おしゃべり病理医 編集ノート - セントラルでマージナルな場からコロナをみる

2020/05/02(土)09:37
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 無性に本が読みたくなる。緊急事態宣言が発令され、病院に災害対策本部ができてからの症状である。日常を強烈に一方向へと押し流していくコロナの流れに、脇から風穴を開けたい。脳内換気には、読書が必要なのだ。
 
 災害医療の渦中にいて“想定外”にありがたかったのが、多読ジムである。わずかな時間の読書だけでも脳内が爽やかになるが、わたしの所属するのは、標高935メートルの軽井沢に住む“アルムおんじ”こと、浅羽登志也冊師率いるスタジオ935。晴風気持ちいい風がそよぐ換気抜群の多密ネット空間である。
 
 同時進行の共読が面白い。読書体験というものは極めて個人的なもので、他人がどんなふうに本を読んでいるのか、そうそう知る機会はない。同じタイミングで同じ本を読むこともなかなかないだろう。でも、それが多読ジムの日常である。本を読むときの息遣い、視点の動きや手足の振り方。紀行文のごとく読書体験が表沙汰される。仲間とわたしの日常が本を媒介にしてインタースコアされていくのである。スタジオでのやりとりによって、有事の中で忘れ去られそうになるフラジャイルな感覚の扉が開かれる。
 
 わたしのいる病理検査室は、手術室と隣り合わせ、ICUとも同フロア。病院見取り図をみると、病院のど真ん中に位置する。ふだんは外科医や救急医たちがふらっと遊びに来て、おやつのたまごパンを勝手に食べていく憩いの場所でもある。実際、中央部門と呼ばれるように、病院全体の診療を支えるべく病院の真ん中に存在する。そんな病理検査室の今は、“中空状態”。感染対策の関係もあり、臨床医たちが不要に立ち寄らなくなったひんやりとした部屋は、いつもと異なる思考が加速する空間になる。
 
 病理医はマージナルな存在でもある。コロナ診療だけでなく、それ以外の緊急症例を一手に引き受ける臨床医の日常やその苦労を思うと、患者を診ない医師のわたしたちは、いつも以上にマイノリティである。ただ、その分メタな視点に立って、実際の診療以外で、様々な試みを提案して実行できる立場でもある。そんな病理医は、セントラルでマージナルな立ち位置にあるのである。院長とは全く違う立場なのに、病院全体の動きを高い視点から観察できる感じは、網野善彦さんが注目した中世のネットワーカーっぽい。
 
 病院に災害対策本部ができ、病院の日常が一変してから早くも1か月近くが経とうとしている。病院の強みはさらに強く成長し、脆弱な部分はなんとなく影を潜めた形になっている。災害医療と感染対策のエキスパートがたくさんいるわたしの職場は、病院の規模を考えたら驚くほどに地域医療に貢献しているし、本当に誇らしい。ただ、そういった強みがひときわ際立っていると感じるだけに、裏側に回りがちな小さなことがとても気になる。日常診療におけるとても細々とした改善の余地みたいなものなのだが、そういった小さな課題たちは、そんなことにかまけていられない、となって、見過ごされてしまいがちである。だからこそ、その綻びから大きな亀裂が走ったらと思うととても不安になるのである。病院として「完璧に」災害医療体制が回っているんだ、というような幻想は持たない方がいい。そういった見方や覚悟を読書からも学んだ1か月だった。
 
 最近、時間さえあれば読んでいるナシーム・ニコラス・タレブの本たちの中に、「反脆弱性 Antifragile」という造語が登場する。タレブは、次のように定義している。
 
 衝撃を利益に変えるものがある。そういうものは、変動性、ランダム性、無秩序、ストレスにさらされると成長・繁栄する。そして冒険、リスク、不確実性を愛する。こういう現象はちまたにあふれているというのに、「脆い」のちょうど逆に当たる単語はない。本書ではそれを「反脆い」または「反脆弱」(antifragile)と形容しよう。(『反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方(上)』p.22)
 
 巨大な影響をもたらす、大規模で、予測不能で、突発的な事象を「ブラック・スワン」とタレブは名づけた。まさにコロナウイルスパンデミックは、どでかいブラック・スワンである。有事をバネにする、俗にいうピンチをチャンスにできる事象が「反脆弱性」である。脆弱の反対は、頑健ではなく、自在に動ける柔らかさなのである。
 反脆弱性という概念は、タレブがトレーダーとして数々のブラック・スワンを潜り抜けてきた経験を通し、リスク論をつきつめた末にたどり着いた哲学であり、そのプロセスもニュアンスも異なるところが多いものの、松岡校長がずっと追い求めてきた「日本的フラジャイル」と似ている。
 この状況下において、自在に価値観を転換していきながらカワッてワカッていく編集力を起動させていくことが何よりも必要である。細部に全体が反映するとみなすプランニング編集の基本も、まさに日本的フラジャイルかつ反脆弱性の特徴であろう。
 おそらくわたしが不安に思っていた見過ごされがちな小さなことの中には、不安材料となりうるものよりもこのリスクをバネに育っていく余地がたくさん含まれているはずだ。セントラルでマージナルな病理医の強みを生かして、この有事にこそ磨ける様々な反脆弱的なことを掘り起こしていきたい。
 
 タレブは、反脆弱性は頑健とは異なると何度も指摘する。日本では、最近、反脆弱性をないがしろにして、頑健性を求めすぎてはないだろうか。トップダウンは、果たしてこの状況を好転させる力はあるのか。アベノマスク、収入保障問題、緊急事態宣言の緩さなど、政府の弱腰を指摘する論調が強い。たしかにそういう点も否めないけれど、頑健さは一歩間違えると、非常に脆い。
 
 コロナウイルスはどれだけ反脆弱性を有しているのだろう。共生を目指している点において人類よりもはるかに反脆弱性が高いのは確かである。そこにトップダウンの頑健性をもってしても、巧みにかわされるだけだ。
 
 世界をみても同じ状況である。トランプは、WHOへの資金の拠出を取りやめ、一方で、中国は世界的なマスク枯渇の状況の中、自国にあるマスク工場を接収し政治利用しようとする。様々な大義名分をふりかざしても、結局「〇〇ファースト」という名の、頑健でもなく脆いばかりの視野狭窄的な政策を取り続ける。世界をより一層脆弱に、無編集にするばかりである。
 
 グローバル資本主義に対する大きな問いがコロナウイルスパンデミックなのである。とてつもないブラック・スワン的な問いにわたしたちはどう応えるか。世界からみればひとりひとりの個人はとても小さな存在だけれど、タレブは、わたしたちがこの世に生まれたこと自体がブラックスワン的に稀なことなのだという。生まれながらにしてブラックスワンでフラジャイルなわたしたちは、今、何をするべきだろうか。
 
追伸1:
ナシーム・ニコラス・タレブについては、松岡校長もすでに千夜千冊で『ブラック・スワン』を取り上げているが、今回ご紹介した『反脆弱性』の方がずっと刺激的で面白いと評価しているし、ご自分の著書『フラジャイル』との類似性についても言及されている。タレブ自身も、『ブラック・スワン』は、刊行時期こそ先行しているが、『反脆弱性』の補助的な作品なんだといっている。
 
追伸2:
タレブの『ブラック・スワン』は、リーマン・ショックを予想したのではないかということで大きな反響を呼んだが、彼の近著『身銭を切る』の発刊あとに、今度はコロナパンデミックである。災害級のリスクに対する感度とそれを活用する編集力は他の追随を許さないだろう。ちなみに最近のタレブは、だいぶbulkyになっていて、わたしは、千夜千冊の精悍なタレブの方がかっこ良いと思っているのだが、その体格の変化もリスク対策だということがわかって、このひとは本当に徹底のひとなんだ、ということがわかった(ご興味がある方は、『ブラック・スワン』をお読みください)。
 
ブラック・スワンのいる世界

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。