**多読アレゴリア【EDO風狂連】2/16<遊山表象>体験録 **
イシス編集学校学長・田中優子氏を“宗風”に迎え、江戸の文化を読み書き遊ぶ【EDO風狂連】。『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)を共読したり、連句を擬いたりと、一人前の江戸人めざして粛々と稽古を進めてきたが、これまではいわば座学。本日2月16日は待ちに待ったリアル・ピクニック、一座建立<遊山表象>の日である。
◆◆江戸のもの創りのすさまじさに触れる
【EDO風狂連】初の記念すべき<遊山表象>は、田中優子宗風による江戸語りから始まった。講演の部は「ISIS FESTA」として開催され、EDO風狂連受講者以外からも多くの人が集う。参加者は260年間の江戸時代の流れをマップした「時代構造図」を手に、江戸に生まれた陶磁器、革製品、着物の写真や、『アート・ジャパネスク』の図像が映るスクリーンに見入った。江戸時代とは「荒波の滴」を使ってもの創りに没頭した時代だ(速報はこちら )。入ってきた異国の技術や物をそのまま使わずに、自分の生活に合わせて改変、それに飽き足らずついつい趣向を凝らして誰も見たことがないものを創っちゃうのが江戸人。そんなすさまじくもべらぼうな編集ぶりに当てられ、一人ひとりの内なるEDO心が騒ぎ出す。
◆◆いざ実践、実戦!「歌合三番勝負」
優子宗風を囲み、ブビンガに着席した【EDO風狂連】一同。ここからは、EDO風狂連メンバー(連中)だけが参加する真剣勝負の時間だ。「ひ・ふ・み組」の3グループに分かれた。手元の紙には、各組の持ち歌として「風の短歌」が並んでいる。
●一番:風の短歌
【ひ組】駆けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時をよぶこえ
【ふ組】夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり
【み組】比叡おろしふきつのる夜をいねがてのわれにはあかせ天地(あまつち)の法
歌合(うたあわせ)とは、平安時代から続く歌の優劣を競う遊戯である。こっちの歌がいかに優れているか、そっちの歌がいかにいただけないものなのかを、方人(かとうど)が代表して述べる。読み解き、弁舌、そして相手を完膚なきまでにやりこめる勝負師としての心意気が試される、アワセ・カサネ・キソイの宴だ。各々、持ち歌の「褒めどころ」、そして他の組の「下げどころ」を素早く探す。勝負の判者はもちろん優子宗風である。
【ひ組】の歌は何をもってしてもリズムが悪い。
【ふ組】の歌は風というには弱すぎる。まるで小学生のスケッチだ。
【み組】にいたっては「比叡おろし」という松岡正剛校長作詞の歌のタイトルが、まるで印籠のごとく使われており風情がない(!!)
稽古の時には優しげだった連中も見事な下げっぷりを披露し、遠慮がちだったツッコミも徐々にヒートアップ。注目の第一試合は、その歌の通りすっと吹き抜ける夏の風のように鮮やかに読み解きを展開した【ふ組】に軍配が上がる。さて、これらの短歌の作者はおわかりだろうか? 【ひ組】寺山修司、【ふ組】与謝野晶子、【み組】湯川秀樹だ。
●二番:狂歌
狂歌には元になる「本歌」がある。優子宗風が先刻の講演で「江戸文化は外国から入ってくるものと、日本の過去にあるものを素材として使った」と言っていたことが頭をよぎる。外と内(歴史)、どちらともつながるのが江戸人の真骨頂だ。とはいえ令和に生きるなか、EDO風狂連連中、和歌に深く親しむものがどれほどいるのか。
【ひ組】一刻を千金づつにしめあげて六万両のはるはあけぼの
【ふ組】ほととぎす鳴きつるあとにあきれたる後徳大寺の有明の顔
【み組】かくばかりめでたくみゆる世の中をうらやましくやのぞく月影
【ひ組】の歌はお金のことばかり、身も蓋もありませんねと言えば、何をおっしゃる。身も蓋もないのはほととぎすに女性を重ねた【ふ組】のほう。金や女の生活臭からぐんと離れた【み組】のめでたさを御覧なさい。まア御冗談、お月さまの光は昇ってくる太陽には叶いません。日々のささやかな営みの先に、六万両という大きな輝きを想像した江戸の人の心の大きさが分からぬものでせうか――。
軍配は【ひ組】に上がったが、どの組も歌の世界をよく理解していると優子宗風から高評価をいただき面々に自信がのぞく。なお三作はすべて江戸天明期の代表的狂歌師・四方赤良(大田南畝)の手によるものだ。
●三番:江戸短歌
江戸の人は芝居のセリフ集を愛読していたという。観たら自分もやりたくなるのが人の性、やる人/見る人を分けないのが江戸のマナー。ならば我らも先人の歌を読むだけでなく、つくってみむ。連中・風師は事前に「江戸」をテーマとした短歌を詠んできた。各組メンバーが持ち寄った歌のなかから、「これぞわが組一推しの歌」を掲げて、いざ江戸短歌3首の三つ巴合戦! なかでもひときわ存在感を放ったのがこの一首だ。
【ふ組】一途には追えない影の定めとも誰ふりかえる浮世絵の女(ひと) 中村万
この出来栄えにはひ組・み組も「寂しすぎる」「どこか中二っぽい」などと苦し紛れのへらず口をたたくのがせいいっぱい。優子宗風は江戸時代に流行した「誰が袖(たがそで)」を引き合いに出し、面影を感じさせる歌と絶賛する。【ふ組】、文句なしの勝ち星。
下手なものを下手といい、手前味噌を好き勝手並べて気がつけば黄昏時。歌ひとつ、身ひとつで我らが遊んでいたこの場・この時間こそ、江戸人がこぞって出入りしたという別世だったか。一人前のEDO人をめざす旅は、【EDO風狂連】3月からの〈春の候〉へと続くのであった。
文:本忽(ぽんこつ/吉居奈々風師)
歌合の写真:後藤由加里
EDO風狂連
【EDO風狂連】は、江戸の文化を「読む」「書く」「遊ぶ」連です。江戸以前の文化を本歌取りした江戸文化をまるごと受け止め、江戸から日本の方法を学ぶ。目指すは「一人前の江戸人」です。
【2/16開催★ISIS FESTA】田中優子の江戸・蔦重の編集力
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