【ISIS BOOK REVIEW】直木賞『夜に星を放つ』書評 ~言語聴覚士の場合

2022/09/04(日)09:00
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評者: 竹岩直子 
言語聴覚士、
イシス編集学校 [守] 師範代

 

最近は小児構音を専門とし、構音訓練に携わっている。それは音の世界を組み直す作業にも近い。そこで本書でも、そうした再構築のBPT*を眺めながら著者の声へと耳目をそばだてたい。

 

 子らが母親に連れられ部屋へとやってくる。小さな口元からは「あわあわ」と可愛らしい声が漏れる。言語聴覚士である私は成長を見守り、彼らが4歳になる頃、その言葉の音を評価する。発音に歪みがないかに耳澄まし、源泉となる唇や舌の偏位に目を凝らす。そうして目の前の小さな人の言葉を覗き込む。唇に力が入りすぎても、舌のあてどころがずれても、目当ての音は生まれない。そんなとき、私は彼らともういちど音の組み立て方を辿っていく。それは、手放したり、気づいたりしながら、音を自身に結び直す彼らの軌跡だった。

 

 本作『夜に星を放つ』は、喪失に纏わる5つの小編に成る。

 主人公たちは皆、物理的/心的喪失を抱え日々を過ごしている。喪ったものは、例えば、双子の片割れ、母親、幼い娘に、過去の自分。喪失に内なる世界が歪もうと、外の世界はお構いなしに続く。だから、彼らは学校に行き、仕事をし、婚活にも励む。日常を懸命に生きていく。

 物語の終盤、彼らは誰かとともに夜空を見上げ、星座を教え合う。指さす星が間違っていたって構わない。それは、星と星とが見えない糸に結ばれていることを確認する作業で、自身と世界を結び直すための尊い儀式だった。物語はいずれも、彼らが一歩踏み出す予感に閉じられている。

 読後、やさしい気持ちが広がる。ものごとの解決の瞬間より、そこまでに出逢う人や言葉や星明りといったプロフィールを拾うほうが、人生はずっと豊かだ。そんなことを改めて教えてもらう気持ちとなる。

 

 喪失から一歩踏み出す景色には、構音訓練に励む子らの姿が重なる。

 人の声は、産声にはじまり、次第、環境に適した一つの言語体系に沿って言葉の世界を組み立てていく。だが、ふとした弾みに、自身の音が外の世界と乖離していることに気付く。彼らは立ち止まり、自身の世界の再構築に向き合っていく。

 もちろん言葉の練習と人生とではスケールは段違いだが、歪みに向き合い進む足取りには、間違いなく物語の彼らと同じ健気さと逞しさがあった。

 「いい音が出せたことより、いっぱい考えてがんばったのがすごいんだよ」。練習終わり、私はそう言って子らにシールを渡す。練習帳にはシールが増えていく。それを結べば、きっと夜空の星座にも負けない強い輝きを放つだろう。その明りが、この物語のような温かな心支えとなればいい。子らの笑顔を見ながら、そんなことを思う。

 

 そして、本作のこの温かな読後感には、やはり著者・窪美澄氏の小説家としての眼差しが深く関わっている。

 《貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ》。

 これは長田弘氏の詩の一節だが、窪氏はこの言葉を引用し、「腰を低くして、視線も低くして、言葉を拾う。自分が小説を書くってこういうことだな、と思う」と話す。そして、この詩の一節には、実は最後にもう一文がつづくのだ。こんなふうに。

 《貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。ひとのいちばん大事なものは正しさではない》

 R- 18文学賞でデビュー以来、官能的なアブノーマルを描くことも多かった彼女。それとはやや異趣に映る今作も、これまでも、彼女の作品には一貫して「正解なき生」へのエールが込められているのかもしれない。そして、それは生きづらさを抱えるすべての人に降り注ぐ、希望のエールだ。

 

 窪さんは、きっと今日もうずくまって言葉を拾っている。

 その姿に襟を正し、私は明日も仕事場へと向かう。

 

*BPT:以下に説明。

 

読み解く際に使用した編集の型:

BPT [守]

 

型の特徴:

発想の起点「ベース」(base)、着点「ターゲット」(target)、途次に頭の中に浮かぶ様子である「プロフィール」(profile)。この3つの頭文字をとったBPT。

プロフィールをやわらかく動かすことで、よりダイナミックで創発的な見方を可能にする型。そのため、異質で雑音に聞こえるPこそ豊かな編集を齎してくれるのが特徴。

 

B:誕生/未分化/産声…からT:今の私/分化/言葉…へと揺れるPにもやはり正解はない。そして拾うPによってTを見直すことも可能だ。仕事においても、人生においても、柔軟かつ俯瞰の視点を思い出させるお守りのような型だ。

 


夜に星を放つ

 

夜に星を放つ

著者: 窪美澄
出版社: 文藝春秋

ISBN: 9784163915418
発売日: 2022/5/24
単行本: 220ページ
サイズ: 13.7 x 2 x 19.4 cm

 

 

 


 

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  • 竹岩直子

    編集的先達:中島敦。品がある。端正である。目がいい。耳がいい。構えも運びも筋もよい。絵本作家に憧れた少女は、ことばへの鋭敏な感性を活かし言語聴覚士となった。磨くほどに光る編集文章術の才能が眩しい。高校時代の恩師はイシスの至宝・川野。

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