【三冊筋プレス】探して求めて深まる謎、ウイルスも「鍵穴」(小濱有紀子)

2021/02/21(日)10:17
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  「探求型読書」は、新書に効果的な読書術だと思っている人は、騙されたと思って、ぜひ小説で試してみていただきたい。苦手なジャンルがある人、あまり好みじゃない作家がいる人はもちろん、むしろ本が大好きな人、読書に自信がある人、つい何度も同じ本を読んでしまうような人にこそ、おすすめだ。驚くほど新しい発見をもたらしてくれる。


 おっと、肝心の「探求型読書」がどんな読書法なのかって? まあまあ、焦らずに。

 「探求型読書」とは、物事を深く思考したり、自分なりの考えを組み立てたり、問題を追求したりを、「し続ける」ための手段としての読書のこと。自分の思考を縦横無尽に展開させることを目的に本を活用すること、「本を読む」ことをのものより、「本を手掛かりにして考える」ためのメソッドである。
 そのためには、手に取った本の内容を完璧に理解することよりも、自分なりの思い切った仮説を立てることを優先する。著者の思考モデルを踏み台にして、あなた自身が持っている問題意識を深めていくことを重視しているからだ。
 そこで、2つの方法が提案される。
 ひとつは、著者の思考モデルを詳細に分析していくこと。他者の思考をトレースする作業を通じて、自身の思考を深めていく方法。もうひとつは、いったんは著者の思考モデルを参考にしながらも、それを自身の問題意識に引き寄せ、独自の施策を展開していく方法である。


 さっそくこの読み方で、2つの本を読んでみよう。

 まずは小説、『χの悲劇』。作者は森博嗣。

 本作は、「本格ミステリィの破壊」を狙う<Gシリーズ>10作目にして、後期三部作の第一部。前作にて、これまで他のシリーズでお馴染みだった面々が突如として総出演していた理由が、少しずつ開示される。その「伏せ」ているところを開いていくと、クイーンの『xの悲劇』へのオマージュ、本歌取り作品であることがわかってくるという趣向である。
 主人公は、凄腕プログラマの島田文子。かつて、人知を超えた天才にして殺人者である、真賀田四季の研究所で働いていたが、すでにバリバリの現役は退き、香港に移住して、悠々自適な生活を送っている…はずだった。だが、宿泊先のホテルに出現した<χ>と書かれたカードをきっかけに、島田は、再び四季の影に呑み込まれていくことになる。
 リアルなのにバーチャルな街・香港を舞台に、「どこでもない」バーチャルな電脳世界で繰り広げられる、「どこかにある」生身の殺人と心理戦が、「この悲劇は、果たして本当に悲劇なのか?」と問いかけていく。
 もしかしたら、それすらもすべてまやかし。四季の呪縛から逃れたと思っていたのは島田だけで、すべては四季の手のひらの上で転がされていただけだったのかもしれない。
 電車内での殺人や特殊や凶器、被害者が残したダイイング・メッセージといった道具仕立ても、まさに『xの悲劇』だが、それよりもむしろ注目すべきは、さまざまな「時代遅れ」をキーに繰り広げられる追跡と謎解き合戦、そこに通底する「名探偵」の宿命だ。仕掛けられる変装となりすまし、スクリプトとストーリー。それは、クイーンが描く過去においても、森が描く未来においても、まったく変わらない。

 「生」とは? 「思想」とは? それらを宿す「肉体」とは? そもそも「肉体」が有機生命体であることに、どんな意味があるのだろうか?


 「生命体」に思いが及んだところで、ますます探求的に重ね読みすべく、2冊目は、武村政春『ヒトがいまあるのはウイルスのおかげ!―役に立つウイルス・かわいいウイルス・創造主のウイルス』。

 ダーウィンの進化論になぞらえて、「ウイルス進化論」を考えてみるのが、本書の特徴である。「ウイルスのままで進化したもの」もいれば、「もともとは(いまの定義による)生物だったのに、ミニマリストになってウイルスへと進化したもの」もいる。その末裔が、ウイルスとしてわたしたちの目の前に存在していると捉えてみると、遺伝系統はまったく異なるが、ウイルスが生物に感染することで、遺伝子は絡み合うように往き来して、生物進化の原動力になってきた、と考えることもできるのではないか、と本書は問いかける。
 つまり、ある切り口から見ると、いま、地球上に存在している生物はすべて「ウイルスにとって都合のいい生き物」であり、「ウイルスのお眼鏡にかなった集団」であるのだ。「ウイルスと共存共栄している」のが本来の宿主であるなら、あるウイルスから生物に遺伝子が移動したり、反対にある生物からウイルスに遺伝子が移動したり、ウイルスが異なる生物種のあいだを渡り歩くうち、遺伝子を運んだと推察される。
 この翻訳用遺伝子までもっているようなウイルスは、どう位置付ければいいのか、従来の考え方では整合性がなくなっている。生物とウイルスの境目を決めておくこと自体、発見された現実にそぐわなくなっている。ナメたり油断したりしてはいけないけれど、ウイルスを排除しようなんてことはできない。もしかしたら、ウイルスは単なる病原体ではなくて、生物進化の立役者だったのではないかーーそんな可能性すら高まっている存在なのだ。ウイルスが増殖できるかどうかは偶然だが、その偶然を、さほどの主体性なく、きわめて受け身に勝ち抜いてきたウイルスは、実はものすごい強運で且つ、合理的な生物…否、物質なのかもしれない。

 この「鍵と鍵穴」的関係は、ウイルスを主体で考えると、細胞という有機生命体のみならず、コンピュータも宿主になりえる。さらに生命から思想の奥に探究してみると、探求する探偵と謎だって「鍵と鍵穴」だ。

 


 「探求型読書」では、こうして自分の思考を立ち上げる契機として本の存在を意味づけているが、慣れ親しんだものの見方に、自分の意識だけで揺さぶりをかけていくのは簡単なことではない。だが、本、特に目次を活用し、自分の思考にバリエーションをもたらす目的で著者の視点を借りてみれば、まったく違って見える情報を重ねることで、新たな気づきを得ることができる。
 自分のものとは明らかに異なる視点を取り入れて対象を観察したり、これまでにない斬新な思考を立ち上げるためには、強力な「きっかけ」や「支え」が必要である。その「きっかけ」や「支え」が本であるのなら、それは思考を宿すに等しい。もはや有機的であるか否かといったことは関係なく、本は思考の生命線、「命」そのものなのである。

 


  「その……、命とは何ですか?」島田は尋ねた。
  「そう。そのとおりです。その問いが、すなわち命なの」

 

 

Info


⊕アイキャッチ画像⊕
∈森博嗣『χの悲劇』(講談社文庫)
∈編集工学研究所『探究型読書』(クロスメディア・パブリッシング(インプレス)) 
∈武村政春『ヒトがいまあるのはウイルスのおかげ! ―役に立つウイルス・かわいいウイルス・創造主のウイルス』(さくら舎)

⊕多読ジム Season04・秋⊕
∈選本テーマ:2020年の3冊
∈スタジオ栞(丸洋子冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):二点分岐

          ┌────『χの悲劇』
 『探究型読書』──┤
          └────『ヒトがいまあるのはウイルスのおかげ!』

⊕著者プロフィール⊕
∈森博嗣
1957年、愛知県に生まれる。名古屋大学工学部建築学科卒業。同大学大学院の修士課程修了後に三重大学工学部の助手として勤務、1989年より名古屋大学の助教授となる。専門は『粘塑性体の流動解析手法』。1990年、「フレッシュコンクリートの流動解析法に関する研究」で名古屋大学から工学博士を取得した。大学勤務をしていた30代の頃、ふと「子どもの頃からの夢の実現」を思いつく。それは、自宅の庭に大人も乗れるくらいのミニチュア鉄道を敷設して運転することであった。ただ、その実現に向けてはかなりの資金がいる。この資金調達のために夜でもできるバイトはないかと考え、小説の執筆を思いつく。1995年の夏休みに処女作 『冷たい密室と博士たち』を約1週間で書き上げる。その作品は編集者の判断でシリーズ第2作めとなり、本来4作めであった 『すべてがFになる』で、1996年4月デビュー。購入した敷地に5インチゲージの庭園鉄道「欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線」を開業(2010年5月で廃線)。その後、転居先(詳細不明)で「梵天坂線」を開業。作家年収が億単位になったことから、2005年に大学は退職。作家業もほぼ引退して(セミリタイア)、「海外のどこか涼しい国」で、夢の完成に向けて「人生でいちばん楽しい日々を過ごしている」。

 

∈編集工学研究所
企業の人材組織開発、理念ビジョン策定、書棚空間のプロデュースなど、個と組織の課題解決や新たな価値創出を「編集工学」を用いて支援している。所長・松岡正剛が情報編集の技法として提唱した「編集工学」は、オンライン・スクール「イシス編集学校」で、そのメソッドを学ぶことができる。「生命に学ぶ・歴史を展く・文化と遊ぶ」が、1987年創設以来の仕事の作法である。


∈武村政春
1969年、三重県に生まれる。1992年、三重大学生物資源学部生物資源学科卒業 。1998年、名古屋大学医学研究科修了。医学博士。名古屋大学助手を経て、東京理科大学理学部第一部教授。専門は巨大ウイルス学、生物教育学、分子生物学、細胞進化学。2015年に東アジア初の巨大ウイルス「トーキョーウイルス」を発見した。

  • 小濱有紀子

    編集的先達:倉橋由美子。古今東西の物語を読破し、数式にすることができる異才。国文学を専攻し、くずし字も読みこなす職能。自らドラムを打ち鳴らし、年間50本超のライブ追っかけを続ける情熱。多彩で独自の編集道を走る、物語講座・創師。

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