虚ろな衣を纏う日々 ー44[花]問いが展く別様の可能性

2026/01/22(木)18:44 img
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 ついつい寒さにこもりがちになる年明けの三連休。師範代養成コース[花伝所]の44期は、主なカリキュラムである五つの式目演習の山を越え、ラストの敢談儀にむけた準備の期間を迎えている。そんな合間に正月らしいことの一つでもと矢来能楽堂へ『翁』を観に出かけた。其角は「謡は俳諧の源氏」と言ったようだが、初春の舞台に響く謡を聞きつつ、ふと「虚に居て実を行うとはなにか?」と問われたことを想い出した。



■とうとうたらりたらりらたらり

 『翁』は能の中でももっとも神聖視され、主に正月や祝いの場で演ぜられる国家安寧を祈る舞曲。とうとうたらりという呪文のような言葉からはじまる。観阿弥・世阿弥父子が能を大成する以前の古い様態を留めており、「能にして能にあらず」とも言われる特別な演目だ。そんな古の演目ではあるが、もちろんシテ、ワキといった役割は存在する。

 能楽師の安田登氏によれば、ワキとは現代演劇の脇役や、主役に比べれば目立たない出世街道からははずれた日陰者というような現在のマイナスのイメージをもつ者ではない。ワキとは分き、分けるとも語源がつながることから、多くの場合はこの世のものではない、神や鬼など普段は不可視なシテの正体や、その思いを引き出し、「分からせる」役回りであると言う。

 「分からせる」と書いたが、これはワキがシテを諭す役割ではないように、決してなにか問う側が答えをおしつけたり、誘導するものではない。ここでいう問いとは、問われた人の内部からしか発現されてこない、可能性に自覚的になってもらうきっかけだ。

 シテとワキのやり取りは、ワキの問いかけから始まることが多い。編集学校の稽古でまなぶ学衆をシテと捉えれば、その力や想いを引き出す師範代はワキとも言える。故に師範代にとっても「問い」が大切だ。

 

■「虚に居て実をおこなう」とは?


 良問・愚問・詰問・反問・・・・問いにもいろいろあるが、何でも問えばよい訳ではない。特に花伝所の稽古では、師範代の卵である入伝生が自分が正解と思う方向に学衆を無理に誘導しようとする様な問いには、厳しく指導が入る。「その問いの意図はなんですか?」「師範代に寄せようとしていませんか?」「自らの考えを押し付けずに、学衆の可能性を引き出しましょう」。一方で、禅の公案のように問う相手の思考の殻を破り、新たな気付きを与えてくれる問いもある。例えば 『世界のほうが面白すぎた』(松岡正剛著/昌文社)の感想を交わし合う中で、入伝生Sから投げかけられた、こんな問いだ。

自分の中で「虚に居て実を行う」がスッキリ消化できていません。AIDAのインタビュー記事を読むと、本居宣長がいうように、唐の律令制からくる法的な言葉ではない、心の中の動きをあらわす「心内語」のようなものでしょうか?

 同書8章のタイトルにもなっているこの言葉。「ぼくは最近、芭蕉の「虚に居て実を行うべし」という言葉をしょっちゅういろんなところで書いたりしゃべったりしているが、まさにこれからそんなふうにしていきたい」と文中でも触れられている。実はこの言葉は花伝所のカリキュラムや、過去の入伝式でも紹介されたキーセンテンスである。しかしあらためて眺めると、虚に居るとはどういうことか、実とはなんなのか、一見で理解することは難しい。

 もちろん、少し調べればそれが芭蕉の俳諧の特徴を表わす言葉であることは分かる。『風俗文選』(伊藤松宇校訂/岩波書店)から各務支考(芭蕉十哲 1665)の言葉を前後を含めて引用してみよう。

翁の曰(く)、俳諧といふに。三つの品あり。寂寞はその情をいへり。女色美肴(びかつ)にあそびて。麁食(そじき)のさびを楽しみ。風流はそのすがたをいへり。綾羅錦繍に居て。薦着(こもき)たる人をわすれず。風狂はその言語をいへり。言語は。虚に居て實をおこなふべし。實に居て虚にあそぶことはかたし。『風俗文選』(伊藤松宇校訂/岩波書店)

 そう。俳句について論じた言葉であるので、当然と言えば当然だが、もともとは言語について触れられた言葉だ。唐木順三の『中世の文学』(筑摩書房)では、「虚」とは芭蕉が到達した、荘子の寓言による世界であるとも説かれている。寓言による世界とは、千夜千冊726夜『荘子』を参考にすると意識と対象を統べる無言語的世界を一つの見方で固定せずに表現する為に「他人に言葉を託し、例え話で表現する」という荘子が使った方法とも言い換えられるだろう。
 

 東洋から西洋へ。哲学者ウィトゲンシュタインに託せば前期『論考』で、「語りえるものとそうでないものを分けた」言語の限界性も近しとも言いえそうだが、そこには留まらない。その言葉を発する「わたし」自身を、実世界における一つのアイデンティティに縛られず、「虚」におくことという行為も伴う。編集工学ではそんな私を「編集的自己」、また守の型にある「たくさんのわたし」と呼び、その起源は生命の歴史の成り立ちに依ることも出来る。

 生命から宇宙の仕組みに見方を移せば、物理学者エベレットの量子力学の多世界解釈にも喩えられよう。我々が表現しようとする世界自身、多世界解釈では複数の世界が同時並行的に存在するかりそめの世界の一つ姿。少々風呂敷を広げたが、師範代がこれから出会う、教室や学衆、また伝えるべき編集工学も一意にその姿を定めることは出来ない。それらの多世界すなわち別様の可能性ごと伝えるには、虚に身をおいたワキともいえる師範代達に託し、多くの問いや例え話で多面流動的に伝えていく必要があるだろう。

 「虚に居て実をおこなう」の託し先に終わりはないが、そこにつらなる先人の思想を、縦横無尽に滔々と繋げていく問答。それは

 

 とうとうたらり、たらりらたらり

 

 安寧の歌始めにも聞こえてくる。

 


参考文献:
『異界を旅する能』安田登著 ちくま文庫
『神曲』能楽書林
『正体不明という生き方。』松岡正剛著 昌文社
『中世の文学』唐木順三著 筑摩書房
『風俗文選』伊藤松宇校訂 岩波書店

『量子力学の多世界解釈』 和田純夫著 講談社ブルーバックス

千夜千冊 
0726夜 『荘子』荘子

0085夜『中世の文学』唐木順三

0991夜『奥の細道』松尾芭蕉

1840夜『カオスの紡ぐ夢の中で』金子邦彦

 

文・アイキャッチ/山崎智章(44[花]錬成師範)

 


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  • 山崎智章

    編集的先達;湯川秀樹 
    実家は元縮緬商で着物好き。理論物理専攻でIT業30年。バーベキューの仕切り、珈琲の蘊蓄、南仏ワインへの嗅覚に自信ありの多趣味人で、多読アレゴリア身体多面体茶論の中核を担う。見た目は森のクマさんだが、会議では粘着質と評判あり。

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