白洲正子もチャペックもウィリアム・モリスもメーテルリンクもみんなボタニストの編集的先達だ。<多読ジム>Season08・秋、三冊筋エッセイのテーマは「ボタニカルな三冊」。今季のライターチームはほぼほぼオール冊師の布陣をしく。日本フェチの福澤美穂子(スタジオ彡ふらここ)、軽井沢というトポスにゾッコンの中原洋子(スタジオNOTES)、編集かあさんでおなじみ松井路代(スタジオ茶々々)、ついに三冊筋デビューを果たした増岡麻子(スタジオこんれん)の四名の冊師たち。そこに、多読ジムSPコースとスタンダードコースを同時受講しながら読創文と三冊筋の両方を見事に書き切った”熱読派”の戸田由香と、代将・金宗代連なって、ボタニカル・リーディングに臨む。
朝夕、風に乗って山からおりてくる白い霧、天高く聳える櫟や樅の木では啄木鳥がドラムを鳴らし、栗鼠が団栗をせっせと運ぶ。林の中に敷かれた深緑のビロードのような杉苔の絨毯。野生のキツネやニホンカモシカ、雉の親子が別荘地の庭づたいに移動する。
軽井沢に住み、その風に吹かれていると、自分が自然の一部であることに気づかされる。東京や大阪などの都会は、自然をねじ伏せてきたが、軽井沢では自然が主役だ。特に樹木の存在は大きい。人間や動物はその恩恵に与りつつ、共に生きているのだ。
◆日本であって日本でない町
軽井沢という土地は数奇な運命を持つ。江戸時代の宿場町が明治維新で急激に寂れ、そこにやってきた外国人によって新たな生命を吹き込まれた町なのである。明治19年(1886)英国大使館付きの牧師、A・C・ショーが祖国のスコットランドに似た気候であることから、軽井沢を気に入ったのが始まりだ。軽井沢のもつ気候風土を“hospital without roof”(屋根のない病院)と呼び、──天然のサナトリウム(療養所)だといって賞賛した。蒸し暑い日本の夏に困り果てていた欧米人は、つぶれかかった旅籠を安く譲り受け、別荘を建てた。「避暑地軽井沢」の誕生である。
当時の写真を見ると、通りには英語の看板が立ち並び、大勢の外国人たちが行き交っている。日本人の姿はほとんどない。そこは日本であって日本ではない場所、KARUIZAWAであった。キリスト教の宣教師たちはレタスやキャベツなど西洋野菜の育て方、パンの焼き方、ジャムやバター、チーズの作り方を人々に教えた。住民たちは熱心に学んだ。農村伝道といわれているが、宣教師たちが求めたのは異国にいながら、故郷のような暮らしができる町であったことも知っておくべきことである。
大正時代になると、外国人に混ざり、日本人の姿が目立つようになる。皇族をはじめ、貴族やブルジョア階級が競うように軽井沢に別荘を建て始めた。サガンやボーヴォワールの翻訳で知られる朝吹登水子のエッセイ、『私の軽井沢物語』には、著者の記憶にある大正末期から戦争を経て、再び平和が戻るまでの軽井沢が綴られている。
「別荘族」と呼ばれた彼らは日々英語で会話し、木陰にテーブルを出し、お茶とクッキーをつまんだり、テニスをして社交を楽しんだ。特権階級に生まれついた人々は、えてしてひ弱な温室育ちのように思われがちであるが、実際はリベラルな考えを持っていた人が多い。彼らの多くは海外に留学経験を持ち、英語や仏語に長け時勢を見極める目を持っていた。日本人でありながら彼らは異邦人でもあった。軽井沢はそんな異邦人たちにとっては居心地の良い場所であったのだ。
(木陰のティーパーティー『私の軽井沢物語』より)
◆子ども部屋の風
英国のケンブリッジのほど近く、S・ワーデンで下宿屋を営むウェスト夫人は、アメリカ人のクエーカー教徒であり、国籍や人種の壁を越えた多様な人々を受け入れるまれにみる豊かな人間性の持ち主である。
『春になったら苺を摘みに』は、著者の梨木果歩が英国に留学していた頃の暮らしぶりや再訪したときのことを綴ったエッセイ集だ。特に下宿先の女主人・ウェスト夫人との交流が中心に描かれている。梨木はこのウェスト夫人を通じて何人もの異邦人と出会う。
梨木自身も常に旅人であり、異邦人だ。しかし、時としてヒースに覆われた荒涼とした風景の中を流れる風に懐かしさを感じる。「子ども部屋」に通じる風、その風が吹いているところは、どこでも懐かしい故郷なのだと梨木は語る。「子ども部屋」を感じられなければ、たとえ日本にいてもそこは異国だった。異邦人であるか否かは、生を受けた土地にいるかどうかを問わない。この異邦人としての意識が梨木を軽やかに異国に旅立たせるのである。
◆ボタニカルな人々
「理解はできないが、受け入れる」、ウェスト夫人は、頑固なまでにその生き方を貫き通す。夫人自身もアメリカ生まれの異邦人である。移り住んだ英国の地に根を張り、そこから動かず生きることを選んだ。肌の色も考え方の違いも気にせず、下宿人として受け入れる。近所の嫌われ者も見捨てることができない。信仰心が篤く、人情味溢れるウェスト夫人は、面倒だと分かっていながら面倒ごとを引き受けてしまうのだ。時によっては不快な思いをしたり、傷ついたりする。それでも、ウェスト夫人は自分のやり方を変えることはしない。母なる大地は全てを受容するのだ。
ウェスト夫人の下宿を訪れる異邦人たちは、遠くから風に乗って運ばれてきた種子である。ウェスト夫人は種たちに水をやり育む。彼らがその土地でどのように根を張っていくか見守り、或いはそこからまたどこかへ流れて行くのであれば、受容し送り出す。その姿はあたかも英国のガーデナーを彷彿とさせる。彼らもまた自然のままの植物や花を楽しむ人たちだ。
◆架け橋となる種子たち
植物は大地に根を張り動かないことを選択した生物である。薬用植物学者の斉藤和季は、自著の『植物はなぜ薬を作るのか』の中で「植物は太古の昔から現代にいたるまで、光合成に依拠し、地球を決して汚さず、環境浄化をしながらエネルギーや燃料、工業原料や食料・薬となる有用物質の生産や二酸化炭素の循環に貢献してきた」と、語る。
植物は置かれたところから動くことなく、独自の化学的な防御物質をつくるよう進化した。進化の過程で突然変異を獲得した個体が長い時間をかけて集団の中に広がったのである。見事なまでに自立した植物。鳥や風に乗って運ばれる先で、彼らの子孫はその土地に適応すべく自らを変化させ、その土地の生態系の循環に寄与する。
異邦人たちも行きついた先で何らかの進化に寄与している。明治時代の宣教師は、軽井沢にレタスやキャベツといった霧下野菜を産み出すための母体を作った。日本が生きづらく感じた朝吹登水子はフランスに渡り、日本とフランスの架け橋となった。梨木果歩は、日本で異国の香りのするボタニカルな小説を書きつつ、その執筆のために今でもあちこち旅をしている。彼らは異国、異世界を渡り歩きながら異なる価値を交換する。
異邦人であることは、ネットワーカーとなり世界を結び、トピカをその地から取り出す使命を持っているのかもしれない。世界は一つではない。世界は同時に幾つもあるのだ。「子ども部屋」に通じる風が吹くところ、そこはいつだって緑なす心の故郷であり、トポスなのである。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
書名:『私の軽井沢物語―霧の中の時を求めて―』朝吹登水子/文化出版局
書名:『春になったら苺を摘みに』梨木果歩/新潮文庫
書名:『植物はなぜ薬を作るのか』斉藤和季/文春新書
⊕多読ジム Season08・秋⊕
∈選本テーマ:ボタニカルな三冊
∈スタジオしゅしゅ(田中むつみ冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):一種合成
『私の軽井沢物語』 ──┐
├→─→『植物はなぜ薬を作るのか』
『春になったら苺を摘みに』 ──┘
中原洋子
編集的先達:ルイ・アームストロング。リアルでの編集ワークショップや企業研修もその美声で軽やかにこなす軽井沢在住のジャズシンガー。渋谷のビストロで週一で占星術師をやっていたという経歴をもつ。次なる野望は『声に出して歌いたい日本文学』のジャズ歌い。
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