[AIDA]シーズン1 ボードインタビュー:長谷川眞理子さん◆後編 「ここ最近の20万年」越しに捉え直す、今とこれからの社会像

2023/03/14(火)08:06
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長谷川真理子

今年度もハイパーエディティングプラットフォーム[AIDA]がはじまっている。「生命と文明のAIDA」を考えたSeason1から、Season2では「メディアと市場のAIDA」に向き合い、現在開講中2022年10月から始まったSeason3のテーマは「日本語としるしのAIDA」。新シーズンの展開とともに、過去シーズンのボードメンバーからの声に耳を傾けてみたい。

 ※内容は取材時のもの


 

前編 はこちら

 

コロナ禍におけるこの1年の社会環境の変化は、10年あるいは数十年分に相当するという声を多く聞きます。ではこの数十年の変化は、600万年のヒトの歴史から見た時に、どのように映るのでしょうか。ホモ・サピエンスが生まれて以降の20万年を「ここ最近」と表現する、Hyper-Editing Platform [AIDA]のボードメンバーであり、自然人類学者の長谷川眞理子さんに、人類の進化の文脈からみた現在とこれからの社会像についてお話をお聞きしました。

 

長谷川眞理子(はせがわ まりこ):1952年東京都生まれ。東京大学理学部卒業。イェール大学人類学部客員准教授、早稲田大学教授などを経て、現在は総合研究大学院大学学長を務める。専門は行動生態学、自然人類学。著書に『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(光文社新書)、『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)、『世界は美しくて不思議に満ちている』(青土社)など。

 

 

急激な環境変化に人間の脳はついていけるのか?

 

―― 人間の脳は、はるか昔から相当なハイスペックだったわけですね。産業革命以降、もしくは直近20年で生じている急激な環境変化の中で、わたしたちの脳や心はどのように環境と折り合いをつけてきたのか、あるいはつけられていないのか。それがまだ分かっていないのではと思います。

 

長谷川真理子(以下、長谷川) 人間の脳は因果関係による推測や抽象的な概念の操作ができます。そのため、学問や科学技術はここまで発展することができました。とはいえ、人間の脳が何にでも対応できるわけではありません。現在のコンピュータの情報処理能力は人間のキャパシティを超えていますから、環境に対応する上での人間の脳の限界が近づいてきていると言えるかもしれません。実際、AIが出してきた答えについて、どうしてそうなるかというプロセスを人間が理解できないという状況が生じています。

 AIは人間の脳の機能とは全然違うので、AIが人間の脳にとってかわることはないでしょうが、果たして、人間の脳がAIをどこまで使いこなせるか、甚だ心もとないです。AIに何を任せるか、何を任せないか、AIが出した答えの取捨選択は非常に難しい。これまで経験したことのない状況に人類はいると言えます。

 

―― 科学技術の発展は機能拡張という面で人体のあり方にも影響を及ぼしています。デザイナーズベイビーのような遺伝子操作にまつわるテクノロジーについてはどう思われますか?

 

長谷川 遺伝子のはたらきの全貌が明らかになっているわけではないので、遺伝子操作による影響は全部は把握できていません。なので、卵子や精子に手を加えることは、いまはやらないという約束になっています。ただ遺伝子の仕組みやはたらきが全部分かりました、となった時には、遺伝子操作は一気に裾野を広げる可能性があると思います。最初は病気の遺伝子を変更することから始まって、より健康にしたい、肥満を避けたい、美しくしたいなど、人間の欲望に乗っかって遺伝子操作を適用する範囲が広がっていくのではないかと思います。現世代の人にとって最適な選択に思えることでも、次世代の人の解釈は違うかもしれない。自分は遺伝子を改変されたと知ってしまった時、その人はどう思うか。改変を指示した人はそこにどこまで責任を持てるでしょうか。たとえそれが我が子を思っての選択であったとしてもです。これは難しい問題だと思います。

 

 

「共感の回路」を操作できる前頭葉は諸刃の剣

長谷川真理子

―― AIや遺伝子操作などの科学技術が成熟するほどに、人類として何を選択していくべきか、その判断軸となる「倫理」がより切実に必要になるのだと思いますが、人類の進化の過程で倫理のようなものが働いた例はあったのでしょうか。

 

長谷川 「倫理」や「道徳」のおおもとは、他者に対する共感だと思います。社会生活をする哺乳類には共感の1つのかたちである「痛み伝染」があり、自分の近くにいる個体が痛がっていたら、その痛みは自分にもふりかかってくる可能性があるので、防衛のために痛みを疑似体験すると言われています。自分が痛みを疑似体験するに留まらず、痛がっているねずみに対して、痛みが伝染した側のねずみがぺろぺろ舐めて慰めてあげるという現象も確認されています。これは犬と人間の関係にもありますよね。愛着がある対象との間で、「痛み伝染」という「共感」が生じるんです。

 人間は前頭葉が発達しているので、肉体的な痛みだけではなく、心理的な痛みにも共感します。仲間はずれの痛みや失望、孤独感など、いわゆる社会的な痛みを自分のことのように感じるのは、さきほどお話しした「痛み伝染」ではなく、前頭葉の働きです。情動を喚起する大脳辺縁系で怒りや悲しみが湧き上がってきますが、そこには前頭葉の働きが密接に結びついているので、他者が感じている社会的な痛みに共感するんです。これが他人に対する同情や共感、親切といった脳の基本的な仕組みです。

 ただ、共感するだけでは現実の状況に対応できないので、人間は理性を駆使して、現実的な対処法を一生懸命考えます。それが哲学や法学、倫理学として体系化されていきました。「他人の置かれた状況に共感する」という前頭葉の働きが倫理の基本なのです。

 おそらく、サバンナなどでみんなで一緒に働かなければいけない状況においては、仲間の状態をちゃんと把握していないと生きていけなかったのでしょう。生き残るためには、ある一定の共感が必要だったのだと思いますが、この能力をいかに社会的な力として共有していけるかは、前頭葉がどれだけ想像力を働かせられるかと同じことなので、それなりの訓練や経験が必要です。

 

―― インターネットによって全世界がつながり、他者の状況や感情が自分にそのまま降り掛かってくるような世界になったように思います。ただ、総体としての人類の共感力が発達したようには思えません。

 

長谷川 前頭葉を働かせて、他人の悲しみを感じるのが人間の倫理の基礎だと言いましたが、前頭葉の力は諸刃の剣なんです。あえて前頭葉で共感の回路を切断し、他人を傷つけてもいいと思ってしまうこともできるんです。人間は共感できるし、その範囲を広げることもできますが、一方で、昨日まで仲間だった隣人を攻撃することもできるわけです。人類はその両方を繰り返してきました。

 時と場合によっては、共感の回路を切ることも必要です。お医者さんがメスを入れる時に毎回痛みを感じていたら仕事になりません。わたしもアフリカに滞在していた時に経験したんですけど、一緒に行っていた大学院生が、サトウキビを切る山刀で自分の手を切っちゃったんです。私は救急療法を習っていたので「任せなさい」と言って、痛い痛いと言っているのを「ちょっと我慢して」なんて言いながら止血したんですね。で、手当てをひととおり終えたところで、私の方がフーっと倒れちゃったんです。あれも、一瞬、共感回路を切ってたんですよね。

 すべての痛みに共感していたら、集団としての生存能力は落ちてしまいます。だから、前頭葉の機能の使い分けは必要なんです。

 

 

未来の他者に、どう共感するのか

 

―― 共感を最大限に活用したり、逆に共感回路を切ったりするのは、結局、その都度の選択の問題なのでしょうか。

 

長谷川 そうですね。ただ、それが意識的な選択ばかりではなく、無意識に左右されることもありますよ。世の中の雰囲気や空気など。関東大震災の時に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」なんていう流言が広まったことがありますが、1人ひとりが積極的な考えを持っていなくても、みんなが恐怖に陥って集団の恐怖状態が増幅されていったような状況だったのではと思います。意識して思考しているんじゃなくて、集団でそういう回路に入っちゃうんですよね。そういったことをSNSは煽るんじゃないかと危惧しています。

 

―― 確かに、顔なき人たちの声の大きさには恐ろしいものがありますね。

 

長谷川 それも決して合理的なものではないでしょ。立ち止まって自分の考えを整理しなくても、コメントしたり、リツイートしたりするだけで、ある一定の意思表示ができてしまう。その流れの中でお互いに反応し合っているうちに、集団の感情が増幅していきますよね。これはとても怖いことだと思います。人間はこの大きな脳で科学技術を発展させながら、同時に哲学を生み出してきました。それは個体が生き残るために必要なことだったはずで、そのことを今、あらためて思い出さなければならないでしょう。

 

―― 反応と共感は違いますよね。さらに言えば、これだけテクノロジーが発達して遺伝子までいじれるとなった時に、現在の他者に留まらず、遠い未来の他者への共感がないと、地球全体がおかしなことになるというところまで来てしまっていると思います。

 

長谷川 以前、経済学者の岩井克人さんがおっしゃっていたことで、そうだなと思うことがありました。今の世代の人が今の環境で幸せを追求しますよね。今の地球を共有している人たちのところに、未来の人はプレイヤーとして入ってこれない。同様に未来世代の代表に現世代の人がなることもできません。そう考えると、未来世代を入れた経済の設計は構造的にはできないので、経済の問題にはそこを補填する哲学が入らないとだめだとおっしゃってました。岩井さんの意見にはまったく同意するのですが、結局この10年、そういうことは世界中でどこか脇に置いて来ちゃったじゃないですか。結局、わたしたちは、目前の欲望に従ってきてしまったんです。

 

 

体が心地いい方へ社会を編集していくこと

長谷川真理子

―― 20世紀に人類が欲望のままに作ってきたさまざまな仕組みは、ここにきてことごとく制度疲労をおこしているように見えます。Hyper-Editing Platform [AIDA]では、そうした今の限界をどう乗り越えていけばいいのか、その向かう先として「編集的社会像」というフラッグを掲げました。編集工学研究所の創設以来のスローガンは「生命に学ぶ・歴史を展く・文化と遊ぶ」です。生命の有り様にこそ「編集」という営みの本来の姿があるという大前提に立って、現代に続く歴史をたどり、そうした観点から文化を更新していく、という考え方です。そういう意味では「編集的」は「生命的」と言い換えてもいいかもしれません。今はあまりに産業革命以降の人工的で機能的なシステムや制度や価値観にとらわれていて、生命にとって相応しい社会とはどういうものなのか、という視点が欠如しているように思います。このことを一度立ち止まって考えながら、この先の社会像を描いていこう、というのが、Hyper-Editing Platform [AIDA]の活動主旨です。最後に、AIDAボードメンバーとして、この「編集的社会像」に向けてわたしたちは何を考えていくべきか、メッセージをいただけますか?
 
長谷川 自然人類学を考えてきた立場からすると、今の暮らしや現代の人間社会の姿は当たり前のことではないんです。むしろ現代には、人類がこれまで経験したことのない異様な状況がいくつも生じています。自分にとっては何が嫌で、何が心地いいのか、何が幸せで、何をしたいのかを自分の体に聞いてみる感覚を持つといいと思います。それを感じられたら、心地よさに向かって自らの手で社会を編集していく。そういう意識が必要ではないでしょうか。

 20世紀は人類が経済的な豊かさを目指した時代でしたよね。お金が自由に使える、暮らしがよくなる、そこを目指して、それぞれに努力をしてきた。でも、それは必ずしも自分の内側から出てきた欲求ではなくて、消費を生み出すために作られた物語の中に入っていたのかもしれない。そうした集団としての回路に入っていきながら、資本主義と自由市場という強固なレールを敷いてここまで進んできたわけですが、これでどこまでも行けるわけじゃないですから。このシステムに無理があるということには、多くの人が気づき始めていますよ。1人ひとりが、自分の頭で考えて選択したり、判断できるようにならないといけないと思います。

 たとえば、満員電車が嫌だと思ったら、「満員電車に乗らない」という状態を起点にどうやって働くかを考える。子どもを預けっぱなしにして働くのは嫌だと思ったら、そこを出発点にして、では、社会と自分はどのように関わればいいのか、社会がどうなるといいのかを考える。他者の犠牲の上に成り立つ欲求の実現はもちろんダメですが、基本的には自分の心地よさの追求を通して、周囲とどのように調整していけばいいのか、自分の存在と社会との関係を、それこそ1人ひとりが編集し続けていける状態になるべきだと思います。

 それをしないと、社会全体が袋小路に入ってしまうところに来ていると思います。高度成長を継続したいとか、そのためならエネルギー資源が枯渇しても構わないとか、そうした20世紀的な価値観のままでいたら、どうしたって地球は取り返しのつかない状況に突入していくことになるでしょう。それを変えるには、まずは生命としての自分の心地よさに耳を傾けて、それをお互いに調整し合った社会がどういう形になるのか、1人ひとりが自覚を持って考えていくということが大切なのだろうと思います。そういう意味で、皆が自分の状況を見直すきっかけとなったこのコロナ禍は、いい機会でもあるのではないでしょうか。

 

 

取材:安藤昭子(編集工学研究所)、仁禮洋子(編集工学研究所)
執筆:安藤昭子
撮影:小山貢弘
編集:谷古宇浩司(編集工学研究所)

 

 

※2021年4月21日にnoteに公開した記事を転載


  • エディスト編集部

    編集的先達:松岡正剛
    「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。