南北朝の夢と将軍梅【九州ちのへん】

2021/02/24(水)10:00
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イシス編集学校九州支所「九天玄氣組」の組員が九州の“をちこち”を旅する【九州ちのへん】。初回は梅の見ごろを迎えた福岡県の久留米へ足を運びました。南北朝の動乱の歴史を刻むこの地に、660年の時を越えて咲き続ける「将軍梅」とは。旅人は組長の中野由紀昌です。

 

筑後川にほど近い閑静な住宅地にある宮ノ陣神社

 

「梅の花が見頃です。ぜひ見に来てください」とお誘いを受け、福岡市から車で一時間、久留米市まで足を伸ばした。

訪ねた場所は、筑後川中流域に鎮座する「宮ノ陣神社」。1359年の筑後川の合戦(大保原の戦い)の際、後醍醐天皇の皇子・懐良親王が南朝の陣をはった重要な場所で「宮ノ陣」という地名もここからつけられた。祭神は懐良親王と良成親王だが、創建は明治21年と意外と新しい。にわかに南朝を神輿に担いだ時代を思わせる。

 

石柱で囲まれた将軍梅。こちらの梅の木は将軍梅を接ぎ木したもの


宮ノ陣神社の目玉は「将軍梅」。懐良親王のお手植えと伝えられる。南北朝時代から660年近くになる今でも、白い花を咲かせているのだ。

 

大元の将軍梅。蕾はまだ固そうだった(2月20日時点)

梅を見においで、と誘ってくれたのは、宮ノ陣神社近くに住む河川図書館の館長・古賀邦雄さん。九州の河川について、私もなにかとご教示いただいている。古賀さんはボランティアで神社の清掃やお世話をしておられるのだけれど、胸中にはある強い思いがある。「関ヶ原の戦い」と「川中島の戦い」は有名であるのに、「筑後川の合戦」は地元の人すら認知されていないのが悲しい、と嘆いているのだ。関ヶ原・川中島・筑後川の三位一体で「日本三大合戦」であるにも関わらず。それを「将軍梅」を介して知らしめたい。掃除をしながら神社に梅を見にくる人に声をかけ、将軍梅の由来を語って聞かせている。

 

古賀邦雄さん。亡き奥様との思い出を刻む「ななの梅」の前で


なぜ、筑後川の戦いは知られていないのか。関ヶ原や川中島の合戦のように、幾度も映画やドラマに取り上げられる機会が少ないことも関係しているのではないか、二つの天皇をいただく時代を描くときの足枷のようなものも働いているのではないか、などと憶測もしたくなる。

南朝に望みをかけた懐良親王の夢は散ってしまったが、「将軍梅」は咲き続けている。名残り梅なのだ。そう聞くと、花が一層鮮やかに映るのは、梅の語る物語に耳をすますようになるからにほかならない。郷土史と目前の梅をむすぶ古賀さんのような語り部の存在は欠かせない。

足を運んだ2月20日は、紅白入り混じりの梅およそ150本がほぼ満開だったが、肝心の将軍梅はまだ蕾であった。梅園の大トリを務めるごとく、最後に花を咲かせるという。満開の頃、ふたたび声をかけてもらうことにした。

白状すると、これまで花見といえば桜ばかりだった。梅の花をじっくり愛でたのは初めてだったかもしれない。けれどもその日以来、梅こそ恋しい。懷良親王は梅にどんな思いを込めたのか、花のむこうの面影をおもう。

 

 



◎宮ノ陣神社:福岡県久留米市宮ノ陣5-12-1
https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0007187.aspx

◎一緒に読みたい千夜千冊:

千夜千冊#1224『南北朝の動乱』

千夜千冊#466『梅』有岡利幸 

 

  • 中野由紀昌

    編集的先達:石牟礼道子。侠気と九州愛あふれる九天玄氣組組長。組員の信頼は厚く、イシスで最も活気ある支所をつくった。個人事務所として黒ひょうたんがシンボルの「瓢箪座」を設立し、九州遊学を続ける。