Hyper-Editing Platform [AIDA]シーズン1[対談セッション]倉谷滋*入江直樹*松岡正剛*田中優子:何がどのように「形」を決めるのか──編集的進化形態論

2023/02/22(水)12:00
img
倉谷慈、松岡正剛

今年度もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]がはじまっている。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、現在開講中2022年10月から始まったSeason3のテーマは「日本語としるしのAIDA」。新シーズンの展開とともに、過去シーズンのボードメンバーからの声に耳を傾けてみたい。

 ※内容は取材時のもの

 


 

2021年1月16日(土)、編集工学研究所のブックサロンスペース「本楼」と神戸をつないで行われたHyper-Editing Platform [AIDA]シーズン1「生命と文明のAIDA」の対談セッションの模様をお届けします。生命の「形態」はどのようなメカニズムで遺伝するのか。進化形態学者 倉谷滋さんら3人の専門家と編集工学研究所所長でHyper-Editing Platform [AIDA]座長の松岡正剛が進化と形態、文化をキーワードに議論を繰り広げます。

 

「遺伝型」と「表現型」

 

松岡正剛(以下、松岡) 倉谷さんはご著書「進化する形 進化発生学入門」(講談社現代新書)で、C.H.ウォディントンのエピジェネティック・ランドスケープ(*1)に触れていましたね。

*1:エピジェネティック・ランドスケープ:英国の生物学者 C.H.ウォディントンが描いた一枚のスケッチ画。発生分化の過程で細胞の運命を決定するのは遺伝因子と環境因子の相互作用であるとするウォディントンの考えが反映されている。

 

倉谷滋(以下、倉谷) ええ。進化発生学を含む現代の発生生物学(*2)には1つの大きな悩みがあるんです。遺伝子型(=ジェノタイプ)(*3)の問題で、DNAがどういうふうに生態学的な意味を伴った生々しい形になっていくのか、その演算処理過程が分からないことです。たとえば、映画『ブレードランナー』のように、ジェネティックなインフォメーションを操作して、設計者があらかじめ考えていた表現型を作り出していくためには何が必要なのか。遺伝子情報がどうやって解剖学的情報に帰結するのかというメカニズムが重要になってくるのです。

*2:発生生物学:多細胞生物の個体発生を研究対象とする生物学の一分野である。個体発生とは配偶子の融合から、配偶子形成を行う成熟した個体になるまでの過程のことである。広義には老化や再生も含む。

*3:遺伝子型(=ジェノタイプ):生物の個体が持つ遺伝物質の構成。

 DNAからはじまるその演算処理過程を何らかの実体として扱っていこうとすると、実際には要素の数が多すぎてパンクしてしまいます。というわけで、ジェネティック・インフォメーションのエンジニアリングは、その発想自体にかなりの無理があるということになります。

 では、逆に表現型(=フェノタイプ)(*4)の方からはじめて、その発生現象を辿ってみると、どんな経路がありえるのか。つまり、科学的に追求していくための実体としては何を扱うべきなのか。私にはウォディントンのエピジェネティック・ランドスケープが近い気がします。あみだくじを辿る途中でどんどん二次ルールを付加していくような感じがするんですよ。だから、ほんの少ししか遺伝子プログラムを変えていないつもりでも、あるいは、ちょっとだけしかゲノム情報を変えていないはずなのに、まったく予想外の経路に行ってしまうことがある。その結果として、予想とは全然違うものができてしまうことがあるかと思えば、遺伝子をかなり変えても表現型がほとんど変わらないこともある。言い替えると、ゲノム配列を30パーセント変えたら、表現型が30パーセント変わるかというとそういうわけではない。それを示唆したことがウォディントンによるエピジェネティック・ランドスケープの意義だと思います。つまり、遺伝子と発生の経路の関係が線形ではないということです。

*4:表現型(=フェノタイプ):生物の観察可能な特性。

 

松岡 生物が遺伝情報を子孫を増やすためだけに使うのではなく、表現型としても活用しているのはなぜなのか。そこには何らかの法則があるのかもしれない。それを最初に発見したのがウォディントンでした。

 

倉谷 重要なのは、この遺伝子型、つまりゲノム情報が遺伝するということです。親から子へと伝えられる情報が遺伝子型。片親から半分ずつもらうのが普通で、それが有性生殖をする動植物のあり方です。それによって表現型ができます。たとえば、ヒトは「2つの目」を遺伝子情報のレベルで代々継承しますが、そこから「二重まぶた」という表現型が出てくることがある。エンドウ豆で言えば、しわが寄っていたり、ツルツルしていたり、さまざまな表現型のバリエーションが出てくる。

 「遺伝子型のどの情報が表現型のどの情報と結び付いてるか、その対応関係を明らかにしよう」というのが近代遺伝学の精神であり、始まりでした。真ん中のプロセスをブラックボックスにして、とりあえず原因と結果を対応関係として一直線に結び付けようとしました。現代の発生生物学は、分子生物学が発生学に入り込み、遺伝子のレベルで形ができるメカニズム、つまり機構やプロセスを説明し尽そうとしています。表現型に淘汰圧がかかることによって、結果として、そこに用いられている遺伝情報の特定のセットがポピュレーションの中に残る、それが徐々に変化していく過程が進化です。ダーウィン進化論の現代的な翻訳といえます。

 ところで最近では、ゲノムをチェックすることで産む、産まないを判断することができるようになっています。じつは、生命の歴史において、ゲノム情報に基づいて産む、産まないが選別されたことはかつてありませんでした。人類はときどきテクノロジーの進歩の結果として、とんでもないことをやってしまいます。

倉谷慈

 

ボディプランと遺伝子

 

松岡 今日は倉谷さんのお弟子さんということで、入江直樹さんにもお越しいただいています。

 

入江直樹(以下、入江) こんにちは。入江と申します。私は、人類が遺伝子に手を加え、表現型を操作できるようになった時代の教科書で教育を受けてきたので、「生物の進化の秘密はDNAを理解すれば全部分かるんだろう」という程度の理解レベルでした。しかし、そういうレベルの理解だと、研究上いろいろなところで破綻するわけです。それこそ、倉谷先生の著書などでさまざまな破綻の指摘を読んできて、改めて生物の進化の秘密を研究したいと思ったのが私の研究の始まりでした。

 

松岡 宇宙にダークマターやダークエネルギーがあったり、DNAにイントロン(*5)があったりするように、遺伝子の中にも表現型に関わる謎の何かがあるというのが、1つの考え方としてあると思うのですが、倉谷さんや入江さんはそうではなくて、そもそも遺伝子だけでは説明できない何かがあるという風に思ってよいですか。

*5:イントロン:転写はされるが最終的に機能する転写産物からスプライシング反応によって除去される塩基配列。

 

入江 現代の生物学は遺伝子というアイデアに振り回されすぎていると私は思っています。細胞の中にはミトコンドリアを含むいろいろな小さな器官が存在しており、それぞれに構造があります。それらをDNAからゼロベースで作れるかというと、作れないんですよ。必ず卵子なり精子なりに情報として載せた上で遺伝されるわけです。そこではDNAではない情報も受け継がれています。「遺伝子」という名称から、何かを遺伝するエレメントであるというイメージを強く受けると思いますが、その名称に振り回されすぎると、DNAを調べたり、遺伝子を調べればいろいろなことが分かるのではないかと考えてしまいがちです。その結果、他の部分を見逃していることがかなりあるのではないでしょうか。

松岡 ぼくは理論物理学者 南部陽一郎の影響を強く受けていて、長らく、ヒッグス粒子のようなspontaneousな(自発的な)対称性の破れが一切の真空のゆらぎから始まっていると考えています。これはエントロピーでは説明できない。仮に生物学に当てはめても遺伝子では説明できない。だけど、それを何と呼ぶか。ぼくの場合は情報。結局、情報と呼ばれるものから形態が生まれたり、対称性が生まれるのではないか。受精卵が分割される時に、何かの刺激をうまく使うようにしただとか、そこから手足が伸びるようなことも起こるんだろうけれど、もとは情報だろうと考えました。A・G・ケアンズ・スミス(『遺伝子乗っ取り』 – 千夜千冊 1621夜)が指摘するように、物質が何か粘土質のところで、あるプログラムを押印して、そのプログラムを使って自己複製している間に何かが情報の自己組織化をし始めたというのが最初で、そこから全部の話をした方がよいというのが、ぼくが編集ということを言い出したきっかけなんです。

 

倉谷 今のお話を伺っていて、先日読んでいたウォディントンの発生学の教科書を思い出しました。彼が活躍していたのは1960年代なんですが、遺伝学者がようやく進化と遺伝子を結び付け始めた頃でした。当時(60年代)は遺伝子の機能が「発生プロセスの最終段階」にしか効いていないだろうと思われていたんです。つまり、エンドウ豆の表面をしわにするか、ツルツルにするかとか、ヒトの髪の毛を直毛にするかカールにするかというようなことにしか機能していないと思っていた。あるいはヒトの体の特徴を項目別に分けて、そこにバツを付けるか、プラスを付けるか、マイナスを付けるかみたいな。それらを決める因子としてしか遺伝子を見ていなかったらしい。つまり、ボディプランまでは説明できていなかったということです。ところが、ウォディントンのすごいところは、「いや、そうじゃないよ。ボディプランだって遺伝子が関係していますよ」と説明したところです。

 というのも、モノアラガイという巻貝は普通は右巻きなんですが、ときどき左巻きの個体が生まれるんです。その左巻きのモノアラガイと右巻きのモノアラガイを掛け合わせると、何パーセントが左巻きになるのか。このような遺伝実験も可能だろうとウォディントンは言いました。つまり、「遺伝学者はこのような実験を通じて貝の巻き方を左右する因子を扱えるのだから、ボディプランもまた、遺伝子機能の結果として見ることができるんだ」という議論をしています。そういうことが言えたウォディントンだからこそ、エピジェネティック・ランドスケープという描像を描くことができたと思うんです。

 

入江 私はボディプランという概念を「川が流れた後に残ってるその痕跡」ぐらいにしか思っていないんです。つまり、数億年、数十億年間の「生命の痕跡」程度にしか見ていなくて、それを決めている大本の情報、ファクターには、むしろ意識的に近寄っていないかもしれない。というのも、因果律の客観的な定義は、科学や数学もあきらめているからです。それは無理であると。

 たとえば子どもがテーマパークで転んだ時、ご両親が怒って「誰のせいだ!?」と言ったとしましょう。果たして、走っていた子どもが原因なのでしょうか。テーマパークに連れていった親が悪いのか。それともテーマパークの運営者に責任があるのか。厳密には分からないわけです。数学の集合論でもあきらめています。原因と結果の因果を絶対客観的に定式化しようと思ってもできないからです。

 動物のボディプランに関しても同じで、普通、Aという動物の大本の祖先にBという動物がいて、さまざまな歴史的事象の影響を受けて淘汰されたりして、今の形に至っているという説明になるんですが、では、果たして「それ」を作った大本の「もの」とは何なのか。世代が始まった受精卵(の情報)のことを言っているのか。仮にそうだとした場合、時間的なスケールをどのくらいに設定するのか、数億年か数十億年か。そういうことをレイヤー分けしないと大本のことには言及できない。つまり、厳密には言えないわけです。

 

倉谷 クラゲのニューロンとヒトのニューロンは微妙に違います。だけど、素性(進化的起原)は同じというものを、相変わらずヒトはクラゲと共有しています。「どこにそれを配置するか」という局面で、発生プログラムは動いているわけです。発生プログラムをシャッフルして別の形を作ると言っても、なにもラジオを構成する部品を箱の中に入れて、ガシャガシャやったら、そのうち偶然にコンピューターができあがるというようなことを言っているわけではないんですよ。

 むしろ、1個の細胞が他を誘導するという相互作用でもって発生プログラムが組み上がっている以上、たとえば目を作るのであれば、そのそばに脳みそができないわけはないと最初から決まっているわけです。そういったプログラムの「モジュール」が存在している。だから、全部をリワイヤリングするというよりは、もう少し大きな塊が単位となっていて、そういったモジュールを組み換えている。これなら成功する確率は高いだろうと。つまり、ここに口を開けたら、どっかに肛門を作らなきゃいけなくて、必然的にその途中には肝臓を作らなきゃいけない。解剖学的な基礎構築のリシャッフリングの後でも、基本となるモジュールは保存され、それぞれ局所的にはちゃんとセオリーどおりにやっていますよというくらいの保守性を維持したまま、リワイヤリングしているという感じがあります。

 

松岡 それをぼくは方法と呼んでいるんです。つまり、モジュールとかフォーメーションを1つ作るとその1対先に補完したくなるものが出てくる。さっきの倉谷さんの言葉で言うと、目のそばに脳みたいなものは必ずあるはずだと。それこそが歴史の鍵を握っている方法、あるいはマニュアルだという気がします。

 

倉谷 先ほど少しお話ししましたが、ヘッケルはそういったモジュラーなことは考えておらず、基本的には反復を繰り返し、最後に少しだけ変形を加えるという感じで動植物の図を描いていたんですね。ただ、よく考えてみれば、ヘッケルのやり方で生命が進化したとするとボディプランは1個しかできないんですよ。クラゲはずっとクラゲのままでいるしかない。その代わり、いろいろなクラゲが生まれ、機能的にはハイパーになっていくけれども、基本形は全然変わらないわけです。

 

 

形態と擬(なぞらえ)えるもの

 

松岡 最後になりましたが、会場にいらっしゃる法政大学の田中優子さんに一言、感想をもらいたいと思います。田中さんは江戸時代の芸術表現に造詣が深くていらっしゃいますが、これまでの議論をご覧になって、ご自身の専門と絡めてどういう風に感じられましたか。

田中優子(以下、田中) 本当に刺激的な面白いお話、ありがとうございました。江戸文化を研究している田中優子と申します。

 先ほど倉谷さんはご講義の中で擬態に触れ、画家は意識して主体としてそれ(擬態、模倣)をやっているけれども、生物の場合はそうではないというお話をされていました。

 人間は意識して文学作品を書いたり、絵を描くようになったと私たちは考えがちですが、近代以前の歴史を見ると、文学者や絵師と呼ばれる人たちは世の中に存在するさまざまな形を大事にして、それらを使って、どんな面白い工夫ができるのかを考えていたんですね。つまり、何かを作っている時に、作家の主体性や自己意識、自我の発露のようなことは考えていなかった。文化の発生の仕方、あるいは変化の状態はむしろ生物の振る舞いに近く、そういうことにもっと注目すべきなんじゃないかと思いました。現代の文化論はどうしても近代以後に言及されるようになった意識や自我といったものに引きずられてしまいます。すると、議論のテーマが「作家は何を考えていたのか」という感じになってしまうのです。

 

松岡 個性とか。

 

田中 ええ、個性を作家と作品の間に入れたがる傾向もあるのですが、それだと分析ができないんです。「それぞれで違うでしょ」で終わってしまうので。そうではないやり方というのが、ここには方法としてあるのではないかと今日は思いました。そういう意味で非常に刺激的で面白いお話でした。

 

倉谷 主体をどこに置くかが重要なんですね。

 たとえば、鱗粉にどういう色素を沈着させるかは、やはり、遺伝子レベルでの発生プログラムなんですよ。あるプログラムを選択すると、ある発色効果が出て……、その結果、生存か絶滅が決まっていく。そういうプロセスを一歩下がってみてみると、遺伝子がいろいろな変異を蓄積しては試しているという「模索のプロセス」がみえてくるんです。そして、結果的に成功したやつが定着していく。そういう意味では、何というのかな、適用点を探すということでは、そこに「擬(なぞら)え」るものとしての主体を見ることは可能なのではないでしょうか。

 

松岡 形を擬えながら、少しずつ差異が生まれていくことが進化ということなのでしょうか。みなさん、今日はどうもありがとうございました。

 

プロフィール

倉谷滋(くらたに しげる):1958年、大阪府生まれ。1977年京都大学理学部入学。1987年京都大学大学院理学研究科博士課程修了。琉球大学医学部解剖学助手、米国ジョージア医科大学、ベイラー医科大学を経て、1994年熊本大学医学部附属遺伝発生医学研究施設助教授。1998年岡山大学理学部教授。2001年より理化学研究所に。2014年より現職。『動物進化形態学』『ゴジラ幻論‐日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』『分節幻想‐動物のボディプランの起源をめぐる科学思想史』『形態学‐形づくりにみる動物進化のシナリオ』『かたちの進化の設計図 ゲノムから進化を考える』をはじめ、形と進化に関する著書多数。

 

入江直樹(いりえ なおき):東京大学大学院理学系研究科准教授。1978年、京都市生まれ、大阪育ち。神戸大学理学部生物学科を卒業後、京都大学大学院医学研究科に進み、2008年に博士課程を修了。同研究科附属先天異常標本研究センター、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB;現・生命機能科学研究センター)を経て、2013年より現職。専門は進化生物学。一般向けの著書に『胎児期に刻まれた進化の痕跡』(慶應義塾大学出版会,2016年)がある。

 

田中優子(たなか ゆうこ):1958年10月7日、神奈川県横浜市生まれ。前法政大学総長、江戸文化研究者。1980年、法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了。『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年、紫綬褒章受賞。朝日新聞書評委員、「サンデーモーニング」(TBS)のコメンテーターなども務める。著書に『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)、『きもの草子』(ちくま文庫)、『カムイ伝講義』(小学館)、『未来のための江戸学』(小学館101新書)、『日本問答』(岩波新書)、『江戸問答』(岩波新書)他多数。

松岡正剛:1944年1月25日、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化した「編集工学」を確立、様々なプロジェクトに応用する。2020年、角川武蔵野ミュージアム館長に就任、約7万冊を蔵する図書空間「エディットタウン」の構成、監修を手掛ける。著書に『遊学』『花鳥風月の科学』『千夜千冊エディション』(刊行中)ほか多数。

 

撮影:川本聖哉、後藤由加里
編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)

 

※2021年5月10日にnoteに公開した記事を転載

 

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 

 イシス編集学校

基本コース [守] 申し込み受付中

 

 

 

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 

 

  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。