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初期の手塚が、同時代のマンガ作品以上に、画風の上で影響を受けたのは、おそらくディズニーやフライシャー、瀬尾光世などの「漫画映画」です。これらの漫画映画の線は、極めて丸みを帯びていてうねうねしているのが特徴です。
絵だけでなく動きもそうです。現在の、エッジの効いたリミテッドなジャパニーズアニメに慣れ親しんでいる私たちの目から見ると、フルアニメで制作された、これら戦前のアニメーションの動きは、非常にヌメヌメしていて、妙な色気があります。このなめらかでヌメヌメした質感を、若き手塚はこよなく愛していたようなのです。
手塚のモチーフには、動物的なフェロモンや、メタモルフォーゼのイメージがしばしば現れます。また、人間と動物の境界、あるいは男と女の境界があいまいになり融解していくテーマを執拗に追及しつづけました。『火の鳥』では、コスモゾーンなる概念(映画版での呼称)が登場し、宇宙のありとあらゆるものが渾然一体となる梵我一如的世界観が示されました。こうした手塚の志向性に、あの丸みを帯びた描線は不可欠なものだったと言えます。
1967年に自身の主催する「COM」誌上に連載をスタートさせた『火の鳥』は、同時期に「ガロ」誌上に連載され話題を呼んでいた白土三平の『カムイ伝』を強く意識したものでしたが、白土が、その後どんどんマンガ的表現を捨て去り、写実的な方向に進んでいったのに対し、手塚は60年代の「アトム」「0マン」などの少年SFマンガの系譜を継いだ王道タッチを貫き続けました。
そして、壮大なテーマを描いた作品には似つかわしくない唐突に差し挟まれるギャグの頻出は、ファンの間でも好みの分かれるところですが、このようなメタフィクショナルな突っ込みを、ついつい自身に向けてもやってしまいたくなる性癖も、手塚ならではの資質に由来していると言えます。自己も他者も一緒くたにして、遙か高空からランドサットのごとく人間のうごめきを見つめる冷めた視線は、手塚のもう一つの顔である医師の視線であり、かつての昆虫少年の視線でもあったでしょう。
そして、どれだけ描き込みが密になっていっても、マンガが本源的に持っているある種の記号性のようなものは、手塚は頑として死守し続けました。この高度な記号性が、テヅカ印とでもいうべき「らしさ」を刻印し、田中圭一先生のような抱腹絶倒の模倣芸を成立させているのですね。
とはいえ、同じ丸みを帯びた描線といっても、長いキャリアの中で、その性質は大きく変容していくことになります。次回は初期手塚と後期手塚の絵を、それぞれ模写することで、その変遷の謎に迫ってみようと思います。
LEGEND01手塚治虫②
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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