【追悼】デーモンから見たゴーストの“死”(津田一郎)

2024/08/30(金)08:00 img
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ここ1年の様子を見ていると、カウントダウンを松岡さん自身が意識していたのだろう、”その後“に対して次々と手を打ってこられたと思う。私もその手の一つであると感じ、うれしく思ったものだ。

 

多くの人は理系の人間、特に数学者は人の死に対しても冷静で感情的にならないと思っているかもしれないし、実際そのように言われたこともある。しかし、数学とは感性であり心であるのだから、数学をするということは感情に動かされての事であり感情が先行するものなのだ。最後はそれを冷徹なロジックで納めはするが、それは単に形式的なものではなく意味の世界、どんな集合の上で意味をつけるかというアイデアの発露であるから、実は数学者は感情的であることがしばしばだ。長年のトレーニングで親の死に対しては冷静でいられたとしても、むしろ他人で親しく交わった人の死を容易には受け入れられない。松岡さんの死は私にとっては予想されたこととはいえ、現実としては受け入れがたく、いまだに認めたくない事件である。第一、松岡正剛はゴーストなんだから、死ぬことはない、とデーモン役の私は思っているのだ。

 

松岡さんとの直接的な出会いは1983年秋だったから、今から41年前のことだ。出会いについては松岡さんとの対談本「初めて語られた科学と生命と言語の秘密」(文春新書)にあらすじを書いてあるが、実際はもっとディテールがあってそれは伏せられている。それより6年ほど前、大学4年生の時に「遊」の存在を知って、そこで松岡正剛という鬼才に出会っていたので、私が松岡正剛という名前を知ってからは半世紀になる。松岡さんの話し方が魅力的であることは定評があるが、実は大変な聞き上手であった。私は普段は隠している自分の中にふつふつと湧き上がるデーモン的な科学への情念が松岡さんを前にするとあっさりと表出するのが心地よく、松岡さんとは頻繁に会いたいと思ったものだ。松岡さんも私の話を面白がった。複雑系特にカオスについてはただならぬものを感じていたのだろう、カオスの紡ぐ物語を聞きたがった。しかし逆に、自然科学や数学はその情念を内側に秘め続けることで新しい発見に至る爆発が心の内に起こるという側面があるので、あまり頻繁にデーモンをさらけ出すのはまずいと感じてもいた。それで研究の結果が出る数年の間隔を置いてゴースト正剛と密会していたのである。

 

松岡さんは「方法」を大事にしてきた。「過程」と言い換えてもよい。無限そのものを理解できないとき、有限から無限に至る過程を理解することで無限を理解する方法を数学者は編み出した。同じ言い方をすれば、松岡さんは宇宙より広い知性としての言語を有限の言葉の編集過程によって理解する方法を編み出したのだ。有限の命を持つことが定義にさえ見える生物としての松岡正剛はきっぱりと死んだ。だからこそ、“セイゴースト”という無限性を秘めた精神を理解し共有することは残された人々による編集力にかかっている。

 

ISIS co-mission 津田一郎

 

  • 津田一郎

    理学博士。カオス研究、複雑系研究、脳のダイナミクスの研究を行う。Noise-induced orderやカオス遍歴の発見と数理解析などで注目される。また、脳の解釈学の提案、非平衡神経回路における動的連想記憶の発見と解析、海馬におけるエピソード記憶形成のカントールコーディング仮説の提案と実証、サルの推論実験、コミュニケーションの脳理論、脳の機能分化を解明するための拘束条件付き自己組織化理論と数理モデルの提案など。2023年、松岡正剛との共著『初めて語られた科学と生命と言語の秘密 』(文春新書)を出版。2024年からISIS co-missionに就任。