その黄ばんだ紙に顔を近づけて、あまく懐かしい匂いを胸いっぱいに吸った。準備は万端だ。青い半ズボンの、かつての「僕」を連れて、三冊の本をめぐる旅に出かけよう。
二人の少年、ジムとウィル
ハロウィンの夜、はげしい慟哭のような汽笛とともにカーニバルがやってきた。13歳のジム・ナイトシェイドとウィル・ハロウェイは、カライアピー(蒸気オルガン)の音とカンゾウやコットン・ケーキの香りに居ても立ってもいられず、真夜中、こっそり家を抜けだし、丘の向こうのテントをめざして走る。人間はどうせみんな死ぬんだと嘯き、自分の暗い影を知り尽しているジム。ぼんやりした世間知らずで、後ろを着いてくる影にびっくりするだけのウィル。それでも不思議なことに、二人の少年はいつも一緒だった。
(「僕」も、ひとつ年上の隣のマサくんと二人、毎日のように勝手口から逃げだしては、おたがいの影を踏みながら走っていた。)
ブラッドベリは、SF漫画のバック・ロジャースとディケンズ、ラブクラフト、ポーなどの幽霊物語で育った。11歳で世界を旅する魔術師を志し、12歳でおもちゃのタイプライターを手に入れ、作家になろうと決心する。日々、意識の底を浚って浮かんでくる単語を書き連ね、記憶をたどって連想を広げ、物語を紡いだ。『何かが道をやってくる』には、彼が幼いころ好きだったり憧れたり怖がったりした、夜汽車やカーニバル、回転木馬、魔術師、骸骨などが次々に登場する。ジムとウィルは、ブラッドベリ少年がそうだったように、奇想天外で奇々怪々な世界に惹き込まれていく。
(彼らを追いかけ、夜店の眩しい電球や怪しい見世物小屋の思い出とともに、「僕」は本の中へ入っていった。)
1923年、ブラッドベリ3歳の頃。故郷のイリノイ州ウォキーガン(ジムとウィルが暮らす架空の町、イリノイ州グリーンタウンのモデル)にて。『ブラッドベリがやってくる』(晶文社)p10より
未知に向かって
ジムとウィルを待ち受けていたのは、クガー&ダーク魔術団だ。醜く老いた自分の姿を映しだす、時を歪める鏡の迷路。カライアピーの葬送行進曲に合わせて時を狂わす回転木馬。クガーは逆回りする木馬に乗ると、蝋のように軟化して若返り、12歳の少年になった。その姿に呆然とする二人。刺青男ダークは、秘密を目撃したジムとウィルを魔術団に誘い込もうとする。間一髪のところで彼らを助けたのは、臆病で安全な道だけ選びながら人生をやり過ごしてきた、ウィルの年老いた父、チャールズだった。
閉じた日常から抜けだして、ひとつの行動に賭けてみよう。恍惚と不安のない人生なんて意味がない、と寺山修司さんは『家出のすすめ』で背中を押す。ひとは年を重ねるとともに、いろんな可能性を失っていくんじゃないか、と鷲田清一さんは『じぶん・この不思議な存在』で問いかける。わかりやすいっていうのは安全かもしれないけれど、きっと死ぬほど退屈なはずだ。存在が不可解、意味が不確定なゆえに魅かれるのだ。そう、だからこそ、僕らは未知に向かっていくべきなんだ。
三人が安堵したのもつかの間、ふたたび刺青男が魔女とともにやってきた。連れ去られたジムとウィルを探して、父はカーニバルへ向かう。鏡の迷路に映る老いさらばえた自分の幻影に囚われそうになるも、ウィルの「どんなパパでも好きだ」という精一杯の呼びかけに救われる。すべてを受け入れたチャールズの大きな声で、鏡は隕石のように落下して砕けた。そもそも鏡は、自分だけに視線を向けさせる危険な装置だ。鷲田さんが教えてくれる。いくら鏡をのぞき込んでも、デフォルメされた「わたし」しか見えてこない。「わたし」とは、他者の他者としてはじめて確認されるものなのだ。
青森港の鉄道引き込み線を走る寺山修司。撮影:菅野喜勝 TOWN MOOK『寺山修司と演劇実験室◎天井桟敷』(徳間書店)p1より
どっちを選ぶか迷う自由
チャールズが三日月を刻んだ弾丸で、魔女は死んだ。回転木馬のうえで干からびた老人のクガーは、パピルスの紙片となって消え去った。逆に、幼くなったダークは、父、チャールズに抱きしめられ、刺青のない素肌の少年に戻って死んだ。それでもジムは回転木馬の誘惑を断ち切れず、回る台に立つ。ブラッドベリによると、人間は神と悪魔が混ざってできているらしい。ジムもダークも暗い自分の分身なんだ。気づいたウィルの必死の抵抗によってジムは地面に放り出されるが、死んだかのように動かない。泣き続けるウィルに向かって父は叫んだ「大声で笑え!」。一発の微笑が魔女を殺したのだ。どんなに辛くても泣いてばかりじゃだめだ。寺山さんの言うように、笑ってすまされない状況を笑い飛ばすことこそが、現実を変革する力を生みだすんだ。
三人は怖ろしい体験をしてもなお、暗黒のカーニバルの魅惑を捨て切れなかった。しかし一度、回転木馬に乗れば、次は友だちを誘いたくなり、しまいには興行主になって時空を彷徨いつづけることになるだろう。意を決してチャールズは、回転木馬を叩き潰した。彼らは自分だけの時間を生きるのではなく、他者にとって意味ある他者として生きていくことの大事さに気づいたのだ。
街の時計が12時の鐘を打ち、少年たちは駆けだした。月明かりの下、二人の背中を追って中年男のチャールズも走りだす。僕らは、どっちを選ぶか迷う自由と、意のままに行動できる自由を合わせもっている。そうだよね、寺山さん。遅すぎることなんてない。本を開けば、青い半ズボンの「僕」は、いつでも向こうからやってくる。
参考:ブラッドベリの少年時代と小説作法、想像力の秘密について、『ブラッドベリがやってくる 小説の愉快』『ブラッドベリはどこへゆく未来の回廊』『ブラッドベリ、自作を語る』(いずれも晶文社)に詳しく書かれている。未来の回廊、穴蔵の本屋、深夜営業のレコード店、お化け映画館などが並んだ、迷子になれるショッピングモール構想も愉快で痛快だ。
左:『ブラッドベリがやってくる』中:『ブラッドベリはどこへゆく』右:『ブラッドベリ、自作を語る』(すべて晶文社)
ちなみに、スピルバーグはブラッドベリを「マイ・パパ」と敬愛を込めて呼び、キングは「レイ・ブラッドベリなくしてスティーブン・キングは存在しない」と言い切り、その偉大さを讃えている。
千夜千冊:
【多読ジム Season03・夏】
左:『じぶん・この不思議な存在』鷲田清一/講談社現代新書
真ん中:『家出のすすめ』寺山修司/角川文庫
右:『何かが道をやってくる』レイ・ブラッドベリ/創元推理文庫
『家出のすすめ』 ┐
├─『何かが道をやってくる』
『じぶん・この不思議な存在』┘
渡會眞澄
編集的先達:松本健一。ロックとライブを愛し、バイクに跨ったノマディストが行き着いた沖縄。そこからギターを三線に持ち替え、カーネギーで演奏するほどの稽古三昧の日々。知と方法を携え、国の行く末を憂う熱き師範。番匠、連雀もつとめた。
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