巣の入口に集結して、何やら相談中のニホンミツバチたち。言葉はなくても、ダンスや触れ合いやそれに基づく現場探索の積み重ねによって、短時間で最良の意思決定に辿り着く。人間はどこで間違ってしまったのだろう。
熱量があがったキャンプの夜から二夜明け、道場には静寂と安堵と新たな道筋が示されている。
キャンプといえば「一夜限りの共同体」。限りあるからこそ、夜を徹し深くも軽やかに振る舞う原動力がそこはかとなく現れる。
[芭蕉庵]と命名された44[花]のキャンプ場で行われたのは、ハイパー茶会の制作・プロデュースであった。グループワークによるシン茶会を考えるこのお題は、花伝所の恒例になって久しい。「スーパーからハイパーへ」とは松岡正剛校長が遺した編集ディレクションで、言い換えれば、典型で一番になるのではなく既存概念を超えマルチにつながる状態を指向する。方法日本を体現する茶会という場を、茶会がもつフォーム【型】を使い、キャンプ的にどう振る舞うのか。再解釈してみせるのが題目の表裏一体、対になった狙いだ。
キャンプには幾重にも意味が潜んでいる。スーザン・ソンタグによれば真剣さが過剰になることで裏返る「様」をいう。人工的で演劇的、ドラッグクイーンはその例だ。作り手がキャンプだと自覚していないのに、キャンプになってしまう状態ともいえるだろう。内容よりも態度(スタイル)が重要だというソンタグのフレーズにも、結果として様式が意味を凌駕する、偶有性が含まれている。
二日間にわたる演習の振り返りを行うキャンプファイヤーで、アナロジカルに忍者を持ち出したS.Rの見立てはこうだ。
スーパーじゃないから、(ハイパーな校長は)あの独特な一つのフレーズやパーツから連動していくような語りができるのかと妙に納得しながら…たしかに知の巨人というメタファーは似合わない。どちらかというとシナプスを駆ける忍者みたいなものだ。
見立てとは一瞬にして物事の見方を変える働きがある。当のキャンプでは忍者になれたのか、シナプスを駆ける忍者ならどこにターゲットを置けばよかったのかリバースすればよい筈だ。
茶会は室町時代に始まったと言われる。茶が輸入されたのは遡ること9世紀頃、最澄・空海らが唐から薬として持ち込んだ。その後、武士や貴族が集まって舶来物を品定めする闘茶が始まり、遊興・賭博の対象になった。15世紀半ばに村田珠光が登場すると唐物偏重を否定して、茶会が始まったといわれる。茶に儀式や哲学が重ねられ「遊び」から「様式」へと反転した瞬間に文化として茶会が成立したと考えられている。「茶を媒介に、人と人が向き合う場」の原型だ。世界が羨むWABISABIは、千利休によって侘茶に昇華され、美学と社交装置として完成形になってからのことだ。
コンパイルの醍醐味は網羅し尽くすことでアーキタイプに触れる瞬間に立ち会うことにある。かくして44[花]のキャンパーたちは、2つの茶会を生み出した。
【い組】
茶暗(CHAKURA)―暗がりが編む、五感のハイパーリンク―CHAKURA – The Tea Ceremony in Darkness
【い組】の企画は、題して「茶暗(CHAKURA)―暗がりが編む、五感のハイパーリンク―CHAKURA – The Tea Ceremony in Darkness」。新宿歌舞伎町を舞台に、現代のトップクリエイターを客人に迎え、「視覚を奪う」という大胆な「引き算の編集」で、「五感を取り戻す茶会」を提案した。メソッドをもつKonMariもラインナップされているのが眼目だ。
【ろ組】
社会(シャカイ)を遊ぶ 茶会(チャカイ)
一方の【ろ組】は、未来を担う世代の子どもたちに向け、全国各地行脚型の茶会「社会(シャカイ)を遊ぶ 茶会(チャカイ)」を提案した。抹茶一服×編集稽古の一種合成で、キャッチフレーズ「教科書の外へ。一服して、社会を遊ぼう」が目指す向きを伝える。密な茶会が内外をつなげる仕組みとして機能するのはあたらしい。しかし既存のコミュニティスペースと何が違うのか。
全く異なる2つの世界が生成された。空間や場づくりにはキャスティング(CAST)が大きな役割をもつ。静的な情報から動的な様へ、茶会というフォーマットを重要文化財のごとく扱うのではなく、活きた「型」として再生し、そのあいだに在る「間(マ)」ごと再定義することがハイパーに進化を促す。キャンパーらは量から質が生まれる瞬間までひたすら情報を収集し型をなぞり組み合わせる。他者とのインタースコアによって思考ごと裏返る体験をいくつ経ただろうか。
花伝式目はイシス編集学校の背骨と呼ばれる。この8週間のプログラム終盤で、基礎となるメソッドを実践にもちこみ身体化させるのがキャンプであり、師範代の骨格と演出を一気呵成に馴染ませて、登板にのぞむ【代】としてのわたしを獲得する。
無礼講と夜半の号令があがるとM.Kは見守る師範らに「問答札」を上げた。
師範は動きを見ながら必要な時に問いや喝を発せられたと思うのですが、何を見て、どのようにはかり、どのレベルに達したら発するというようなことは、事前に決めているのですか。
師範は、ときにズレや差異によって違和感となる見方の存在を歓迎する。固定された境界らしきものを仮説的に掴んで問いを挟んでいく。「間」によって伸縮し溶接し、場に応じて変化させようとする態度こそが師範だ。茶道や能のような伝統芸能も、この「間」を活かして新しい「場面」や「スタイル」を展開し伝統を進化させてきた。
《古池や 蛙飛びこむ 水の音》
キャンプ場の名に肖った松尾芭蕉といえばその極北で、無常を素で生きた俳諧の人だ。この句が先鋭なのは、静謐な、あるいはミニマルな情景よりも、この俳句という装置の完成度そのものではなかろうか。日本文化特有の「ハイコンテクストな表現」は世界的にもユニークで他に例をみない。様式が意味を食ってしまう瞬間にこそ、方法日本が躍如し芭蕉的キャンプが表れるのではないか――。
松岡校長が晩年に記したメッセ―ジは『別日本で、いい』。花伝所なる舞台装置に仕込まれたメタホドス。濃密キャンプの夜は明けていき、まだまだ奥の細道は続くのであった。
文/平野しのぶ(44[花]花目付)
アイキャッチ/大濱朋子(44[花]花伝師範)
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平野しのぶ
編集的先達:スーザン・ソンタグ
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