誰にでも必ず訪れる最期の日。
それが、どのような形で訪れるかはわからないが、一番ありえそうなパターンの一つが終末介護病棟での最期じゃないだろうか。沖田×華先生と言えば、自虐ネタのエッセイマンガでよく知られるが、物語作家としても超一流だった。深く死に向き合いたい方は、是非ご一読を。
(沖田×華『お別れホスピタル』)
多読アレゴリア2025年ラストシーズン、「ISIS co-mission」メンバー、武邑光裕慧匠監修の「OUTLYING CLUB」では、慧匠の自伝『Outlying―僻遠の文化史』をキーブックとして多読に挑戦した。メンバーは『Outlying』から各自が連想するサブブックを2冊選び、創文に向き合った。2024年冬の「OUTLYING CLUB」スタートから1年を通して、「外縁」「社会」「日常」「女性」「メディア」など、それぞれが心に抱える日常の違和感クラブでの体験とキーブック、サブブックとを交差させながら読書(読み書き)を進めた。
しるしから離れ、僻遠を歩く
増岡麻子
●サブブック:
『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー(筑摩書房)
『デザイン知』松岡正剛(『デザインの小さな哲学』ヴィレム・フルッサー)(角川ソフィア文庫
●世界は違って見えるのか
自分の立つ場所が揺らいでいる。いつからかそれを強く感じていた。これまで護られ、安らいでいた環境に裂け目が見えたのは、急速に変化する世界に身も心も追いつけないからか、それとも松岡正剛校長の訃報を受け取って以来、足元がぼやけて見えるからなのか。何かを断ち切りたいわけでも、抗いたいわけでもない。しかし知らぬ間に、
目を覆いたくなるような情報や背負わなければならない足枷が増え、息苦しさを感じていた。社会や他者にそれを投げ出すほどの強度はなく、むしろ問題は自分の内側にあるように感じ続けている。動けなさの正体が分からないまま時は過ぎた。
『Outlying-僻遠の文化史-』で武邑慧匠から綴られる「僻遠」という意味は、世界の中心から遠く離れた場所を指すのと同時に、思いもしなかった視点から事象を見るための居場所でもある。距離だけではなく、概念も指す。見たことのない扉を開け、ゾーンへ踏み出すことは驚きと高揚感だけでなく、安らぎでもあるのだろうか。自分はそれまでどこに立つことで、安心を得てきたのだろうか。外から自分を眺めるという行為は、編集学校で身につける方法でもあるけれど、より生々しく、蠢くような知の掟が『Outlying』から自分の中へ芽生え始めた。
●暗黙知というゾーン
『暗黙知の次元』で著者のマイケル・ポランニーは語る。
〝人間には、言語の背後にあって言語化されない知がある。「暗黙知」、それは人間の日常的な知覚・学習・行動を可能にするだけではない。暗黙知は生を更新し、知を更新する。それは創造性に溢れる科学的探求の源泉となり、新しい真実と倫理を探求するための原動力となる。”
私の思考はどこから始まったのだろうか。言葉になる前の知が私の行動をアフォードしてくれていたのかもしれない。しかし「暗黙知」だけではなく、言葉に出し続けてこそ、クラブという「生きもの」に何らかの更新が起きる。
●脱・しるしへ向かうために
私にとっての「しるし」=デザインとは生きるために必要不可欠なものであるとともに、「良し悪し」というマークをつけるという行為でもあった。ジャッジをしなければならないもどかしさが足元の揺らぎになり始めた秋、日本のあるアスリートが身体にタトゥーを施したことでの議論をSNSで目にした。本人不在のなか、繰り広げられるやり取りに対し、生まれた居心地の悪さは、偏見に対する嫌悪感とともに、本当に自分がタトゥーを行う人々に偏見を持ってはいないのか、タトゥーそのものは文化として尊重すべきか社会的に排除すべきか、その「良し悪し」を言語化できない自分の矮小さを突き付けられた。
千夜千冊『デザインの小さな哲学』(ヴィレム・フルッサー)で松岡校長はこう語っている。
〝「しるす」ことがデザインなのではない。そうではなくて、de-signareは語源的には「脱・しるし化する」ということなのである。「しるし」によって何かから脱却していくということだ。”
“どんなデザインにも、そのデザインをデザインたらしめてきた母型たちが関与したはずなのである。この母型はデザインの歴史のなかで何度も出入りをくりかえし、その時代社会ごとの表現者のイメージングにかかわってきたはずだった。”
身体に刻まれる文様は表現のひとつであり、誰もが文様の母型やイメージングを推測することが可能だ。それは単なる「しるし」から何かへ脱却あるいは、昇華へつながるのではないだろうか。古来から継がれてきた「刑罰」や「力の誇示」という意味ではなく、刻まれたデザインに生まれる思いや祈りへ目を凝らすことが「脱・しるし」なのではないだろうか。いつしか私はSNSの議論ではなく、表現者とその文様の意味を探ろうとし始めた。それは爽快な手ごたえだった。
●内なる僻遠を持ち歩く
『Outlying』を手に僻遠へのアプローチを探った1年間、クラブのなかにも「暗黙知」が芽生えていたといえる。千夜千冊『暗黙知の次元』の松岡校長の言葉を借りる。
“マイケル・ポランニーが生涯をかけて何をしたかといえば、「発見とは何か」ということを研究した。だれしも発見に敬意を払い、発見の結果に驚異をもつものではあるが、発見とは何かということをなかなか研究しようとはしてこなかった。
発見についての問題は「知ること」(knowing)と「在ること」(being)とのあいだに、どんなつながりが作用しているのかということだ。このあいだが何らかの方法でスパークするようにつながったときが、発見がおこったときなのである。では、この二つのあいだを埋めるものは個人の能力なのか、時代の要請なのか、研究グループの相互刺激なのか、それとも孤立との闘争なのか、謙虚な態度なのか、どうしようもない我欲なのか、それとも直観のようなものなのか。これらはたいていは定めがたいもの、決めがたいものになっている。
ポランニーは発見のプロセスを研究するにつれ、しだいに「知ること」(知識)と「在ること」(存在)のあいだには共通して「見えない連携」のようなものがはたらいていることに気がついた。”
クラブで誰もが「知ること」「在ること」のあいだにある「僻遠」を模索し、歩いていた。「見えない連携」が生まれたり、立ち消えたりもしながら、私はいつしか「しるし」から「脱・しるし」へクラブのあるべき姿を描き続けた。生まれたのは僅かな行動変容だけだったかもしれない。それでも「僻遠を探る」という発見が起きたいま、世界との距離は以前とは少し違った気配を私にもたらしている。
OUTLYING CLUB
メディア美学者・武邑光裕氏の監修するクラブが誕生。アンドリュー・マーシャルのOUTLYINGアプローチを手すりに、常識、主流派の見方を疑い、異端者の思考を追求する。
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タッパーウェアはそのまま飼育ケースに、キッチンペーパーは4分割して糞取り用のシートに。世界線を「料理」から「飼育」に動かしてみると、キッチンにあるおなじみの小物たちが、昆虫飼育グッズの顔を持ち始める。