迷える中年ダンテ。
裏切り者のお金持ち、嘘つきの宗教者、
みんな揃って地獄落ち。
「過去千年間の世界文学の最高傑作」とも評される大著を、阿刀田高の『やさしいダンテ〈神曲〉』は、キリスト教に馴染みのない一介の日本人にも共感し得る言葉でユーモラスに解説した。表紙にはカリカチュア化された人間と地獄の棲息物が踊り、思わずくっすんである。
中世の哲人ダンテ・アリギエーリ(1265〜1321年)が著した『神曲』は、彼自身が主人公となり思索の旅に出る物語だ。人生に迷える35歳、初めは暗い森に迷い込む。そこでいまは亡き初恋の女性ベアトリーチェの遣わした、古代ローマの詩人ウェルギリウスに出会う。彼の案内で地獄の門をくぐり分け入ると、そこには9層に分かれる漏斗状の世界があった。生前に罪を犯した人々が罰としての責め苦を受ける。その様相は、底へ向かうにつれ過酷さを増していた。
ダンテは地獄の底まで到達し、天地逆転の仕掛けによって脱出すると、こんどは罪を浄める煉獄へ、そしてついにはベアトリーチェに再会して天国を昇りつめ、魂を浄化されて元の世界へ戻る。この三界をめぐる旅は、神が創造したに違いない多彩でダイナミックな審判・懲罰・浄化・祝祭機能により、さしずめハイパーミュージアムに迷い込み、バーチャル・リアリティを体験するかのように展開していく。
『神曲』は、その完璧に調律された三行詩の形態、当時のイタリアと古代ローマを重ね、ローマ建国の英雄アエネイアスの冒険譚に擬えた叙事詩的性格、旧約聖書のヒーローや古代の哲人から歴代ローマ教皇、王、政治家らを自在に裁いて三界に配置するとともに、神話に由来する象徴的な偶像や怪獣を効果的に使って雰囲気を盛り上げる寓意に満ちた設営方針など、多層的・複合的な魅力を放ち、後世の多くの物語のワールドモデルとなった。
ダンテは敬虔なキリスト教徒であり、古代ローマを愛するイタリア人だった。彼が歴史上の人物や知人らを三界にマッピングするにあたっては、その価値観が存分に発揮されている。まずもって、ホメーロスら古代の偉大な詩人ですら、地獄の入口付近に住まわせる。理由はキリスト教の洗礼を受けていないからだ(イエス・キリスト誕生前だから当然なのに)。
続いて、肉欲、大食らい、吝嗇、浪費、暴力、自殺、男色、偽善、高利貸しといった罪を犯した人物が配置される。政治家でもあったダンテは政争により失脚し、故郷フィレンツェを追放されているが、彼をそんな目に遭わせた政敵や教皇たちはもちろん地獄に堕とされている。だいたいにおいて「目には目を、歯に歯を」的に罪と罰は呼応する。因果応報は万国共通。だが、宿敵イスラム教の祖マホメットがいるのは第8層と、その罪は相当に重い。
最下層にいるのはイエス・キリストを裏切ったユダ、そしてシーザー暗殺の首謀者ブルータスとカッシウスだ。ダンテの目盛りはあまりにも、わかりやすい。
しかし、ダンテに人を裁く権利などなかったはずである。キリスト教の教えに「人を裁いてはならない」とあるが、彼は堂々とこれを行なった。政治家としてのマニフェストを貫いたともいえるが、個人的な制裁だったともみなせる。このジコチュー度は只者ではない。ただ、その哲人としてのフィルターを断然に駆使し、百科全書のように歴史的事物・人名を散りばめて、美しい100の歌に綴ったその文化的・思想的価値がゆえに、後代まで読み継がれる偉大な作品であり得た。
同じ匂いをぷんぷんさせるのが、町田康の『実録・外道の条件』だ。舞台は著者自身の日常に移る。売れない下層エンターテイナーである主人公が、金にセコく、やるべきことをやらない、非常識で、自分では考えない編集者やギョーカイ人たちの振る舞いに、ジリジリと葛藤する。自己のモノサシのなかでぐるぐる・ねちねちと彼らの所業を言葉にしていくうちに、やがてその正体が見えた。彼らは堕落した「外道」だったのだ。もう笑いは止まらない。怒りや苛立ち、唖然に呆然、怨みも情念も、外道たちの妄執に吸い取られていく。結果、エスプリの利いたファンタスティックな物語に仕立てられた。
『神曲』の原題は「Divina Commedia」。Commediaとはコメディ、喜劇である。最後は天国に昇るハッピーエンドなのでそう分類されるが、実のところは全くもってシリアスである。特に地獄篇における罰の描写の数々はそれなりに凄惨で、字間から痛みが押し寄せる。にもかかわらず、なぜか「笑い」を誘うエッセンスにあふれていると感じる。
ベルクソンは「笑い」について、1)本来的に人間的なものに生まれる、2)可笑しさは無関心・無感動な状態から生まれ、情動は笑いの大敵である、3)可笑しさは純粋知性に訴えかけ、他の知性の反響を必要とする、と書いている。
ダンテの怒りのフィルターが作動しまくった復讐劇も、彼はいっさいの情動を知性に換えて形式と物語に託した。マーチダは、「無数の外道がおめき声を上げつつ吶喊してきた」ので、追い詰められて3年間洞窟にこもって実録を書いたという。
両者は、地獄の沙汰を「笑い」に読み替えたのだ。それこそが、ダンテが、人間が人間らしく回帰していくルネッサンスの先駆けとみなされ、現代のマーチダが愛される理由とは言えまいか。現代のわれわれの日常にもいつでも起こりうる「地獄」モデルは、「笑い」の本質につながっているのだ。
心なしか可笑しみを誘う中世の悪魔像。当時の人々は真剣にこのような世界を恐れていたというが、デフォルメされたなかに笑いに作用するエッセンスが感じられる。(Inferno XXXIII,133 Hans Memling, Divina Commedia I, p534)
わが家の地獄(?)を見守る玄関のダンテさま
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
『神曲』ダンテ・アリギエーリ/河出書房新社(中央)より地獄篇
『やさしいダンテ〈神曲〉』阿刀田高/角川文庫(右)
『実録・外道の条件』町田康/角川文庫(左)
⊕多読ジム Season07・夏⊕
⊕参考文献・参照千夜千冊⊕
山口イズミ
編集的先達:イタロ・カルヴィーノ。冬のカミーノ・デ・サンティアゴ900kmを独歩した経験を持ち、「上から目線」と言われようが、feel溢れる我が道を行き、言うべきことははっきり言うのがイズミ流。14[離]でも稽古に爆進。典離を受賞。
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