昨年3月末、名古屋のヴァンキコーヒーに寄り合った面影座の面々はさっそくイメージマップを描き始めた。2022年度の「やっとかめ文化祭」に出展する『ナゴヤ面影座』言語芸術シリーズ第3弾に向けての作戦会議である。いま世界で起こっているパンデミックや侵攻、数々の危機は、「言語」のそれである、という認識に立ち、それらを詩的言語で語ってみようという試みだった。
「やっとかめ文化祭」とは、尾張徳川家のもと豊かに育まれた伝統芸能やお座敷技芸などを現代のまちかどや路地裏に出現させ、「芸どころ名古屋」を愛でて興じようというお祭り。名古屋市などが主催し、毎年10月から11月にかけて開催される。『ナゴヤ面影座』はそのなかの特別企画として招聘されているもので、松岡校長を招いた2016年に始まり、イシス中部支部「曼名伽組」の有志が企画してトークイベントなどを開催してきたが、コロナ禍になってYouTube配信となった。
2020年には、名古屋の俳人・馬場駿吉がアルチュール・ランボオの『イリュミナシオン』を独吟連句し、2021年は、三島由紀夫の『近代能楽集』より『卒塔婆小町』と『葵上』を映像作品として制作し発表した。
そして2022年に取り組んだのが、『うたかたの国ナゴヤ ~歌でつなぐ名古屋の面影~』だ。尾張地区一帯は多くの歌人にうたわれた「歌の場」であることに着眼し、歌のテクストを、当地に所縁ある三間連結のメディエーションへと変化(へんげ)させた。文字から探る、歌謡に託す、「場」の思想と科学で綴る。それを声なき声に耳を傾けて弾き分けたパブロ・カザルスのチェロの音のごとく、白い鳥が微かな糸を紡ぎだすかのように、夢心地なムービーに仕立てあげた。
「巻ノ一」では三種の神器のひとつである草薙剣を祀る熱田神宮に始まり、「巻ノ二」では、江戸時代に当地で栄えた「都々逸」の雅に興じる。そして「巻ノ三」は、おとなり瀬戸市出身のふたり、「場」の研究者である清水博先生の監修をあおぎ、歌人の永井陽子さんの歌を引いて、円環的な「与贈」の時間と空間まで思索を広げた。宇宙的スケールによって生と死の循環、“いのち”の居場所、そして「生きている地球」の生命現象に話がおよぶ。名古屋のまちかどから飛び立った白鳥が、時空を超えて遠い宇宙の彼方から、わたしたちが「生きていく」とはどういうことなのかと語りかけてくる。
このような深遠なる物語が、市のイベントに採り入れられ、しかも手弁当で集まってくる有志たちの、「芸の道」ともいうべきこだわりにより成り立っている。曼名伽組・組長の小島伸吾氏による小道具の制作はもとより、撮影や編集のディテールに込められる熱量は、映像作品になってさらにヒートアップした。常套句で収まるなど到底考えられないと、遊び人の気概にあふれる編集者たちだ。
小島組長は語る。
「ぼくたちは、このためだけに集まってくる超フラジャイルな関係。だからこそ制限なく学びとアートを結びつける表象に向かえる。価値はつけられない。『弱さの逆襲』とも言えるかもしれません」
昨年末、校長の書『外は、良寛。』を舞台化した田中泯さんに、重なるものがあると思う。弱さばかりの「良寛」だらけ。そこに世界編集が発動するのだ。
柿本人麻呂のように詩的に語り、妄想をマッピングしていった。
この三部作は「笑い」始まり、「笑い」に終わる。「うた」と「鳥」に加え、通底するもうひとつのテーマが「笑い」である。
巻ノ一で紹介される「笑酔人(えようど)神事」。通称「オホホ祭り」と呼ばれ、毎年5月4日の夜に行われる。その夜、境内の灯はすべて消され、境内4カ所で神職たちが「オホホホホホホー」と高らかに笑いながら、闇の中で草薙剣を移動させる。剣は、日本最古の歌人でもあるヤマトタケルが東征の還りに当地で結婚したミヤズヒメの手元に遺して没し、熱田の地に納められた。それが天智天皇の時代に一時期、皇居にあったが、天武天皇朱鳥元年の勅命(668年)により、熱田の地に還座され、それを喜んだ人々の様子をいまに伝えるという。面影座の面々は、『うたかたの国ナゴヤ』の起源を熱田神宮に1300年前から今に伝わる神事に求めるという大胆な仮説をうち立てた。
つづく巻ノ二の主役となる「都々逸」は、名古屋の「神戸節(ごうどぶし)」が江戸に持ち込まれ「笑いの歌曲」として発展した寄席の流行歌だ。ときに切なくもの悲しく、ときにユーモラスに、三味線の音とともに庶民の情に沁み入った。
そして巻ノ三のラストに流れるのは、添田唖蝉坊の「わからない節」である。唖蝉坊は、堺利彦らとともに演歌で世界と戦った反骨の人。1890年ごろ、自由民権運動の演説は明治政府の弾圧を受け、その壮士たちは芝居や歌に乗せて思想を語っていた。しかし、為政者に物申すはずの歌が政府の国威発揚に逆利用されていたことに唖蝉坊は憤慨し、演歌の新しい方法を生み出した。それまでのように、思想を直接がなりたてるのでなく、風刺や諧謔を持ち込んだ。浮世絵のカリカチュアだ。
ああわからないわからない 今の世の中わからない
経済事情もわからない どいつもこいつもわからない
ああわからないわからない 桜咲く国えらい国
米がたんとある米の国 のたれ死ぬ人多い国
土取利行さんの新版が、世の無常を歌い上げるが、そこに可笑しみがある。吉田兼好的な「笑い」でもあり、人々を異化させていく「笑い」でもある。
かつて「笑い」は神と人とをつなぐものでもあった。天と地、光と闇、生と死といった二元的な構造をその背景にもっていたという。
世の中わからないことだらけだが、「わからなさ」があるから、次に「わかること」がある。これも循環している。自身の思考を二項対立ではなく与贈循環的におけば、世界は相転移を起こしていく。「笑い」はその鍵となるに違いない。
“しあわせの青い鳥”を探し求めて森を彷徨うチルチルとミチルのように、逃げた「白い鳥」を追って熱田の杜へ誘われていくメリとメロ。その黒い装束は白い鳥と対をなす。彼女たちの冠は清水博氏の「場の思想」を立体造形するために点と線で構築した。
「文字の語り部」が、白川静の漢字論にもとづき、次々と文字の起源を読み解く。紙片が鳥の羽のように舞う。語り部が頭に載せるのは、歌枕の方法のヴィジュアル化を狙ったものだ。
ヤマトタケルが没後に白い鳥と化して空へ飛び立った後、ミヤズヒメへの断ち難い想いから舞い戻ったとの伝説にちなむ「白鳥陵」跡にて、都々逸を奏でた。
筆者は昨年6月、小島組長や『うたかたの国』の編者である米山拓矢氏らが開催した文化イベントに参加し、「きょう感じた“気配”を一字の漢字に」との問いに対して、「鳥」の鏡文字を書いた。松岡校長の本を積み上げたオブジェを横から眺めたら、自然に見立てられた。「面影座」のテーマは知らなかったが、鳥と歌、鳥と文字、鳥と言語という古代から連綿と移ろいつづける“面影”に、すでに頰を撫でられていたのだ。
檸檬通り、茶道楽の集まる一角にある探偵事務所に「白い鳥を探せ」という依頼が舞い込む。
メリとメロが追った先は、熱田の杜の不思議な「笑い」が轟く奇祭…。
近世の浮世絵のような世界に迷い込んだメリとメロ。
鳥が舞い降りたと思われる地に迷い込むと、どこかから三味線の音が…。
白い鳥を追ってメリとメロは、ホントのつもりのホントの森に迷い込む。 そこには壮大な生命の循環の秘密が隠されていた。
山口イズミ
編集的先達:イタロ・カルヴィーノ。冬のカミーノ・デ・サンティアゴ900kmを独歩した経験を持ち、「上から目線」と言われようが、feel溢れる我が道を行き、言うべきことははっきり言うのがイズミ流。14[離]でも稽古に爆進。典離を受賞。
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