【追悼】松岡さんの面影は、私たちの〈創〉を刺激し続けただろう(大澤真幸)

2024/09/13(金)08:00 img
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 松岡正剛さんが逝った。少し前から覚悟はしていたつもりなのに、喪失感はことのほか大きい。

 

 私が松岡さんに初めて会ったのは、一九八〇年代の終わり頃だった。そのとき私は、まだ二〇代だったから、人生を半分以上遡ることになる。高校・大学の頃に『遊』を愛読していたし、『眼の劇場』などの著作も読んでいたので「松岡正剛」という名前はよく知っていた。あんな妖しい魅力を発する雑誌を創り、あれほどぶっとんだ想像力で本を書くのはどんな人なのか。是非お会いしたいものだと念じていたら、突然、NTTが後援し、松岡さんが座長を務める研究会のメンバーにならないか、と声をかけられたのだ。編集工学研究所が、代官山にあった頃のことである。

 

 ずっと後になって、NTT西日本の副社長になっていた坂本英一くんから聞いて、どんな経緯で声がかけられたのか、その事情を知った。当時、NTTの新入社員だった坂本くんは、編集工学研究所のスタッフと一緒に、新たに立ち上げる研究会を構成する、若手研究者を探していた。そこで坂本くんは、どんな分野にどんな人がいるのか、サジェスチョンが欲しいと、母校の出身学科で助手をやっていた大澤のところに相談に行ったのだという。正直、私にはそのときの記憶がほとんどないのだが、何人かを推薦したらしい。結果のリストを携えて坂本くんが編集工学研究所に戻ると、松岡さんは「この人を誘って欲しい」と、(私が推薦した人たちではなく)私自身を指名されたのだという。その段階で松岡さんが、『現代思想』等で発表していた私の初期の論文、「行為の代数学」をはじめとする論文を読んでいたことが、驚きである。

 

 直接会った松岡正剛は、活字を通じて想像していたその人よりもさらに魅力的だった。普通は、著書などを通じて知っていた人に直接会うと、少しだけ失望する。が、松岡さんの場合は、まったく逆であった。

 松岡さんの魅力の中心にあったもの。それは、私にとっては、〈語り〉である。私は密かに、松岡正剛は現代の(唯一の)〈語り部〉である、と思ってきた。松岡さんの〈語り〉を聴いていると、世界が拡がる。世界が大きくなっていくのを感じる。いや、もう少しイメージに忠実に言い換えると、それぞれ隔壁で分断されていたいくつもの世界が、急に直接的につながって、ひとつの大きな宇宙になるのを感じるのだ。ああ、これこそが編集工学だ。そんなふうに思う。

 松岡さんの〈語り〉は、いくつもの世界を貫通することができるマスターキーを与えてくれるのだ。マスターキーになるのは、たいてい日本語の中のある特定の〈言葉〉である。日本語が触発する想像力、その日本語に結集しているさまざまなものごとの美学的な配置。松岡さんはそうしたものを見出す独特の眼力をもっていた。

 

 もう松岡さんの〈語り〉を聴くことができない。あの〈語り〉にうっとりと浸ることができない。そう思うと、痛烈な寂しさがこみ上げてくる。

 幸い――そうわずかな幸いとして――「千夜千冊」をはじめとする膨大な量の文字が残っている。私たちはその文字を通じて、あの〈語り〉を再現することができる。あるいは、松岡さんの〈語り〉を繰り返し聴いてきた私たちの中には、松岡正剛が〈面影〉として堆積している。その〈面影〉を手がかりとして、私たちは、後続の世代、松岡正剛に直接あいまみえることができない世代にも、あの〈語り〉を伝えることができるはずだ。

 

 このことが宇宙のさらなる拡大、さらなる創造につながれば、松岡さんも喜ぶだろう。急に、松岡さんが〈創る〉ということをめぐって語られていたことを思い出した。どうして、「創(る)」という字は、「きず」をも意味するのか。きず(創)を負うことと創造との間に、何か本質的なつながりがあるからだ。「創」とは、「倉」の壁の穴(きず)に「刀」をつっこんで、中をかき回すことである。

 

 極大のきず(創)は、もちろん、肉体の死である。松岡さんの死を、最大の創造、編集工学的な――三つのA (Analogy, Affordance, Abduction)を縦横無尽に使った――創造に結びつけよう。それこそが、松岡正剛の〈語り〉に応えることである。

 

ISIS co-mission 大澤真幸

  • 大澤真幸

    社会学者として80年代から常に一線で活躍。松岡正剛との交流をへて、2020年より [AIDA]ボード、2021年には「多読ジム・スペシャル 大澤真幸を読む」を監修。月刊個人思想誌『大澤真幸THINKING「O」』刊行中、「群像」誌上で評論「〈世界史〉の哲学」を連載中。2007年『ナショナリズムの由来』(講談社)にて第61回毎日出版文化賞(人文・社会部門)。12年『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、共著)で新書大賞2012大賞など著書多数。2024年からISIS co-missionに就任。

コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg