どこか遠くへ行きたい。この思いは、いつの頃からかずっと私の心の中にある。街に溢れる広告を見ても、新聞を読んでも、人と話をしていても、いつも未知の行き先を探している。
でも今は、とてもパリに行きたい。読み終わったばかりの、本の起点へ行きたい。そこは、私が生活の場を移し20年余を過ごした都市でもある。
パリの5区、シテ島の南東、セーヌ左岸に広がる植物園。私はそこで四季の花々を楽しみ、薬草園を散策し、鉄とガラスの大温室でドゥアニエ・ルソーの痕跡を探し、裏手にあるモスクのカフェで、足を休めた。ミントティーと初めて食べたアラブの甘いお菓子は、ヘレニズムの味がした。
その植物園の一画に、自然史博物館はある。SFの父ジュール・ヴェルヌがたびたび訪れ、19世紀当時の最新の科学知識と出会い、ネモ船長という数奇な天才を生み出した。『海底二万里』の語り手、謎の潜水艇に囚われの身となり、10ヶ月を冒険と研究に過ごしたアロナクス教授は、この博物館で教鞭をとっていたことになっている。
○深海
ネモと名乗る男。「ネモ」は「誰でもない」を意味するラテン語。国籍不明、年齢不詳、博識で勇敢。海をこよなく愛するこの人は、自ら人類と縁を切った復讐者だ。「動中の動」の紋章が示す行動の人でもあり、才能と財をつぎ込み、最新の科学技術を用いて建造した潜水艇ノーチラス号で、復讐の相手を追跡し徹底攻撃をかける。アロナクスは、その悲惨な戦闘の様子に恐れをなし、嵐の日に潜水艇を脱出してしまったので、ネモの出自や復讐の相手については明かされていない。ただ、ミステリアスな船長の行動から、彼が虐げられた民族の側に立つ、正義感溢れる人物であることがわかる。そして、欧米列強国の産業革命や植民地政策の犠牲者であることも、この物語の時代設定が、日本の大政奉還の時期に当たることから想像できる。
のちに出版される『神秘の島』の情報も添えておきたい。彼は、インドの自由と殺された妻子の報復のために、イギリス軍と闘っていたのだった。最期を迎えた船長は、美術品や文学作品などのコレクションとともに、ノーチラス号を棺として、海の奥深くに沈む。「海は動きと愛に他なりません。そこならば、私は自由になれるんです」。海への愛を問われたネモがアロナクスに語った言葉だ。齷齪とした地上の生活に愛想をつかしていながら、自分の負の感情を抑えることのできなかった人間ネモの欝積した思いもまた、海によって引き受けられる。全ては無に還り、ネモの正義を貫く意思だけが、彼を知る人たちによって引き継がれた。
海と比べると、人間はなんと卑小な存在であることか。海は死と再生を無限に繰りす。深海に沈む古代の遺跡や漂流船の宝箱を住処に、新しい生命は誕生する。
○水の星
ミシュレは19世紀のフランスの歴史学者だ。国営古文書館で、歴史部長として働き『ローマ史』や『フランス史』などの歴史書を書いた。『鳥』『虫』『愛』『女』『山』など、抽象的なタイトルを据え、一般的な概念に彼の知識の全てを詰め込んだ本も多数執筆した。1861年出版の『海』もその中の一冊だ。
科学にも関心があったミシュレもまた、知識を求めてパリ植物園や科学アカデミーで科学者たちとの交流を重ねる。彼はラマルクやダーウィンの進化論を支持し、晩年に失明したラマルクを「盲目のホメーロス」と呼び「生物変容の精霊」と喩えた。
『海』の巻末に添えられた覚書によると、ミシュレは、地球を動物としてとらえてる。磁力を「心臓」、対流する海を「血」と表現する。帯電し青白い光を放つ敏感な海の存在によって、地球は活動を続け、生命は誕生し育まれる。海のさまざまな運動の規則性と、嵐に代表される不規則性が、生物の進化に寄与する。海は循環と再生産の生命維持のシステムなのだ。
19世紀の科学の進歩のおかげで、人間は両極の海にまで進出し、生態系を脅かすようになった。これに対してミシュレは警鐘を鳴らす。「個々のものは糧としても、種は保存したいものだ」なぜなら、この資源の宝庫、物流の広大な道は、現代人の生命力を蘇生させる力も持っているから。そしてその力は、地球を健全に維持し、調和をもたらすためのものでもあるのだからと。
水が魚なのか、魚が水なのか、初めて魚に触れた幼い頃の感覚について書くミシュレの文体を、訳者加賀野井秀一は「幻視によるメタモルフォーズ」だととらえる。皮膚感覚から見えてきた「幻視」を、ミシュレは巧みに言語化した。海に関するあらゆる知識を詰め込んだこの本そのものが、寄せては返し、そのたびに振幅を増す波の動きを構成する。
ミシュレが描き出したものは、地球という生命体、水の惑星そのものだった。
○内なる海
命の源である海を離れ、陸上での生活を選んだ時、ヒトは体毛を纏った。防御機能を強化するためだと言われている。しかしのちに、ヒトはその体毛をなくす方向に進化する。
『第三の脳』の著者、傳田光洋は、大学で工学を修めたのち、化粧品メーカーの研究員となる。皮膚そのものの役割や、かゆみのメカニズム、乾燥やストレスの肌への影響や、皮膚感覚について、幾通りもの仮説を立て、実験と類推を重ねる。そして皮膚は光や色を認識し、音を聞き、味わい、香りに反応していること、その情報は電気信号で伝わり、意識するより早く、体の各部位に反応を起こさせていることを確認する。これらが示していることは、表皮は脳と同じ感覚器であり、情報処理能力があるということだ。著者は言う。皮膚が感じている世界から、ヒトは逃れられない。
体毛を失った頃、皮膚感覚が多様な機能を持つようになった。時を同じくして、脳が大きくなる。表皮からもたらされる情報を処理するためである。重要な情報が、記憶として脳に保存できるようになった。
著者は想像をたくましくする。大きな脳を持つことで、ヒトは、自分がいる時空間とは無関係な領域を、脳内に作り出すことができた。自我が生まれた。過去から学び、未来を想像することが可能となった。自由な時間の流れとシミュレーションが行える仮想空間を手に入れたのだ。
ヒトは外界に表皮を曝したことで、海の果ては愚か、宇宙の高みにまで心を開くことができるようになった。科学も芸術も文学も、ヒトによって創造されたものは全て、自分の体を離れて考えることができるようになったからこそ、もたらされたものであろう。
身体を包む薄い膜のおかげで、体内の「海」は守られ、ヒトは意思を持って活動することができるようになった。
私をパリへ駆り立てた衝動は、きっとコロナによって行動を抑圧されたことによる反動とこれら三冊の読書の副産物だ。明日は別の本を開いて、別の海を目指していることだろう。
どこか遠くへ行きたい、未だ見ぬ土地へ行ってみたいという渇望は、一体どこから来るのか。豊かな土地、安全な場所を求めて祖先が行ったグレートジャーニーの記憶なのだという考えは、壮大すぎて私には似合わない。滋養に満ちた水への回帰を求める、内なる「海」の囁きなのだ、とか、脳内の仮想空間に「ここ」以外の土地のイメージを作り上げ「むこう」へ行くことをそそのかす、表皮からのサインなのだと考えると楽しい。もしそうなら、今から踏み出すこの一歩は、私の無意識に働きかけてくる何かを探しに行くためのものだ。新しい自分を見つけるための前進だ。
さあ、次は何を読んで、どこへ行こうか。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』上下(新潮文庫)
∈ミシュレ『海』(藤原書店)
∈傳田光洋『第三の脳』(朝日出版社)
⊕多読ジム Season06・春⊕
∈選本テーマ:旅する三冊
∈スタジオ茶々々(松井路代冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結
『海底二万里』→『海』→『第三の脳』
田中泰子
編集的先達:ブルース・チャトウィン。29破を突破後も物語講座、風韻講座、そして多読ジムを開講と同時に連続受講中。遊読ナチュラリストである。現在は健康にいい家庭料理愛好家として、アレンジシフォンケーキを編集中。
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