べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十九

2025/05/23(金)23:51 img
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 語りは、触れられることで息を吹き返す。凍った関係をほどくのは、理屈でも赦しでもない。幼心を宿す位置枚の版木が、記憶の深層に眠っていた像を揺り起こし、語りの火は、再び問いとともに他者へと手渡されていく――。

 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 


 

第十九回 「鱗の置き土産」 

 

 大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第十九回は、制度によって断たれた関係の修復と、語り手の再起動という二重の主題を、版木という“触れられる型”を軸に紡いでいきます。そこでは、制度や評価よりも先にあった「語りたい」という純粋な夢と、それを他者へ届けるための身体的な痕跡が、再び光を帯びて立ち上がります。語られなかった感情、失われかけた関係、語りの起源――それらすべてを一枚の版木が媒介し、かつて語りに魅せられた者たちを、もう一度つなぎ直すのです。

 

語られなかった感情の堆積──倫理と制度の裂け目で

 

 蔦屋重三郎と鱗形屋孫兵衛――表面上は商業上の競合に見えるこの二人の関係は、実のところ、制度と倫理の齟齬、そして語られぬ感情の堆積という深層を孕んでいました。かつて吉原随一の版元として名を馳せた鱗形屋は、『節用集』の偽版流通が露見し、摘発によって没落の道をたどることになります。偽版は、彼にとって本屋としての「好きな本づくり」を守るための、ある種の“必要悪”だったのかもしれません。しかし制度はそれを許さず、誇りを賭けた商いは、自滅というかたちで幕を閉じました。一方、蔦重はその裏側に気づいていながらも、声を上げることはありませんでした。その選択の背景には、鱗形屋に取って代わりたいという野心と、それを露わにすることの後ろめたさが複雑に絡み合っていたのです。 

 鱗形屋は摘発の瞬間、蔦重が手を回したのだと勘ぐり、胸の奥に収まりきらない思いを抱えることになります。たとえ、それが誤解であり、蔦重が何も語らなかっただけだったとしても、一度こじれた感情は、二人の間に深い影を落としました。制度が過ちを断罪しても、感情には区切りがつかない。正しさが通った後にも、語られなかった思いは残りつづける――そうした情の淀みのなかで、蔦重と鱗形屋の関係は長く凍結されていたのです。

 

版木と涙――記憶をなぞる〈触れるメディア〉

 

 蔦重と鱗形屋のあいだに長く横たわっていた断絶が、言葉ではなく、ある「手ざわり」によってほぐされていきます。明和の大火を経て、奇跡的に焼け残った一枚の版木――『塩売文太物語』。それは、鱗形屋が自らの店を閉じる直前、蔦屋に手渡したものでした。

 「お前が継げ」と言葉にすることなく差し出されたそれは、出版資源でも謝罪の証でもなく、鱗形屋のかつての志を託す“記憶の痕跡”でした。そして蔦重にとってもそれは、ただの版木ではありませんでした。少年時代、お年玉を握りしめて初めて買った一冊。その余白に名前を書き込んだ、“語り”と出会った最初の手応えが、木の感触とともに甦ってきたのです。

 

「俺、これ初めて買った本なんでさ。駿河屋の親父様に初めてもらったお年玉握りしめて買いに行って、嬉しくててめえの名前書いて…そうか、これ鱗形屋だったのか…俺にとっちゃこんなお宝ねえです…!」

 

 作家の手が言葉と絵を記し、その語りを彫師が版木に刻み込む。彫られた版木は摺師の手によって紙へと転写され、本というかたちとなって読者の手に届けられる――まるでDNAがmRNAやtRNAへと転写・翻訳されていくセントラルドグマのプロセスのように、「作家の手 → 彫師の手 → 木 → 紙 → 読者の手」という連鎖のなかで、語りは媒介され、刻まれ、触れられていきます。

 蔦重が触れた版木には、彫られた線の凹凸、焦げた木の香り、墨の滲み跡――語りが刻まれた痕跡が確かに残されていました。それらの触覚と嗅覚による感覚の記憶が、語りをただの言葉ではなく、身体の奥に響く像として立ち上がらせていくのです。言葉にならなかった記憶が、指先からよみがえる――まさに、触れることによって語りが再生する瞬間でした。この構造は、プルーストの『失われた時を求めて』における「マドレーヌの記憶」にも重なります。主人公が紅茶に浸した焼き菓子を口にした瞬間、幼少期の情景が、香りと味の感覚とともに一気によみがえるように、語りの源もまた、木や紙に残された身体的な“刻印”によって呼び起こされていきます。記憶を立ち上がらせるのは、意味や言葉ではなく、ふれた感触や、鼻先にかすかに残る匂い――そうした五感の“触れ”が、語りを再び立ち上がらせる呼び水となるのです。

 

 蔦重が流した涙は、単なる懐古の情ではありません。「語られたものに夢中になった少年」と、「語りを託される現在の自分」とが、身体を媒介にしてふたたび重なり合った、その震えの応答でした。そしてその涙を見た鱗形屋は、どこか照れたように、しかし誇らしげに笑います。

 

「うちの本読んだガキが本屋になるってよ、

びっくりがしゃっくりすらあ!」

 

 それは赦しでも謝罪でもなく、語りが生んだ震えに対する、等身大の実感の言葉でした。制度によって断たれた関係が、記憶の手ざわりを通じてつなぎ直されたあの瞬間――その媒介となった版木は、単なる出版ツールではなく、語りの回路を再び接続する〈触れるメディア〉として機能したのです。

 

型と師範代――語りの継承とは何か


 この心を震わす再接続は、編集学校における「型」と「師範代」の関係とも深く響き合います。「型」とは、語りの構造を抽出し、再現可能なかたちとして言語化した知の鋳型です。そして「師範代」とは、「型」を深く理解し、問いを通じて他者の中に眠る語りを立ち上がらせる支援者であり、語りの継承を媒介する存在です。「型」を版木、「師範代」を鱗形屋と読み替えれば、鱗形屋から蔦重へと語りの火が引き継がれたプロセスと編集学校の学びは、構造的に相似を成していることが分かります。

 

 そして鱗形屋が蔦重に託したものは、焼け残った版木だけではありませんでした。

 

「(恋川)春町を鶴屋から、かっさらえ!」

 

 かつて自ら育てた語り手、恋川春町。売れ筋ばかりを求められ、語りたい像を失いかけていた彼を、鱗形屋は蔦重に託します。これは敗北の宣言ではなく、語りの火を次代につなぐための共謀でした。語りを信じた者同士が、火のあとに残るひとかけらの記憶を、ひそやかに、しかし確かに手渡す――その熱を帯びた継承が、語りの回路を再び動かし始めていくのです。

 

問いとイメージ──語りの再起動

 

 恋川春町――その名は江戸の町に響き渡っているものの、当人の心には、すでに語りへの火が消えかけていました。代表作『金々先生栄華夢』の成功が重くのしかかり、問屋や読者の期待に応え続けるうちに、「語りたいもの」ではなく「売れるもの」を書く機械のようになっていく。筆を握っても、像は浮かばず、身体の奥には虚しさだけが残る。語り手としての春町は、すでに限界まで追い詰められていました。

 

 そこに差し出されたのが、蔦重の挑発的な問いでした。

 

「描いてみたくありませんか。

誰も見たことのない百年先の江戸なんてものを」

 

 この一言は、春町の中に沈殿していたイメージをべらぼうにかき混ぜはじめます。「案思(あんじ)」――それは、外部からの素材(案)と、内部に潜む像(思)とが結びつくことで初めて動き出す編集的装置です。この問いの起点には、唐丸=歌麿の何気ない言葉がありました。

 

「まず、絵から考えてみたら?」

 

 言葉から構想を立ち上げるのではなく、イメージから語りを組み立てる。これは、編集学校における物語編集術の型「トリガーショット」そのものです。春町は初めて、自らの語りが“言葉”ではなく“イメージ”から始まる可能性に気づきます。唐丸の気づき、蔦重が差し出した問い、そして春町の心に宿っていた未完の像。語りはこの三者のあいだをリレーのようにつながり、やがて再起動していきます。春町がふたたび筆を取ったのは、内なる情熱の回復ではありません。他者から差し出された問いとイメージによって、“語らされる”場が整ったからでした。

 語りとは内面の噴出ではなく、関係によって立ち上がるもの――春町の再生は、それをまさに強調しています。

 

触れる語りのゆくえ──デジタル時代と編集的倫理の交差点

 

 いま、語りはデジタルの海に散乱しています。速度と利便が支配するこの時代では、語りは軽く、早く、そして簡単に忘れ去られてしまいます。だからこそ、いま必要とされているのは、「触れる語り」です。版木がそうであったように、編集学校における「型」もまた、語りを再生可能な構造として編み直すための知の鋳型です。そしてその型を深く理解し、問いを通じて他者の中に眠る像を呼び覚ます存在こそが「師範代」です。彼らは、語りが立ち上がる場を設計し、語り手が語り手として再び歩み出す過程に、静かに伴走します。

 

 問いによってイメージを呼び、水脈のように沈んでいた記憶を少しずつ掘り起こす――そこにあるのは、単なる情報の集積ではなく、「震えの連鎖」です。語りとは、書き手の胴震い――感情が身体を突き抜ける瞬間――が、読み手の奥底に共鳴する営みです。伝えることよりも響き合うこと。意味の伝達ではなく、感覚の感応によって立ち上がる関係の生成。だからこそ、語りは単なる言葉の連なりではなく、人と人とを結び直す「震えの回路」として機能するのです。

 

 鱗形屋 → 蔦重 → 春町――この編集的継承の連鎖において、鍵となったのは、「触れる」という行為でした。鱗形屋が焼け残った版木を蔦重に託したとき、それは物質ではなく、かつての語りを支えた志と記憶の痕跡にほかなりませんでした。蔦重は、その版木に触れることで、幼い日に読んだ一冊の本、初めて語りに心を震わせた記憶に触れました。そして今度は、蔦重が春町に「百年先の江戸」という問いを差し出します。この問いは、編集的な仕掛けであると同時に、語りの可能性に触れる“装置”でもありました。その発端には、唐丸=歌麿の「まず、絵から考えてみたら?」という気づきがありました。唐丸の気づきが蔦重の問いを触発し、蔦重の問いが、春町の中に沈殿していた“まだ語られていないイメージ”を触発したのです。

 語りとは、出来事を記録・伝達するだけの手段ではありません。他者の震えを呼び起こし、眠っていたイメージを立ち上がらせ、新たな語りを誘発するものです。そこには単なる伝達や保存ではなく、関係そのものを編み直していく編集の力が働いています。「触れる」ことによって生じるこの「震えの回路」こそが、語りの継承の核心なのです。

 

 『べらぼう』第十九回が描いたのは、物語が一人の内面で完結するのではなく、問いと記憶、そして“触れられる痕跡”が結びつき、語りが他者へと静かに手渡されていくという構造でした。このように語りが他者の中で立ち上がっていくには、単なる保存や伝達では不十分です。そこで必要となるのが“編集”です。編集とは、語りをそのまま保管する行為ではなく、語りが誰かの中で再び芽吹くように問いを配置し、響き合いの関係を設計する技術なのです。

 幼い記憶を宿した一枚の版木がそうであったように。そして紅茶に浸したマドレーヌがそうであったように。語りはいつも、身体のもっとも深いところから、震えをともなって静かに立ち上がり、そして未来へと手渡されていくのです。

 


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