの学習者は「守」の段階での問題に捉われて道に迷い、「破」へ差し掛かる困難との遭遇事例は限られているように見える。何であれ「突破できない問題」とは文字通り「破」へ向かう手前のステップに何らかの不足があるのであって、型が型によって破られるように、不足は不足によって、「問」は「問」によってこそブレイクスルーされることを「守破離」の型は示唆している。
■2022.7.01(金)
37[花]の式目演習は大詰めを迎えている。
入伝生のなかには、自身の不足を受容できずにドロップアウトを申告する者も見えるが、編集稽古は「不足の発見」を編集機会の創出と捉え、合否判断の理由づけとは見做さない。
そもそも入伝生が吐露する「不足」の多くは、要するに「指南が書けない」という煩悶である。人はわからなさや難しさに出会った時、ついつい諦める理由を探しがちだが、こと式目演習のなかで出会う困難をよくよく分析すれば、その大半はバラエティ(多様性)、ボリューム(情報の規模)、ベロシティ(処理速度)に関する問題に還元される。これら「3つのV」は良くも悪くも可視化しやすいために、スコアリングの多寡が自尊心を満たしもするし疵つけもするのだろう。スコアがセルフに閉じている限りはインタースコアへ向かえないことを承知しておきたい。
では、セルフに閉じることなくインタースコアを起こすことは、誰にでも可能なのか?
編集学校のチャレンジは、この「誰にでも」というところにあるのだと思う。秘伝ではなく万人に開きながら、けれど平均値を底上げすることに甘んずるのではなく、ダンゼンでダントツな編集的個性の苗代となること。拗れた自己撞着にも、「いいね」に媚びる共感病にも陥らない道を、イシスは切り拓こうとしている。
■2022.7.03(日)
22:00をもって式目演習終了。
花伝所の演習、とりわけ「M5:指南錬成」がどういう体験なのかを過不足なく伝えるのは難しいのだが、入伝生たちは毎期この2週間に3万字を超える(!)指南及び考察を行なっている。
参考までに37[花]では、やまぶき道場モリカワが6万字超(!!)、次いでくれない道場イズミが5万字超の演習スコアを記録した。演習での文字量が必ずしも編集成果に比例する訳ではないとしても、ある単位期間のなかで「3つのV」の臨界点を体験するワークは控えめに言っても希少な機会だろう。駆け抜けた入伝生のアッパレを讃えたい。
課題提出締切の3時間前、林朝恵花目付が『世阿弥の稽古哲学』を引きながら、錬成演習での負荷は未知に対応し得る「即興的な身体」をもたらすのだと入伝生へエールを送った。正念場での力水が、モニターを越えて30名の身体へ染み入って行く音が聞こえるようなメッセージだった。
アイキャッチ:阿久津健
>>次号
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
<<花伝式部抄::第21段 しかるに、あらゆる情報は凸性を帯びていると言えるでしょう。凸に目を凝らすことは、凸なるものが孕む凹に耳を済ますことに他ならず、凹の蠢きを感知することは凸を懐胎するこ […]
<<花伝式部抄::第20段 さて天道の「虚・実」といふは、大なる時は天地の未開と已開にして、小なる時は一念の未生と已生なり。 各務支考『十論為弁抄』より 現代に生きる私たちの感 […]
花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
<<花伝式部抄::第19段 世の中、タヨウセイ、タヨウセイと囃すけれど、たとえば某ファストファッションの多色展開には「売れなくていい色番」が敢えてラインナップされているのだそうです。定番を引き […]
<<花伝式部抄::第18段 実はこの数ヶ月というもの、仕事場の目の前でビルの解体工事が行われています。そこそこの振動や騒音や粉塵が避けようもなく届いてくるのですが、考えようによっては“特等席” […]