進化するアーキタイプ:倉谷滋【AIDA03】

2021/10/09(土)10:07 img
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2020年10月から翌3月にかけて、豪徳寺・本楼でHyper-Editing Platform[AIDA]SeasonⅠが開催されました。全六講のうち、第二講ではジャーナリストの石弘之第三講は建築家の隈研吾、第四講は進化生物学者の倉谷滋、第五講は政治学者の片山杜秀がゲスト講師として参加。「AIDA考」では、代将・金宗代が各氏の編集方法を取り出しながら、講義のエディティング・レポートを連載します。

 

 ボディプランとは何か。それは、「特定の動物群に共有された、動物の形の基本型」という生物学の概念である。「ひとつの体の中における器官と器官の位置関係、構造と構造の繋がり方、そういったものの総体」(倉谷滋『進化する形 進化発生学入門』講談社現代新書、p45)のことを指す。

 このボディプランを知るためには、古典的な形態学における「原型」(アーキタイプ)という言葉の理解が求められる。また、ボディプランは「相同性」(ホモロジー)、つまり「進化の結果として立ちあらわれる、器官・構造の同一性」(同書、p74)と深く関わっている。「原型」と「相同性」は表裏一体であり、その関係を一言でいうと、《ある特定のパターンで配置された「相同性」の集合》が《「原型」の構造》をあらわしている。

 「相同性」(ホモロジー)の対概念は「相似性」(アナロジー)だ。その違いは、相同性とはたとえば「ヒトの腕とトリの翼は、形や機能性が異なっていても、形態学的な本質は同一である」ことを指すのに対して、一方の相似性は「昆虫の翅とトリの翼」のように、「形状と機能は似ていても、形態学的に同一のものではなく、見かけの類似性を示す」(同書、p74)。相似性といえば、松岡正剛校長がかつて構成編集した『遊1001 相似律』が思い出される。

 「相似性」もさることながら、「原型」(アーキタイプ)も編集工学の大切なキーワードだ。編集工学では、「らしさ」や「〜っぽさ」を支えるモデルや型を「略図的原型」と呼び、それらをさらに「プロトタイプ」・「ステレオタイプ」・「アーキタイプ」の3つに分類している。 その違いを簡単にまとめると、次のようになる。

 

プロトタイプ(類型):一般的な概念によって示される「らしさ」

ステレオタイプ(典型):特定の何かや誰かに代表される「らしさ」

アーキタイプ(原型):文化や文脈の奥に秘められた「らしさ」

 

 「アーキタイプ」(原型)は、私たちの意識や感情や記憶、あるいは文化そのものの奥にひそみ、私たちの思考や行動に影響を与えている略図である。『知の編集術』や『知の編集工学』では、面影のようなもの、子供の絵やアフリカン・アートを見て感じられるようなものと記されている。

 編集工学におけるアーキタイプは、夢や神話などの研究を通し、人間意識の奥底で、ある精神作用を担い、特定のイメージや象徴を生み出す働きをする一連の心的機能を抽出し、これらを「アーキタイプ」(元型)と名づけた精神分析学者カール・グスタフ・ユングの「元型論」に由来する。ユングは、夢や精神病患者の描く絵を研究し、これらの元型が一種のマンダラ状の配置をもつこと、それは各人各様であるだけでなく、その時々で変化していくものであることを発見した。さらに元型には自分で自分の心を癒し回復していく力があることに気がつき、これを応用したのが箱庭療法である。

 一方で、形態学的な原型論は、編集工学における「アーキタイプ」(原型)とは異なり、根源的にはプラトンのイデア論、直接的にはゲーテの形態学、その系譜につらなるエティエンヌ・ジョフロア・サン=チレールやリチャード・オーウェンの思想に由来する。これは「永遠不滅のイデアとしての原型」という最も深層にある形の基本型というものがあり、その原型の変形によって「生物のすべて」が説明できるという考え方である(同書、p226)。進化論はこの原型論を否定して成立している。ただし、「原型とは、すなわち共通の祖先である」という解釈は、現在でも根強く生き残っている(同書、p56)。

 

 倉谷は原型論の果たした歴史的な役割を認めながらも、これは科学ではなく観念論にすぎないと述べる。すなわち、原型論とは「ゲーテからオーウェン、ダーウィンを経てヘッケルに至るまでの『ロマン主義的ボディプラン幻想』」(同書、p230)であると。古典的な原型の意味を現代的な視点から見れば、「原型と呼べる共通性は、進化の最初ではなく、多様化ののちに、『それでも変わることができなかった要素』として二次的に見えてくる共通性」(同書、p56)に他ならない。

 

 そこで旧来の原型論に代わる説明として、倉谷が明らかにしなければならないと提案しているのが「ボディプラン進化の理解」だ。編集工学のアーキタイプもこの「進化する原型」という発想に近いのかもしれない。じつはレクチャーの中で倉谷は「ボディプラン進化」について、あたかも略図的原型の型を使って説明しているようなシーンがあった。それはアーキタイプ(原型)に「ボディプラン進化」をすえて、そのプロトタイプ(類型)に「神戸の異人館」、そして「マニエリスム」を提示しているように私には見えた。

 画像は倉谷の自宅のそばにある「風見鶏の館」と呼ばれる明治期に建設された洋風の建物。すなわち、異人館である。これを建築したのは日本の大工であり、材料も日本産だ。つまり、異人館は見た目はまったく異なるが、日本家屋と同じ材料と技術で出来ていることになる。進化においても、発生の下部構造は保存されていても、解剖学的・形態学的に異質なものができることは可能なのだ。そこが「アルシャラクシスによって進行したボディプランの発明に似る」というわけである。

 若桑みどり『マニエリスム芸術論』、グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界 上・下』、『ユリイカ』のマニエリスム特集が並ぶ。なかでもホッケの『迷宮としての世界』は、「マニエリスム」という美術スタイルが、世界と日本に周知されたエポックメイキングな書物として知られている。日本語訳は種村季弘が担当し、千夜千冊でも紹介されている

 簡単にいえば、「マニエリスム」とはルネサンスからバロックへと至る移行過程をになった美術スタイルである。つまり、ルネサンスにおいていくつも乱立した美術様式を再結合することで新しいスタイルを生み出したのがマニエリスムだ。再結合のことを高山宏は「アルス・コンビナトリア」(結合術)と呼んでいる。

 

 マニエリスムは「異人館」の建築と同じように、同じ素材を使いながらも、その「結合の方法」を変えることで、新しいスタイルを作り出していく。動物のボディプランも、それと似たところがあり、「細胞型という部品」が完成するとそれ自体が進化するということはなく、同じ部品の再結合によって新たなボディプランを確立する。上のスライドを見ていると、たしかにマニエリスムはボディプラン進化のプロトタイプとして説得力に富む。まったく別の時代のまったく別の領域の事柄にもかかわらず、このようになぞらえると双方ともに理解がはかどるのが編集の不思議である。

 さらに倉谷はいわゆる「カンブリア爆発」は、マニエラがひと通りの出揃って、そこから本格的ボディプランの多様化を目指した「バロックの時代」に相当するのではないかと指摘する。それ以降は、ずっと同じ動物門が継承されている。それは形態学的相同性がむしろ保存される傾向の強い、ゲーテの原型論もダーウィンの進化論も通用する自然界である。

 

 さて最後にあらためて、問いなおしたい。編集的社会像を情報の「地」にして考えたとき、「ボディプラン進化」はどのように捉えたらいいのだろうか。イシス編集学校には、アーキタイプ、ステレオタイプ、プロトタイプという3つの「略図的原型」を問う編集稽古がある。もし、「ボディプラン進化」をアーキタイプにおいたとき、ステレオタイプとプロトタイプにはどんな回答が思い浮かぶだろうか。

 

 

プロトタイプ(類型):  ?

ステレオタイプ(典型): ?

アーキタイプ(原型):ボディプラン進化

 

 


  • 金 宗 代 QUIM JONG DAE

    編集的先達:水木しげる
    セイゴオ師匠の編集芸に憧れて、イシス編集学校、編集工学研究所の様々なメディエーション・プロジェクトに参画。ポップでパンクな「サブカルズ」の動向に目を光らせる。
    photo: yukari goto