南北朝動乱を引き起こすパクス・モンゴリカとは【輪読座「『太平記』を読む」第五輪】

2024/08/26(月)10:30
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輪読座は毎月最終日曜日13:00にスタートするマンスリーの講座である。4月に開莚した「輪読座『太平記』を読む」も終わりが近い第5輪となった。『太平記』に限らず、日本の古典や哲学者をとりあげるにつけ、輪読師バジラ高橋は常にその時の世界情勢・アジア情勢を共に見るべきだと声を荒げ続ける。図象解説では「南北朝の動乱の原因」としてモンゴル帝国、元の動向をとりあげた。

 

チンギス・ハーンの生涯には不明のことも多いのだが、一一五五年から六二年あたりに生まれ、「青き狼」として育ってモンゴル帝国を一代で築き、一二二七年八月に没した。

 

千夜千冊#1420夜『義経の東アジア』小島毅

 

クビライ・ハーン(フビライ・ハーン)はチンギス・ハーンの孫にあたり、モンゴル帝国の第5代皇帝だ。チンギスからクビライにわたる世代で勢力を拡大し、遠征したエリアはイラン、イラク、中東、ロシア、ポーランドにまで及んだ。1267年には中国の方形様式を取り入れた都城「大都」を建造開始、国号は漢語で「大元」と改めた。全モンゴル帝国の統合システム構築に向かい、銀を担保に統一紙幣を発行、モンゴル語を表記する文字としてチベット文字をもとにパスパ文字を制定。一大情報ネットワークを構築しようとしたのである。

 

※「世界の歴史まっぷ」より

 

当時のモンゴル帝国は、4つのハン国になっている。ロシア地方のキプチャク・ハン国、ペルシア地域のイル・ハン国、中央アジアのチャガタイ・ハン国、そして東方のフビライ・ハーンによる元である。元は正式には大元国(大元大モンゴル・ウルス)という。

 これらの4国でフビライ(忽必烈)が唯一の大ハーンで、そのフビライの領土といったら東は朝鮮半島、北はバイカル湖、西はチベット、南はビルマに及んでいた。宮都は以前の金の都であった中都から大都(トルコ語読みでハンバリク)に移し、ちょうど大建設の真っ最中である。国字としてのパスパ文字も開発されていた。

 

千夜千冊#1401夜『完訳 東方見聞録』マルコ・ポーロ

 

朝鮮半島には高麗という王朝があり、パクス・モンゴリカに対して抵抗をし続けていた。ところが、1274年クビライの娘が高麗の忠烈王に降嫁して高麗王朝とモンゴルが親戚関係になった。モンゴル高麗朝というものが成立し、非常に強い東アジアの経済エンジンとして働きはじめる。1276年には南宋を事実上滅亡させ、その領土の大半を征服した。大陸には、南宋からペルシア、エジプトに及ぶ海の道と北側にモンゴル高原からポーランドに至る陸の道があり、東西交通が盛んになった。クビライはアフマドやサイイドらムスリム(イスラム教徒)の財務官僚を登用し専売や商業税を充実させ、運河を整備して、中国南部や貿易からもたらされる富が大都に集積されるシステムを作り上げる。帝国は経済的な発展を遂げる。クビライ治下の中国にはヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロら多くの西方の人々(色目人)が来訪したという。

 

こんなにも凄まじいことが十三世紀前半にあっというまにおこっていったのである。東は日本海・東シナ海から、西は黒海・ユーフラテス河・ペルシア湾にいたる東アジア・西アジア・東ヨーロッパに及ぶ大アジアのほぼ全域が、大モンゴル帝国の版図となったわけである。これをしばしば「パクス・モンゴリカ」という。

 

千夜千冊#1402夜『ヨーロッパ覇権以前』ジャネット・L・アブー=ルゴド

 

日本は鎌倉時代にあたる。鎌倉幕府は大ハーンのネットワークに入ることを拒絶し、二度の元寇による戦乱を経て元を退けることに成功した。しかし、これこそが日本動乱の始まりに繋がっていくのである。元では次第に内乱が勃発し社会不安も爆発する。1368年には明が建国され中国の王朝としての元は滅亡、モンゴル人はモンゴル高原に撤退した。

 

蒙古襲来(元と高麗の連合軍)は文永弘安の2度だけではない。サハリン・琉球・江華島などの日本近域をふくめると、1264年から1360年までの約100年のあいだ、蒙古襲来は繰り返しおこっている。こうした襲来は、為政者や神社仏閣のあいだでは「地上と天上の相関」によって解釈された。

 

千夜千冊#109『神風と悪党の世紀』海津一朗

 

バジラ高橋
バジラ高橋
元国が崩れた原因の一つ目は日本の征服に失敗したこと。二つ目は経済システムに破綻を生じたことなんだよね。


バジラの図象解説では、パクス・モンゴリカの形成と崩壊の3つのシステムに日本の南北朝動乱時代に重ね合わせる。1つ目は多様性と独自性だ。当時後醍醐の朝廷はパクス・モンゴリカに対抗するための多様な思想、多様な経済社会システムを構築しようとしたが、ことごとく失敗した。背景にはバサラの出現や座が地域経済のエンジンになっていくなど色々あった。2つ目として政権交代システムの不備を挙げる。後醍醐天皇のあとを誰が継ぐのか、どう王権や権力構造をどう引き継ぐのか。これが乱れると動乱が起こる。3つ目が地域持続システムの不備だ。国家は地域の集合体なのだから地域の話をはずす事は火種になる。南北朝における地域は守護と地頭でおさめられていた。守護は軍事と規範を担当し、地頭は経済、極端な事を言えば徴税権を持っていた。この2つが連結している必要がある。

 

これでわかるように、バサラと悪党は結局は同じ社会感覚にいた連中の、一身二体のヤヌス的な呼び名なのである。南北朝はこのバサラと悪党によって勃興し、バサラと悪党の退嬰によって、凋落していった。

 

千夜千冊#1224『南北朝の動乱』村井章介編

 

バジラ高橋
バジラ高橋
世界中で起こっている動乱はたいてい、これらの原因に一致しているわけです。追加するならば「武器保有の増大」と「ニューメディア」です。ヨーロッパ史でいえば、七年戦争も似たようなもの。乱世はなぜ起き続けるのか。それこそが『太平記』が書き綴られた原因だったと思うのです。


パクス・モンゴリカも南北朝の動乱もおおよそ700年前のことではあるけれど、多様性、政権交代、地域持続システムの観点はこのまま21世紀に置きかえることは容易にできる。

 

9月は「『太平記』を読む」もついに最終輪を迎える。輪読座はアーカイブでの学びもできるのでいつからでも受講可能である。興味を持たれた方はコチラからどうぞ。10月からスタートする新たなテーマでの参加もお待ちしている。

 

  • 宮原由紀

    編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。