子どもの頃に読んだお話で、物語の内容はすっかり忘れてしまったのに、イメージだけが記憶に残っている。言葉は出てこないのに、主人公の姿や雰囲気、色彩感が鮮やかに思い浮かぶ。自分の記憶力の無さゆえかと思っていたが、どうやらそうではなく絵の力かもしれない。
10年ぶりに読み返した『日本の童画家たち』に、こう書かれていた。挿し絵は、言葉や文章よりも「なお一層の迫力をもって人間の感情や意思を伝える」。抽象的な言葉よりも具体的な映像のほうが「生命感にあふれており、伝達力をより多く発揮する」ことも稀でないからだ。
『日本の童画家たち』は、明治から現代までの日本の〈児童出版美術〉の歴史をコンパクトにまとめた本である。著者の上笙一郎は45人の画家を取り上げ、その作品と画風、経歴をあたたかい筆致で紹介する。
画家たちはみな、子どものころから絵を描くのが好きだったり得意だったりした人たち。生活のためもあって子ども向けの挿し絵を描くようになったが、情熱をもって描いた。文章に付随するものとして見られていた挿し絵の果たす役割は意外に大きい。売り上げに影響し、教育的な効果も生み、芸術的な価値も見出される。
純真で愛らしい子ども、理想の子どもを描く時代から、大衆的で健やかな子ども、あるがままの子ども、民画調、影絵、切絵、水彩、密描、憂いをもつ絵、顔を見せない子ども、ユーモアのあるイラスト等々、画家の手法も様式も内容も多様な画風が花開く。それを上は、一絃琴から多絃琴への変化と喩える。
イラストは、照明するという「イリュミネート」から派生した言葉。挿し絵は、物語の内容をわかりやすく説明するだけでなく、読み手の心に明かりを灯す。児童文学から美術、さらに童謡までと幅広い上の研究も、歴史の大きな流れに埋もれて忘れ去られてしまいそうな幼な心のことがらに、光をあてたといえるだろう。挿し絵がいつまでも心のうちで光を宿しているように思うのは、その絵を描いた画家のまなざしの温かさを受け取ったからかもしれない。
1910年、フランスの日刊紙に書き下ろしの連載小説として発表された『813』は、その宣伝にイラストレーター、フランシスク・プルボによるポスターが使われた。目と口を開け、椅子からずり落ちるように座る男。死体だ。抑えた色調の中、胸元の赤い血が目を引く。
ルパンシリーズの中でも最高傑作といわれる『813』。不可解な事件が起こり、見えない敵が迫り、危険も暗号もピンチもスリルもロマンスも、そして意外な結末も孕んでいる。話のスケールも大きい。背景には、戦争が近づき社会主義や平和主義に替わりナショナリズムが台頭するヨーロッパの政治状況があった。著者ルブランも、盲目的な愛国主義者へと傾いていく。
しかし映像は強力で、「ルパン」と聞くとどうしてもアニメの「ルパン三世」が浮かんでしまう。動きと音声を伴ったいきいきとした、かなり軽いルパン像。その印象をようやく振りほどけたのは、風景の描写や花の匂いなど、言葉によって描かれた具体的な世界がアタマの中に立ち上がったとき。読書の一番の魅力は、読者が自ら映像を思い浮かべることができる言葉の力だ。
ストーリーのスピーディーな展開やミステリアスな謎の設定にのめり込む。だが、ルパンの甘さや弱さ、残酷さが見えてしまう。「あなたときたら、心の正しい人ではない」と言われるルパンが、なぜ少年たちのヒーローなのか? 「盗み」と「謎解き」の危うさときわどさは、大人も子供も魅了するからか。怪盗紳士という世間に稀な、到底手に入れられない属性と素質が、憧れを掻き立てずにはいられないのか。
ルパンのふるまいは、怪盗でありながら上品で、怪盗ゆえに迫力がある。そして芸術的なまでに変装の名人だ。変装とは、視覚情報を裏切られる楽しさなのだと思う。
映像はまた、物語を生む力にもなる。画家でもあったオーストリアの作家シュティフターの傑作『水晶』が生まれたきっかけは、地理学者シモニ―の描いた氷河の洞窟の絵を見たこと。旅先で出会った2人の子どものイメージをその絵に重ねて、雪の中で迷子になる物語が生まれた。静かに描写される自然の厳しい美しさの中で、子どもたちの健気さが際立っていく。
地形や住民の暮らしぶり、気質の説明から始まって、靴屋の倅が恋をして、その恋が成就して、家族が増えて……淡々と綴られる地に足の着いた生活。そして日々の中に溶け込んでいる不足。
よそ者扱いされていた兄妹は、クリスマスの前日、祖父母の家からの帰り道を雪のせいで知らぬ間に逸れてしまう。最初は雪のひとひらを喜んでいたが、「この世のどこにもないほど」青い洞穴に、向こう側がない「一めんの氷」。「巨きな、血のしたたるような円盤」の日の出に、「幾百万のバラの花を撒いたように、紅に染まった」雪。氷の山の中を一晩さ迷い、恐ろしいまでに美しい描写が続く。自然の情景だけでなく、クリスマスという場面の設定で、家族や地域社会とのつながりが無理なく語られる。
ついに村人によって発見される場面を大人の目線で読みながら喜び、心が温かくなる。幼ない子どもを主人公として描きながらも、これは大人のための物語。欠けたものが回復し、幼な心を清らかに歌い上げる。コミュニティの一員として迎えられる結末は、クリスマスの贈り物にふさわしく円満で、このまま絵にしたいくらい。
幼少期に感じた歓喜や不安は、終生の〈源泉的な感情〉になると上はいう。挿し絵には、そんな言葉にならない感情が仕込まれているのだろう。『日本の童画家たち』に取り上げられた絵を眺めていると、なつかしい気持ちになる。個々の作家や作品を知らないのに、映像から何か「故郷的なもの」が沁み出して、ランプのように記憶を照らし、幼な心を刺激する。
本書は、10年前に先達文庫として受け取った。内容は忘れてしまっても、書かれた文字には記憶が宿っていて、そのときの場面や感情が絵画のように今も浮かぶ。
【多読ジム Season03・夏】
●スタジオ935
●アイキャッチ画像:
左:『水晶』シュティフター/岩波文庫
真ん中:『日本の童画家たち』上笙一郎/平凡社
右:『813』モーリス・ルブラン/新潮文庫
●3冊の関係性(編集思考素):二点分岐型
┌『813』モーリス・ルブラン
『日本の童画家たち』┤
上笙一郎 └『水晶』シュティフター
福澤美穂子
編集的先達:石井桃子。夢二の絵から出てきたような柳腰で、謎のメタファーとともにさらっと歯に衣着せぬ発言も言ってのける。常に初心の瑞々しさを失わない少女のような魅力をもち、チャイコフスキーのピアノにも編集にも一途に恋する求道者でもある。
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【青林工藝舎×多読ジム】大賞・夕暮れ賞「言葉を越えるものを伝えたい」(福澤美穂子)
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