【三冊筋プレス】木があるところ(福澤美穂子)

2022/01/21(金)09:23
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白洲正子もチャペックもウィリアム・モリスもメーテルリンクもみんなボタニストの編集的先達だ。<多読ジム>Season08・秋、三冊筋エッセイのテーマは「ボタニカルな三冊」。今季のライターチームはほぼほぼオール冊師の布陣をしく。日本フェチの福澤美穂子(スタジオ彡ふらここ)、軽井沢というトポスにゾッコンの中原洋子(スタジオNOTES)、編集かあさんでおなじみ松井路代(スタジオ茶々々)、ついに三冊筋デビューを果たした増岡麻子(スタジオこんれん)の四名の冊師たち。そこに、多読ジムSPコースとスタンダードコースを同時受講しながら読創文と三冊筋の両方を見事に書き切った熱読派の戸田由香と、代将・金宗代連なって、ボタニカル・リーディングに臨む。


 

 しんとした静寂。枝葉を揺るがす風の音。急な登りがきつかったせいか、せわしなく息をつくのは五十過ぎの男だ。樹齢千二百年余りの大きな杉に手を触れて、温もりを感じている。根元から上へ、梢から枝先へ、飽きることなく木を見つめる。気づくと1時間近く経過。立ち止まらされている、というほうが正確なのだそうだ。
 その男とは、ナチュラリスト永瀬嘉平である。毎日新聞社に勤めながら自然の中を歩き『瀧』『滝から滝へ』『百木巡礼』などの写真集を出した。『神の木と会う』では、大木の堂々とした姿に、永瀬の文が添えられている。陰影のある写真越しに、畏れと敬意が伝わってくる。頁をめくる手もゆっくりになり、心なしか呼吸が深くなる。木の存在感に、時間を忘れる。
 身動きできないほど、そして毎年のように通ってしまうほどに彼を魅了する木は、奥武蔵の名刹慈光寺の榧の木だ。最初はカメラを取り出すことさえできず、金縛りにあったようだったという。三度目には、仏の姿まで見えた。信仰をもたない永瀬が、樹霊を信じるようになった。
 千年も生き続ける木。日本各地には、そのように立派で生命力のある木がまだまだ息づいている。もっとも近年は、残念なことに環境開発や大気汚染のせいで生命を落とす木も多いようだ。
 永瀬の友人であり、彼の著書『百木巡礼』『瀧』に序文を寄せたのが白洲正子だ。1987年に刊行された白洲の『木』は、もともと雑誌に連載されたエッセイだった。没後、文庫化された。その解説を今度は永瀬が書いている。
 文庫版のカバー写真「楓」は、写真家田淵暁による。右下から左上にかけて幾本もの枝がわたり、赤・黄・緑のもみじの彩りがあでやかだ。本来「もみじ」は動詞で、草木が秋になって紅や黄に変色することをもみつ、もみつるといった。白洲は、詩歌や日本語の成り立ち、神話に伝説、そして木工品を持ち出して身近にある木を紹介する。というよりもむしろ、日本人と木との関わりを通して日本文化論を展開している。それほど日本文化に根付く木々の存在は大きい。植物を知ることで、日本文化の読み解きが変わる。
 なかでも木を使った手仕事の素晴らしさはため息もの。たとえば湯槽、風呂桶、桐箱、唐紙。文章と写真から、うっとりしてしまう。この伝統は、失われてほしくない。
 神霊が宿るほどの大樹に、美しく巧みな工芸品。歴史ある立派な木々を堪能したあとに思い返されたのは、幸田文の『木』だった。著者没後に遺著として出版された木にまつわる15篇のエッセイ集だ。風雪に耐えねじれ曲がった木、ゆがんで材としても使い物にならない木、灰をかぶって生気を欠いた木。もちろんすくすくと育った健康でたくましい木についても綴られているのだが、幸田は不運な木にも目を向け、気に掛ける。その優しさが、磨き抜かれた文章と相まって心に沁みる。
 執筆時期は1971年から1984年の長きに渡る。しかし今もって新鮮さを失わない。神木だけでないふつうの木のありように、人の一生を重ねてみることができるからだろう。
 人間の寿命を軽く超える大樹には圧倒される。霊力すら感じる。でも、これからを生きていく若木にも、人は希望を見出すことができる。そして過酷な目に遭いながら生き続ける木に、人は励まされる。
 コロナ禍で引きこもっていたこの2年、木をほとんど見なかった。本を読んで、無性に木に会いたくなった。近所を歩くと、思いのほかたくさんの木があることに気付いた。背の高い木があるほうへ向かって進むと、ひと気のない小さな神社だった。木があるところにはどこでも、神様が宿るのかもしれない、と思った。

 

Info
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⊕参考千夜⊕
∈893夜『かくれ里』白洲正子
∈44夜『きもの』幸田文

 

⊕アイキャッチ画像⊕
∈永瀬嘉平『神の木と会う』(神無書房)
∈幸田文『木』(新潮文庫)
∈白洲正子『木 なまえ・かたち・たくみ』(平凡社ライブラリー)

 

⊕多読ジム Season08・秋⊕
∈選本テーマ:ボタニカルな三冊
∈スタジオNOTES(中原洋子冊師)
∈3冊の関係性(編集思考素):三間連結

  『神の木と会う』→『木 なまえ・かたち・たくみ』→『木』

 

⊕著者プロフィール⊕
∈幸田文(1904~1990)
東京生まれ。幸田露伴の次女。清酒問屋に嫁ぐが離婚し、娘を連れて晩年の露伴のもとに帰る。露伴の没後、追憶する文章を発表し作家に。『流れる』『きもの』『崩れ』『おとうと』など著書多数。松岡正剛の父と交流があり、千夜千冊には「「気っぷ」のいい、声も笑顔もすばらしいおばさん」と書かれている。

∈白洲正子(1910~1998)
東京生まれ。樺山伯爵家の次女。幼い頃より能を学び、14歳で女性として初めて能舞台に立つ。米国留学後、白洲次郎(1902~1985)と結婚。戦後は小林秀雄、青山二郎と親交を結ぶ。そのために飲めない酒を覚え、三度も胃潰瘍になる。銀座で染色工芸の店を営み、往復4時間の道を毎日通うほどの行動派。青山二郎から「韋駄天お正」と命名された。古典文学、工芸、骨董、自然について随筆を執筆し、『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など著書多数。

∈永瀬嘉平(1940~)
東京生まれ。幼い頃から人と同じことが嫌いで「人に連れられて歩いたことがない」。日本大学法学部新聞学科卒。デザイン会社、出版社を経て、毎日新聞社勤務。「日本の滝100選」選者。

 


  • 福澤美穂子

    編集的先達:石井桃子。夢二の絵から出てきたような柳腰で、謎のメタファーとともにさらっと歯に衣着せぬ発言も言ってのける。常に初心の瑞々しさを失わない少女のような魅力をもち、チャイコフスキーのピアノにも編集にも一途に恋する求道者でもある。