総勢8人の知者たちが「万葉集」の魅力を好き放題に書き下ろした新書『万葉集の詩性(ポエジー)』がKADOKAWAから緊急出版された。「令和」の提案者として注目を集めている中西進センセイの呼びかけに応じて、ドイツ文学の池内紀・ロシア文学の亀山郁夫・中国文学の川合康三という異ジャンルの専門家、さらに池澤夏樹・高橋睦郎・リービ英雄らの詩人・作家、それに松岡正剛という、珍しい顔ぶれが馳せ参じたというもの。
「啓蒙という態度の書物では困る・・・研究者の専門という空想の概念も困る・・・個別の専門性を捨て去った一流の普遍者として・・・万葉の詩性という最高の価値を示してほしい」という中西センセイの“お題”が奮っている(まえがきより)。これを受けていずれの書き手も、昔日の初心のころの万葉体験や万葉修養を追想しながら、万葉の詩性のありどころを生き生きと示そうとしているのがさすがというか、それが普遍者としての作法だと言わんばかりである。なるほど、松岡正剛がつねづね口にする「抱いて普遍・離して普遍」ってこういうことなのか。それができる妙手ばかりを集めることが中西センセイの魂胆だったか。
「緊急出版」であるだけに、著者同士の執筆テーマや内容を細かく割り振ったり調整したりはしていないようだ。そのせいなのか、内容に微妙な重複が偶然に起こってしまっているのだが、それがまたおもしろくて興味深い。たとえば中西センセイと池澤夏樹さんの二人が二人とも、「万葉集」の詩性の特徴を浮かび上がらせるために、旧約聖書の「雅歌」を引用して比較しているあたり(・・・どうでもいい話だが、私の部屋にはギュスターブ・モローの「雅歌」のレプリカが飾ってあるので、この偶然に吃逆が出そうなほど驚いた)。
それからなんといっても、高橋睦郎さんが「万葉集」の謎をめぐる一編のラストを家持の「新しき歳の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」によって締めくくると、その2ページ後ろから、松岡正剛が同じ家持の「いや重け吉事」の歌を取り上げて、そこから寄り道だらけの「ふらふら万葉習養記」を綴っていくあたり。
きっと高橋さんも松岡も、「令和」という新時代と中西センセイへの寿ぎを込めてこの「いや重け吉事」を掲げたのだろうが、それが見事にカブってしまうとは。まるで、本番前には決して互いに手の内を見せようとしない名役者同志が、舞台の上で水も漏らさぬほどの息のあった演技を丁々発止で見せてくれているみたい(もっとも当人同士は「しまった」「やられた」と思っているのかも)。
松岡がさりげなく編集学校の「風韻講座」の宣伝を織り込みながら(!)、万葉はもっと音楽ともファッションともポップカルチャーともラップとも交わっていくべきだと言い放つと、次にはリービ英雄さんが「万葉集エキサイトメント」と題して、万葉集に溢れる和漢バイリンガル的高揚感を生き生きと語ってみせる。これまた、「のきてつづく」連歌のような万葉レゾナンス、この高橋~松岡~リービの原稿をつないで終結部に仕立てたKADOKAWAさんの編集意図には、おおいに共感を覚える。
リービさんがこんなことを書いていた。
ぼく自身、一読者として現代日本文学から読み始めて、少しずつ遡り、
次第に古いものが読めるようになっていった。そして最後に奈良時代の
『万葉集』に行き着いたとき、古い日本語に辿り着いたという気持ちは
まったくなく、とても新しい言葉に出会ったという感覚があった。そこ
には、きのう書かれたばかりのような新鮮さがあって、伝統主義や近代
民族主義といったものの暗さはまったく感じなかった。
古きを訪ねると新しいものに出会える。不惑はとうに過ぎて、天命を知るべき歳になってもなお、ふらふらと好奇心のおもむくまま、いまはクラシック音楽習養にうつつを抜かしている私にとって、このリービさんの言葉は、ことさら沁みてくる。古きにすだく歌心や詩心、パトスやアウラを生き生きと取り出し、語ってみせてくれる先達たちのありがたさとともに。
太田香保
編集的先達:レナード・バーンスタイン。慶応大学司書からいまや松岡正剛のビブリオテカールに。事務所にピアノを持ちこみ、楽譜を通してのインタースコア実践にいとまがない。離学衆全てが直立不動になる絶対的な総匠。
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