「忌まわしさ」という文化的なベールの向こう側では、アーティスト顔負けの職人技をふるう蟲たちが、無垢なカーソルの訪れを待っていてくれる。
このゲホウグモには、別口の超能力もあるけれど、それはまたの機会に。

「あんただって、わっちに食いつく蛭じゃないか!」。瀬川の、この言葉が蔦重の目を覚ましました。助六における意休のような嫌なやつならともかく、花魁を笑わせることができる検校なら、瀬川も幸せになれるのでしょうか。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第9回「玉菊燈籠恋の地獄」
「恋の地獄」とあるだけに、うつせみと新之助、瀬川と蔦重、ともに吉原の「苦界」を感じる回となりました。
幸せになれない二組の恋人たち
鳥山検校による身請けの話を止めようとする蔦重は、最初は細見の売りが悪くなるから、などと言っていましたが、ついには「俺がお前を幸せにしてえの」と本音がぽろり。だから、鳥山検校のところに行かないでくれ、と頭を下げた蔦重の胸ぐらをつかみ「心変わりなんてしないだろうね」と詰め寄った瀬川は、身請けの話を断ります。簡単に身請けにのったら安くみられるんじゃないんですか、といううまい言い訳ではありましたが、松葉屋の女主人・いねは、後ろに間夫、つまり蔦重がいるからだろうと察し、証拠をつかむために二人を監視しはじめます。
さらには、瀬川が客を取っているところを蔦重にわざと見せる松葉屋の主人。このあたりの二人の亡八っぷりはなかなかのものでした。が、それくらい花魁には金と手間をかけている、ということなのでしょう。
行き着く先は「足抜け」。抜け出すためのシナリオを蔦重が語り、瀬川と蔦重が「再現ドラマ」したのですが、実際に窓から屋根に抜けてきたのはうつせみ、下で受け止めたのは新之助でした。しかし、逃げきることはできず、うつせみは水責めの折檻を受けます。
しかし瀬川が蔦重との未来を諦めたのは、この水責め折檻を見たから、ではなく、いねの言葉でした。花を生けながらとつとつと「瀬川」という名跡が生き返ることで、女郎がみんな救われると思った、と聞いた時、瀬川は蔦重への思いを断ち切り、身請け話を承知したのです。
それは「天の網島」だった
監視の目をくぐり抜けるために二人が取ったのが本にメッセージをはさんでのやりとり。中でも、足抜けのための通行切手を挟み込んだのは『天の網島』でした、そう、あの心中ものの名作の(しかし、これを死をも辞さない蔦重の決意とみるか、幸先悪くない? と思うか…)。
身請けを決意した瀬川は「馬鹿らしい本だった」と言って、蔦重に本を返します。「この筋じゃ、誰も幸せになんかなれない」と言いつつ、本と、逃げ出すための方法とを重ねて「とびきりの思い出になった」と万感の思いをこめ、蔦重の手にそっと本を乗せたのです。可能ならば、この筋通りに生きてみたかったのではないでしょうか。
幸せになる瀬川
この先はどうも辛い展開になりそうなので、せめて圓生師匠の人情噺「雪の瀬川」で、同じ名前の瀬川の幸せを願いたいものです。
主人公は大店の若旦那・善治郎。学問好きで堅物の善次郎を、無理矢理、吉原に連れ出したら、松葉屋の瀬川にすっかりはまってついにはお定まりの勘当。以前の奉公人・忠蔵の家に身を寄せた善次郎が瀬川に金を無心する手紙を書くと、その返事に「雨が降ったら(吉原を)出ていく」とある。やがて雪の日、そわそわと待つ善次郎の元に、瀬川が来るのです。
下は燃え立つような緋縮緬の長襦袢、お納戸献上の伊達巻をきりきりっと巻いて前のところできゅっとはさむ。
頭布をとりますと、七分珠か八分珠かしれませんが珊瑚のかんざしへ、洗い髪をやけにきりきりっと巻きつけている。すっと立っているその姿、色の白いのはまるで抜け出るよう。雪女郎ではないかと思われるぐらい。
「つかまってもかまわない、一目逢いたい」と覚悟を決めた遊女のまぁ美しいこと。手助けをしたのは幇間の五蝶です。善次郎と瀬川は「会いたかった」と、そりゃもう大騒ぎ。
翌日、忠蔵が店へ行って話をする、ま、いい按配といいましょうか、お父っつァんが今、大病という。そこへ話をしたので、一も二もなく勘当は許される、家へ帰れば金はくさるほどありますので、松葉屋の方へは立派に身代金を払います。
相当な仲人を立てて善次郎と瀬川がめでたく夫婦になったという。「傾城にもまことあり」。『松葉屋瀬川』でございます。『圓生の落語2 雪の瀬川』(河出文庫)
善次郎の堅物振り、まわりの人々の優しさ。人情たっぷりのこの噺、肝心の善次郎がちとだらしないようにも思いますが、…そういえば蔦重も新さんも、女性の方がしっかりしていましたね。
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一
大河ばっか組!
多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。
正しさは人を支える力であると同時に、人を切り捨てる刃にもなる。その矛盾は歴史を通じて繰り返され、社会は欲望と規制の往復のなかで生かされも殺されもしてきた。螺旋するその呼吸をいかに編集し、いかにズラすか――そこにこそ、不 […]
ついに始まってしまいました。前回、思いを幟に仕立てた新さんを先頭に、江戸の民衆が米を売り惜しむ米屋に押しかけ、打ちこわしへと。それなのに、このタイトル。さて、ドラマはどのように展開していったのでしょうか。 大河ドラマ […]
救済はつねに非対称であり、誰かを救いながら、誰かを置き去りにする。その非対称から立ちのぼる怨嗟を、どうすれば嘆きではなく物語へと変えられるのか。名を与え直すその行為こそ、不条理に抗する人間の誓いであり、確かな編集の営み […]
数寄を、いや「好き」を追いかけ、多読で楽しむ「大河ばっか!」は、大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブです。 ナビゲーターを務めるのは、筆司(ひつじ)こと宮前鉄也と相部礼子。この二人がなぜこのクラブを立 […]
語られぬものは、形なき妖となって表現者の内奥に潜み、静かに時を待つ。噴き出した妖は、表現の胎ともなり、また表現者を呑み込む濁流ともなる。沈黙と余白を操り、その奔流を器に鎮めうる者だけが、その圧を力へと変え、永く息づかせ […]
コメント
1~3件/3件
2025-09-16
「忌まわしさ」という文化的なベールの向こう側では、アーティスト顔負けの職人技をふるう蟲たちが、無垢なカーソルの訪れを待っていてくれる。
このゲホウグモには、別口の超能力もあるけれど、それはまたの機会に。
2025-09-09
空中戦で捉えた獲物(下)をメス(中)にプレゼントし、前脚二本だけで三匹分の重量を支えながら契りを交わすオドリバエのオス(上)。
豊かさをもたらす贈りものの母型は、私欲を満たすための釣り餌に少し似ている。
2025-09-04
「どろろ」や「リボンの騎士」など、ジェンダーを越境するテーマを好んで描いてきた手塚治虫が、ド直球で挑んだのが「MW(ムウ)」という作品。妖艶な美青年が悪逆の限りを尽くすピカレスクロマン。このときの手塚先生は完全にどうかしていて、リミッターの外れたどす黒い展開に、こちらの頭もクラクラしてきます。